第16話

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 ハイボル付近のダンジョンを攻略し、俺たちは次なる街へ旅を続けた。



 クロウが負けたというだけあって、今回の悪魔との戦闘でも相変わらずシロウさんはボロボロになってしまったが、一方でアオヤとモモコの目覚ましい進化によって戦闘自体は効率化されてきている。



 効率化されるということは、慣れてきているということだ。しかし、このシロウさんに俺たち三人の傷を負わせて勝つ戦術は、いつか破滅するような気がして不安が募っている。



 モモコも、同じことを考えているのだろう。先程からシロウさんを見上げて、心配そうに、申し訳なさそうに、しかし謝っても無駄だと分かっているのか気持ちを払拭するようにポジティブな会話を心掛けていた。



 健気だなぁ。



「下が見えないっすね」

「地下二万メートルまで伸びてるって話だよ」



 現在、世界で最も深い谷であるニールゲ渓谷の断崖絶壁を歩いている。ただ、別に高いところを歩いたって心が揺れるようなメンバーはここにはいない。俺たちは、いつもの道を歩くような感覚で霧がかった悪い視界の中を進んだ。



「二万メートル? なら、これを下っていけば魔界に着くってことっすか?」



 魔界は、地下二万メートルのだだっ広い空間に存在している。この情報も、シロウさんを含めた先代の勇者パーティが測量し集めてくれた情報だ。



「いいや、魔界はウェイストという地上の果てにある街の特殊な"ゲート"からしか侵入出来ないんだ。何故なら、ニールゲ渓谷の中腹には"深淵"が広がってるからね」



 深淵とは、終わりのない闇だ。



 一度体を包まれてしまえば、あとは永遠に落ち続ける無限の空間に閉じ込められてしまう。……と、言われている。調査の結果、たった五メートル幅の闇より誰一人として帰ってきていない事実から考察されそう結論付けられている。



 魔界と地上は、この深淵によって分け隔てられている。その為、唯一の深淵の切れ目であるゲートからしか、俺たちは魔界へ入ることが出来ないのだ。



「つまり、魔界から見ればこの渓谷は天井に開く巨大な穴ってワケっすか」

「そういうことになるんじゃないかな」

「なら、その深淵が無ければ俺たちは戦わずに済んだんすかね」

「というと?」

「魔王軍は、魔界にモンスターが溢れて住む場所が狭くなったから地上侵略を目指してるワケじゃないっすか。だったら、地上にはまだまだ誰も住んでない土地があるんですし、このニールゲ渓谷から自由に行き来できれば共存もあったのかなって」



 考えたことも無かった。



 確かに、魔界にとってのモンスターって地上の感覚で言えばクマやイノシシなんかの野生動物に分類される生物だろうし、ならば魔王を含めた知的生命体である悪魔たちとは、意思疎通によって和解する道もあるんじゃないだろうか。



「それは、どうだろうな」



 モモコのお楽しみを邪魔してしまって申し訳ないが、俺たちはシロウさんにそのことを尋ねることにした。



「難しい、ということですか?」

「あぁ。そもそも、なぜ悪魔が魔界に住んでいると思う?」

「魔界で産まれたからじゃないですか?」

「違う。俺たちの戦いは、文明が生まれ変わるたびに繰り返されているんだ。元々、人間と悪魔はどちらも地上で生まれた生き物なんだよ」



 初耳だ。そんな話、一度も聞いたことがない。



「最初に魔界へ追いやられたのは人間だったと言われている。地上での戦いに敗れ、生き残った数百人が生き延びるため仕方なくゲートを作り出し魔界へ逃げ込んだ」

「その戦いは、なぜ起こったんですか?」

「スキルだよ。スキルの有無によって、俺たちの大昔の祖先は格差階級を固定化しようとした。しかし、スキルを大きく上回るフィジカルを持った存在、つまり悪魔たちはスキルによって格差を作り出した人間に反逆し、その戦いに勝利した。これが、俺たち人間と悪魔の最初の戦争だ」



