灯る明かり

 ――しばらく疎遠にしていたとしても、次に会った時に「やあ」と言葉をかわせることは、とても貴重なことだ。


 そう、私は自分の小説に書いたことがある。それはあくまでも創作物の中の夢物語に過ぎないと思っていた。私の夢みる希望を書いただけだった。だが、私は実際に数年間ほど連絡を取らなかった友人に「やあ、久しぶり」から始まる短いメールを送り、その返事を貰ったに至る。相手の返信内容は一言で「やあ」だけだった。しかし、どうしてだろう、私の「やあ」に「やあ」と返してくれた、そのことが私はひどく嬉しかった。安心した。ああ、友人がそこにいる。私はパソコンの前で祈るような気持ちになった。


 私と友人は長い付き合いだった。離れたのは私からだった。何となく――そう、ただ何となくだ――私は全てのものから遠ざかりたいと思ってしまったのだ。当時、人間関係から、日常生活から逃げ出したくて、私はひっそりと心に鍵を掛けた。その結果、本当に私からいなくなってしまった友人もいる。けれども一人、いつかの私の心を支えてくれた友人が忘れられず、私は勇気を出してその人にメールを出したのだ。皓々と光るパソコンのモニターの向こう側で友人も私のことを思い出しながら「やあ」と書いてくれたのだろうかと、そう思うと私は胸が熱くなった。人を救うのは、やはり人だ。


 決して直接的ではなくても、人は人と関わり合って生きている。私の好きな本、紅茶、食べ物。皆、人が作ったものだ。私も誰も、人は人と繋がっている。支えられ、助けられている。


 時々、私は私に連続性を見出せなくなる。たった一人しかいないはずの自分に自信が持てなくなる。自我の崩壊とまでいかなくとも、鏡に映る自分の姿に「誰だろう」と思ってしまうことがある。鏡がなくてもだ。私は私の心に問い掛ける。私は一体、誰なのだろうと。


 私の名前や誕生日、そんなものは私を端的に表す記号的なものでしかない。では、記憶だろうか。否、それこそ自信が持てない。記憶などという可視化出来ない曖昧なものは、幾らでも当人の中で形を変えるだろう。しかも私は私に連続性を見出せなくなると自覚している。そのような私だけの記憶で、私は自分自身を確かなものだと決定付けることは不可能だった。


 では、どうするのか。私は私を自分の中だけに限らず、人の中に求めた。友人から見た私のことを、私は友人に尋ねた。友人は語ってくれた。いつかの私が話した夢、いつかの私と友人の会話、いつかの私と友人の思い出を。私は安堵した。私は、きちんと友人の中に存在しているのだと。厳密に言えば、友人の記憶も絶対ではないだろう。しかし、友人の言葉に頷く私がいる。両者の間で共通認識となっている思い出がある。それは確かに私の心を温めた。


 私は、ふと日常を振り返る。いつか私はいなくなる。友人もいなくなる。残して来た足跡すら、時間の流れに消えてしまうかもしれない。


 私は確かに生まれて、ここにいた。そんな軌跡を、どうやったら残せるのだろう。何かしらの作品をこの世界に生み出すことだろうか。物語を綴り、絵を描くことだろうか。それも確かに方法の一つだろう。だが、私は思う。私は私の大切な人の中にこそ残りたいと。人がいつかは皆、消えていなくなってしまう存在だということを踏まえれば、私が誰かの心に残ったとしても、その人もいつしかいなくなってしまう。そうすれば私は誰の心にも残らないということになってしまうのかもしれない。しかし、私を私たらしめるものは私自身だけでなく、私の大切な人達であることを私はもう知っている。彼らの心に残ることこそ、私はそこに幸せを見出すだろう。


 そのこととは良く似た側面を持つのが、私が小説を書いているということだ。以前は、ただ私の書く物語を多くの人に読んで貰いたい、それだけだった。けれど、最近になって思う。小説を書くということは、いつかの私を救い出すことに似ていると。過去、現在、未来までもの自分自身を掬い上げる行為だと。沢山の文字を書き、物語を綴り上げる。完成した作品は、まるで航海灯のように私の周囲を照らし、私という一人を導く。その灯火が、他の誰かの導きになれば良いという小さな願いを持ちながら、私は物語を書いている。


 物語は全くの虚構ではないと私は思う。舞台が現実世界ではなく、たとえばファンタジーの世界だったとしてもだ。物語を綴る者は人間であり、その人のこれまでの記憶や価値観、未来への展望など、ありとあらゆる考えを織るようにして物語が出来上がって行くものだと私は考える。その人が触れて来た全ての事柄から、物語は生まれて行く。そして、それがまた他の誰かの心に触れる。そうやって人は人に間接的に触れて行く。人は人の心に残るのだ。


 私は時々、どうしようもない寂しさに包まれる時がある。大切な友人がいても、未来への夢があっても、もう何もしたくないという無力感に苛まれる時がある。もしかしたら誰しもがそうなのかもしれない。止まない雨はない、明けない夜はない。その文言を皆、信じているのかもしれない。降り続く雨の日々や、太陽のない夜を越えて、人は皆、そこに立っているのかもしれない。私だけではないのだと、私は思っている。それでも、どうしても晴れの日を思い描けず、もう何処にも行きたくないと心が塞いでしまう時がある。そんな時、私の友人は傍にいてくれる。特別に励ますこともなく、ただ傍にいてくれるのだ。友人と他愛もない話をしている内に、私の心は温かみを取り戻し、また頑張ろうと思えるようになって行く。


 私の物語の案内人のようにして友人はいつもそこにいてくれる。願わくば、私も友人にとっての導き手のような存在になりたいと思う。

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