09 無双

「この見事な腹を傷つけてはなりませんッ! 手足を落とし、生け捕りにせよ!」


 アルバートが兵らに命じる。

 ゾラは片眉を上げ、呆れたように首を傾ける。

「応ッ」と掛け声を発して短槍の男が突進し、その穂先を彼女の膝へ走らせた。

 カンテラの光を反射させながら直進する刃は、あと半歩のところまで接近するや、刺突の流れを突如弧に変化させ、薙ぎ払う動きを見せる。

 速度・軌道とも、相当な熟達があることは明らかで、迷いがない。

 ゾラが滑るように移動し、地面に突き立てた長剣の後ろへ回ると、穂先も合わせてうねりながら追ってくる。

 槍兵の顔がニヤリと歪む。

 短槍はそのままゾラと長剣の間に差し入れられ、男の「破ッ」という気合と共に、彼女の下腕目掛けて直角に跳ね上げられる。

 柄を掴む逞しい腕が、肘辺りで切断されてしまうかと思いきや、そうはならない。

 穂先が斬り上げたのは、ゾラの外套の端。

 彼女の身体は錐揉きりもみ状に、まるで竜巻に吸い上げられたかのように、左手で柄を握ったまま逆立ちしている。

 尋常な人間の動きではない。

 如何に屈強といえども、身重の女である。

 それは一瞬間の光景ながら、ユキオを含めたその場の全員に我が目を疑わせ、状況の理解を遅延させる。


「……ふんッ!」


 跳躍するゾラは空中に長剣を引き抜き、高さの頂点で一度丸まったように見えた後、大きな腹を中心に回転しながら槍兵の肩に刃を振り下ろす。

 今まで見たこともない挙動に男は驚愕きょうがくし、身を引くのが間に合わない。


「ぎぎぎゃあッ!!」


 小枝を次々と踏み折るような音を立てて、鈍い刃が男の肋骨を断ち、胸骨を割り、脇腹に抜ける。

 剣先が地面に刺さってから、ゾラもふわりと外套を広げて着地する。

 袈裟けさに裂かれた男の身体から、血と臓物が濁流の如く溢れ落ちる。

 男が仰向けに倒れると、ゾラは残る五人に向けて首を傾げる。


「うおおおらあああああああ!」


 武器を構えた兵らは半ば怯えたような咆哮を上げ、一斉にゾラへ躍り掛かる。

 いずれの太刀筋も、決して素人のものではない。むしろ数え切れぬ実戦を重ねてきた末の、無駄と迷いを排した容赦のない一撃。

 が、ゾラはそれらの刃をことごとかわし、大きくはためく外套でなし、時折には相手の足を蹴り払って転倒させもする。

 その間、左手は長剣の柄を握ったままである。

 その剣先は先程地面に落ちた場所から、回転こそすれ、まったく移動していない。

 兵らは、手合いの距離で完全に包囲した状態にありながら、たったひと太刀すら彼女に触れることができない。

 ただゾラの止まることのないり足に、白い粉塵が舞い上がってゆくばかり。

 ――ひとり、またひとりと、男達の顔が青褪めてゆく。


「……もういい、下がりなさい!」


 アルバートが一喝する。

 兵らの攻撃が止み、すぐに彼らは充分過ぎるほどの距離を取る。

 全員が明らかに怯えている。


「……二名、白骨山までひと息も休むことなく駆け、ンツ様に事の次第を報告せよ。もし、城への到着が夜明けを過ぎれば両名とも凌遅りょうちに処す。残る三名は万が一、私がたおされた場合、この女が何処へ去ろうとも追い続けよ。これを見失ったならば同じく三名とも凌遅に処す」


 顔を見合わせあった兵らはしばしの沈黙を経て、二名が頷き武器を仕舞うと、その場から全力で走り去る。

 アルバートは両手の長い指を蜘蛛のように蠢かせながら、ゾラに近づいて来る。


「大したものです……、全く素晴らしい。理解を超えている。何故、そのような身体でそこまで動けるのですか? 貴女は何者なのですか?」

「こっちが教えて欲しいわ。……このお腹がなければ、もっと自由になると思うんだけど」

「それ以上に! 嗚呼、きっと貴女のことを知れば、日々を退屈という名の拷問にさらされておられるンツ様も、大いに喜ばれるでしょう。隠れておらず、御姿を現して下さればよろしかったのに……」

「羊に乗ってた男? 嫌よ、気味が悪い……。

「ふむ……? それはどういう意味でしょう、ンツ様はもう何万夜も祭壇を使っておられません。この世界の主として幾度もの反乱を征し、君臨しておられるのです」

「分からないなら良いわ。とにかく貴方、この連中よりは多少マシなんでしょう? さっさと掛かって来なさいよ。早く終わらせたいの」

「……はい、それでは失礼致します。そのお腹には決して傷をつけませんので、どうぞご安心下さい……」


 アルバートは何度も頷き、両腕を左右に広げる。

 ゾラとの間には、まだ十歩ばかりの距離がある。

 彼の黒い革鎧は他の者達よりも薄手で、腰まで垂れている。首元は詰襟。

 よく見れば胸から腹まで、幾本もの縦筋が入っており、中に着ている黒い装束が覗いている。

 ゆっくりとゾラが姿勢を下げ、右脚を前に摺らせてゆく。


「参ります」


 アルバートが一度両手を握り、開くと、左右の五指の間に都合八本のニードルが挟まれている。中指ほどの長さで、とても細く、先端は鋭利である。

 ゾラは察して、即座に一歩踏み出す。

 アルバートが踊り出すかのように、優雅に横を向く。

 彼が己の腹の辺りをひと撫でするのが見えたかと思うと、次の刹那、彼女に向って四本の鉄針が発射された。


「……!」

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