第6話 『頼ってもいいんでしょうか』


 そう最初に断りを入れてから、柊木愛花は話し始めた。


「うちは私と愛花の二人で暮らしていて、旦那はいないんです」


 嫌な話だな、と自分で振っておきながらそんなことを思った。

 男に対して敵意を抱くことがあるが、その大抵の理由は何かしらの被害を受けたというパターンだろう。


 彼女のそれも例外ではなかったということだ。


「離婚したってこと?」


 遠慮がちに問うたのは母さんだ。

 俺はちらと結花の様子を伺った。彼女は母親の語りを気にすることなくパクパクとパフェを頬張っていた。口元にクリームがついている。


「いえ。というよりはそもそも結婚をしてないんです」


「え」


 思わず声が漏れた。

 俺のリアクションに驚いたのは柊木はもちろんだけど、母さんもだった。まあ、子どもが反応するべき場所ではなかったな。


 小学一年生なんて、そもそも離婚という言葉の意味さえ理解してないのが普通だろうし。


「颯斗、愛花ちゃんの言ってること分かるの?」


「え、と、その、この前テレビでその言葉をきいたんだ。だからちょっと驚いちゃって」


 あはは、と笑って誤魔化す。

 母さんはあまり細かいことを気にするタイプではないので、ふーん程度で済んでくれる。

 柊木の方も特に触れてくることはなかった。


 危なかった。

 気をつけないと。


「話を戻すけど、それってつまりどういうことなの?」


「結花をお腹に身籠ったときに彼には逃げられました」


 無理に作ったような笑いを浮かべながら、柊木は努めて明るく言う。彼女からすれば思い出したくもない記憶だろうな。


「……そう、なんだ」


「ええ。そのときの彼が、すっっっっごくイケメンでね。顔が整っていればいるほどロクな男じゃないって思って結花にもそう教えたの」


 けれど、と付け加えながら柊木は俺の方を見てくる。そのときの顔には、さっきまであった暗い雰囲気は消えていた。


「そうでもないみたい」


 いや、まあ、イケメンなんてロクなやついないというのは概ね同意ですけどね。

 ただ、俺がこれからそのクソみたいな偏見を覆してあげますけど。見ててくださいよ、陰と陽のハイブリットイケメンを。なんつって。


「うちの颯斗はそんな酷いことしないから安心して大丈夫よっ。きっとみんなを幸せにしてくれるわ!」


「かもしれませんね」


 しかし、そうか。

 そんなことがあれば、イケメンに対して悪いイメージを持ってしまうのも無理はないな。


 それを子どもに教えるのはどうかと思うけど。それくらい傷ついたんだろうな。


 でも、ということは……。


「じゃあ、結花ちゃんのお母さんは今も一人でがんばってるの?」


 できるだけ子供っぽく言うことを意識する。こんな感じで大丈夫だろうか。


「……そうね。頑張ってるよ」


 気丈に振る舞っているのは見て分かった。

 頑張っていることはいい。問題なのはいざというときに頼れる人がいなかったり、辛いときに泣き言を吐ける相手がいないことだ。


 もしも、と思う。


 高校時代、俺が億が一の可能性にかけて告白して、奇跡が起きて付き合えていればこの未来はなかっただろうか。


 いや、考えるだけ無駄だな。


 今、こうして二度目の人生を送れていることが奇跡だし、そう考えると奇跡は起きている。

 その俺がこうして柊木愛花に会えたこともまた、奇跡と言っていいだろう。


 あったかもしれないたらればを語る暇があるなら、目の前の問題に目を向けるべきだ。


 が。


 それに関してはもう大丈夫かな。


「すごいっ!」


 母さんが感動の涙を流しながら言う。


 そうだ。

 あんな話を聞いて、母さんが黙っているはずがない。


「今日まで一人でよく頑張ったね。でも、これからはもう一人じゃないからね」


 母さんは柊木の手をぎゅっと握りながら、まっすぐ目を見てそう言った。

 柊木の方はと言うと、母さんの突然のアクションに呆気にとられていた。


「何か困ったことがあったら何でも言ってね。力になるからね!」


 その言葉は柊木の体の中に入っていき、ぐるぐると体内を巡って、脳に響いたようだった。


「ありがとうございます」


 そう言った柊木愛花は肩の力が抜けたように、穏やかに笑ったのだ。



 *



 柊木愛花は朝から晩まで働いているそうだ。休みは週に一度だけ。女手一つで子どもを育てるというのは、それくらいに大変なことなのだろう。


 できるだけ早く帰るよう努力はしているみたいだけど、それでも週の半分は帰りが夜になるらしい。


 結花を預けることができるようなおじいちゃんおばあちゃんの家も近くになくて、どうしようかと思っていたと柊木は語った。


 結花は大丈夫だよと言ったらしいけど、母親として娘を一人にはしたくなかったのだろう。


 かといって、働く時間を少なくすると生活が苦しくなる。そんな悩みに、柊木は一人頭を抱えていたそうだ。


 だから、母さんは言った。


「じゃあ、結花ちゃんはママが帰ってくるまでうちにいるといいよ」


 妥当な提案だと思った。

 母さんが言い出さなければ俺が言っていただろう。まあ、母さんが言わないはずはなかったけど。


 お金の援助は難しい。

 うちの家計的に、というよりは柊木側が遠慮するだろう。それに、そういう助け方は間違っている。


 きっと、俺たちにできる最善は母さんのした提案だった。


「いや、でもそれは……」


 さすがに遠慮するように口をごにょごにょと動かした柊木の手を、母さんがもう一度ぎゅっと握った。


「頼ってくれてもいいのよ。ていうか、こんな話聞いて放っておく方が精神的に良くないわ」


「……頼っても、いいんでしょうか」


「もち」


 震えるような声に、母さんは軽い調子で答える。その明るさが、柊木の暗く閉ざされていた心に光を灯した。


 そんなことがあって。


 予想外の邂逅をきっかけに俺と柊木結花の関係は大きく進展することになった。


 学校でも普通に話すようになり。

 帰りは一緒に帰ることが増えた。帰る場所が同じなんだから普通だろう。

 一緒にいる時間が増えた結果、これまで以上に仲良くもなった。


 お互いがお互いを大切に思い、かけがえのない存在になりつつあった。


 それは誰がどう見ても、幼馴染という関係そのものだったに違いない。


 記憶という名のアルバムに、思い出という写真を一枚ずつ貼っていく。


 そうして月日が経ち。


「行ってきまーす」


「颯斗、体操服忘れてるわよー?」


 俺は、小学五年生になった。

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