 気を取られて足がもつれたモモコの体を支え、さり気なく自分の内側に寄せるシロウさん。



「それからは、因縁のイタチごっこだ。魔界でスキルの能力を大きく高めた人間は、世代を経て数を増やし地上を征服して悪魔を魔界へ追放する。追放された悪魔も、今度は恵まれたフィジカルをより強化しまた地上から人間を一掃する。そんな、呆れるような長い時間をかけて培われた因縁こそが、俺たちの戦いの本質なのさ。おまけに、悪魔の中には最初の戦争から生き残っている長寿な個体もいる。俺たちの世代が変わっても、奴らの世代は完全に入れ替わったりしない。故に、話し合いでどうにかなるような問題にはならなかったんだよ」



 ……ならば、不可解ではないか。



「なぜ、シロウさんまでで十五代も続く勇者なんてシステムが生まれたんですか? その理屈で言えば、本来の勇者は魔界から地上へ乗り込む戦士のことじゃないですか。戦争に勝った人間の末裔である俺たちが、わざわざ魔界へ乗り込んで悪魔を滅ぼそうとする理由が――」



 そこまで言って、気が付いた。



 人間が、退魔の力を持つ宝具を手に入れた。王様は、その力を使い根本を叩き潰すことで戦いの歴史を終わらせようと画策したのだ。



 ならば、その根本の力とは――。



「噂の、『黄泉へ繋がる道』ですね」



 シロウさんは、小さく頷いた。



「……なぁ、キータ。どうして、ここまで俺や一部の人間にしか教えられなかった真実を語ったか分かるか?」

「い、いえ。その、浅慮ですいません」



 さっぱり検討がつかない。果たして――。



「俺が、人間と悪魔の混血だからだ」



 瞬間、足元が崩れて俺は空中へ放り出された。しかし、あまりの衝撃の事実に鍵爪付きロープを出す余裕も無い。



 マズい、落ちる。



「悪いな。こんなところで、変な話をしちまって」



 シロウさんは、空へ飛び込んで俺の手を掴むと、そのまま体を抱えて二人落ちていく。こんな状況で、もう死ぬしか無いような非常事態で、なんて申し訳なさそうな顔をして謝るんですか。



 イカれ過ぎですよ、本当に。



「よっと」



 放心状態でいると、シロウさんは俺の懐から鍵爪付きロープを取り出して崖から伸びていた太い枯れ木に向かって投げ付ける。ロープが絡まり、俺たちは宙吊りになって臨死体験を回避した。



「でも、お前は頭がいいからよ。後でバレちまうことの方がよっぽど危ねぇと思ったんだ。元々同じ場所で生まれた生物同士の争いと知ったら、土壇場で葛藤しちまっても不思議じゃねぇ」



 何分も落ちていたような感覚だったが、たった二、三秒程度しか経っていなかったらしい。モモコとアオヤのいる場所は、僅か数十メートル程度の上空にあった。



「大丈夫か?」



 ……その異常な治癒力とフィジカル、そして一つしかスキルを持っていない才能。何より、あなたの考え方の理由がようやく分かりました。



 悪魔の心を持つあなたには、きっと『個』という考え方がない。だから、王様からの命令をこなすことがすべてであり、種の存続こそが目的になる。最初から、あなたは自分の犠牲を犠牲とも思っていなかったんですね。



 ならば、人間の俺は……。



「だ、大丈夫です。その、ご迷惑をおかけしました」

「構わない。これくらいじゃ、俺たちは死にゃしねぇよ」



 ロープを登ると、珍しく驚いた表情で立ち尽くしたアオヤがいた。モモコに至っては、ペタンとお尻を付けてへたり込んでしまっている。多分、シロウさんが声をかけたら安心して泣くのだろう。



「なんて顔してんだよ、お前ら」



 ……ほら、やっぱり泣いた。



 けれど、その涙の理由は、きっと安心だけではないと俺は分かっていた。

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