06 接収

「お待ち下さい。まずかかる飢饉とは、何をもってそう仰るのか。せんにお訊ねした際も明確なお答えは頂けなかった」


 ユキオは小兵ながら胸を張り、一歩前に出る。

 が、すぐにフィデルが彼を押しとどめ、言を引き継ぐ。


「……羊肉の消費が早すぎるのです。羊達の繁殖は夜の長さに反比例して、遅くなる一方。いくら求められても、今までどおりには潰せくなっている。人には、乳と粘菌があればよい筈だ」

「ああ、ああ。それは前にも聞いた。だから羊を潰しすぎないように、今やほこりを被りつつある祭壇を活かす、そういう話だと言ったではないか。お前達は今までどおり、羊達の世話を続ければよい。何も寺院を無くしてしまおうとか、明け渡せだとか、そんなことはひと言も言っておらんのだ。なぁフィデル、キミタケ」


 ンツは放牧されている羊達の群れを指しながら、鷹揚に頷いて見せる。

 彼の黒羊が、熱い鼻息を噴き出す。

 しばしの沈黙の後、フィデルの大きな嘆息がゾラのところにまで聞こえる。


「……何人なんぴとも寺院をおかすべからず。遥かな昔、ンツ・マル令を発布なさったのは他ならぬ貴方だ。御自身が定めた法を、その手で破るおつもりか」

「それは当時、祭壇を破壊しようとする輩が後を絶たなかったからだ。もし気になるなら、令文を〈寺院〉から〈祭壇〉に変えても構わん。そもそも俺は祭壇にしようと言った気がするんだが……、確か、マルが寺院にしてしまったんじゃなかったか? 違うか? ……誰も知らんか、ハハッ! ともかく法は人のためにあり、法のために人があるのではない! そして今、人を生かすには、――」


 もうよい、とンツが退屈そうに手を振る。

 次の瞬間、彼の後方から三本の槍が伸びフィデルの胸を貫く。

 槍兵達はそのまま前進し、彼を押し倒して、地面に縫い付ける。

 濁った水音と共に老僧の口から鮮血が溢れ出す。

 ンツは少し身を傾け、フィデルを見下ろす。


「……新しい仕事だ。再誕リスポーン次第、お前は自分の身体で、人間の血抜きの仕方を覚えろ。早く戻って来ないと、キミタケがひとりで奮闘することになるぞ」


 槍が抜かれ、フィデルの身体は数回激しく痙攣する。

 胸の穴から恐ろしいほどの量の血液が、奔流となって広がってゆく。

 速やかに白けた大地に吸われ色を失ったそれは、黒々とした奈落のように見える。

 愕然と立ち尽くしていたゾラは、自分がンツの眼差しに貫かれていることに気づくのが遅れる。


「なんだ、起きてるじゃないか。……よう」


 ンツが人懐っこい声で挨拶をし、手を挙げる。

 しかしその瞳は羊よりも無感動で、その辺りに転がっている乾いた石ころと交換しても、さして違わぬのではないかと思わせる。

 ゾラは返事をせず、頭の毛布を被り直しながら扉の陰へ後ずさる。

 荒く鼻を鳴らしながら、ンツの黒羊がフィデルの身体へ首を伸ばす。

 灰色の巨大な舌が彼の血を舐める。顎に粘性の強い涎を垂らしている。

 

「あいつを慣習に則って送り出すことは許そう。西でも東でも、勿論俺の城へでも、好きな方角へ旅立たせるがよい。の精肉処理についてわからないことがあれば、アルバートに教えてもらえ」


 ンツはユキオに言いおくと、手綱を取り、羊の頭をひるがえさせる。

 一隊はそれに続いて寺院を去り始めたが、老従者の反対側に控えていた痩躯の男が数名の兵に指示し、荷運びに連れて来ていたらしい羊達から荷物を下ろさせる。

 十名ばかりがこのまま駐屯する様子である。

 額に青筋を浮かべたユキオは、フィデルの亡骸を少し見てから、駆けるように寺院に飛び込む。

 そしてまだ拝廊から様子を見ていたゾラの腕を、強く掴む。


「出てくるなと言っただろう。奴に捕まったら、絶望以外の逃げ道がなくなるぞ」

「フィデルが」

「彼は無意味なことをする男じゃない。あの場で

「なぜ」

「とにかく服を着て出立の支度をしろ、残った兵達に見つかる前に。……まったく、身の丈に救われたな。ンツは貴女を男だと思ったんだ」


 充血した目に睨まれ、ゾラはそれ以上の反問をせず彼に従う。

 先ほどまでいた地下通路の、身廊を挟んだ反対側、寺院東側にも同様の開口部があり、そちらへ手を引かれてゆく。

 ユキオの手にしたカンテラが照らす、石の廊下。

 構造は先ほどの通路と似ているが、こちらには半地下の部屋がふたつあり、ひとつはおそらくユキオとフィデルの居室、もうひとつは衣類を含めた様々な物資の保管庫である。

 ゾラはその部屋に連れて行かれ、質素な貫頭衣と、革のブーツ、革の手袋、革のベルトポーチ、そして羊毛の外套を渡される。


「……いつもその外套で隠しておくんだ。身体の線を出さないように」

「目の毒ってワケね」

「新来者には、必ずひと振りの武器が渡されることになっている。だが……、とかく資材不足で、手斧やら槍やらは既に消費してしまった。さっきも言ったが、木材は貴重品なんだ。……今、残っているものと言えば」


 ユキオのカンテラが、鈍く、重い、埃の積もった鉄の刃を光らせる。

 それはゾラの腕ほどもの刃幅の、太くて長い両手剣である。


「……駄目だ、これでは杖にもならない」

「でも、カウンターウェイトには良いんじゃない? 前が重いのよ、私」


 ゾラはその柄を無造作につかみ、棍棒でも振るように回す。

 ユキオは目を丸くして、その膂力りょりょくに呆れた。


「ベルトをもう何本か頂戴。お尻の上に括れば、今よりだいぶ歩きやすくなるわ」

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