第6話 身バレした件

 翌日、教室に入るとクラスの人たちが私を見て「おはよう」と言った。


 昨日の毛虫の件もあるので、もうクラスに溶け込むのはムリだろうと思っていたから、ビックリした。


「お、おはよう!」


 私がそう言うと、クラスの人たちは優しく笑う。その笑顔がなんだか、春の日差しみたいに温かくて、くすぐったかった。


 席に着くと、みかんさんがすでに登校していたことに気付く。昨日もそうだったけど、みかんさんは学校に来るのが早い。


 時間には余裕を持ちなさいとお母さんに口酸っぱく言われている私よりも、みかんさんは余裕を持って行動している。それなのに、肌つやは良くて、髪は綺麗にセットされていて、メイクもバッチリしているみかんさんは、いったいどんな魔法を使っているのだろう。

 

 櫛すら通してこなかった私のボサボサの前髪が、途端に恥ずかしくなってくる。


「ねぇ、佐凪さなぎさん」


 目が合ってから、挨拶をまだしていないことに気付く。だけど、みかんさんは「おはよう」よりも先に、私の名前を呼んだ。


「え、え? なに」

「ちょっと、いい?」


 みかんさんは突然立ち上がったかと思うと、私の手を掴んで教室の外へと連れ出した。


 な、なになに?


 いきなりのことで頭が付いていかない。カバンもまだ机にかけてないし。それに、みかんさんの手、すっごく、熱い。


「あ、あのっ」


 私は何故か、廊下の突き当たりまで連行された。人がいないわけではないので、みかんさんに追い詰められている私を、通りかかる人が時々見ていた。


「ごめん、他の人に聞かれない方がいいかと思って」


 みかんさんはいつになく真剣な表情だった。いつも笑っているみかんさんの唇がキュッと締められると、なんだか泣きそうな顔にも見えてくる。


「み、みかんさん?」


 他の誰かの視線から私を守るように、みかんさんが覆い被さってくる。私は壁に追い詰められて、頭の横にはみかんさんの手。


 これって……壁ドンってやつなのでは。


「佐凪さんって」

「ひゃい」


 声が裏返ってしまった。


 艶やかな唇が照明の光を反射している。そんなことさえ観察できてしまえるような距離にみかんさんの顔がある。しかもなんか、いい匂いまでするし。


 わ、私。何されるの……?


「佐凪さんって、雨白あめしろさん、だよね」

「へ?」


 思わぬ名前が出てきて、素っ頓狂な声がでる。


「い、いやっ、えっと」

「昨日の配信、見た」

「え?」

「雑談配信、してたよね。そこで、あたしの話してた。昨日、喋ったときから思ってたんだ。声も、話し方もそっくりだなって」


 う、うそ。昨日の配信、みかんさんいたの!?


 コメントがなかったからてっきり来てないのかと思ってたんだけど。一人だけ最後まで見てくれてる人がいたけど、あれってもしかして、みかんさんだった?


「やっぱり」


 私の無言を肯定と受け取ったのか、みかんさんは眉を下げると、もう一度確かめるように私を見た。


 ど、どうしよう。もしかして、幻滅されてるかな。


 そりゃそうだよね。ずっと推しだったライバーさんが、現実ではこんな、ぼっちのダメダメ人間だったなんて知ったら。


「ご、ごめ――」

「好きです」

「へ!?」


 みかんさんは私の手を握ると、顔を伏せながら言った。


「ずっと、応援してました」

「は、はい」

「いつかこの気持ちを伝えなきゃって思ってて、でも。なかなか伝えられなくて」


 そのまま、ズルズルとしゃがみ込んでしまうみかんさん。けれど手は離さずに、まるで懇願するように、私の手を握りしめた。


「伝えられて、よかった……」


 泣きそうな顔、というのは存外間違いではなかったかもしれない。みかんさんの声は、こちらまで不安になる程に震えていた。


 どうしてこの人は、こんなにも私のことが、雨白のことが好きなんだろう。


 だって、私だよ? 他にもっとすごい配信者さんだっているはずなのに、その中から、なんで私なんだろう。


「み、みかんさん……」


 なんて答えればいいか分からず彼女の名前を呼ぶと、つくしがにょきっと生えるみたいに、みかんさんが立ち上がる。


 今度は目をキラキラさせて、握った私の手をぶんぶんと上下に振った。


「昨日の配信、すっごく良かったです! 普段喋らない雨白さんのリアルな日常会話が聞けたって感じで、なんかもうそれだけでレアなもの見られた気がして、距離がすごく近くなった感じがしました! 勝手に、ですけど」


 みかんさんはすっかり声が大きくなってしまっていた。人に聞かれたくないっていうのはどこに言った!?


「それで、いつもみたいに挨拶しようと思ったんですけど、配信覗いたとき、ちょうど、その、新しく友達ができたって話してて……その人が、すごく、綺麗って、ことも……あれって、あたし……?」


 頬を赤く染めたみかんさんが、もじもじしながら私の顔を覗き込んでくる。


 ていうか、みかんさん敬語になってる……。


「会ったとき、の。印象」

「やばい、嬉しい!」

「わあっ!?」


 ガバッ! という効果音付きで、みかんさんが抱きついてくる。わ、私、ギャルに抱きつかれてる。なにこれ、夢?


「あの、そういえばチャンネル登録者数百万人目指すって言ってましたよね!」

「え!? あ、あれは、その……思わず言ってしまったというか、冗談半分というか、身から出た錆というか……」


 私の今のチャンネル登録者数はちょうど十人。そこから百万人目指すなんて、無謀もいいところだ。私も本気で言ったわけじゃない。


「雨白さんなら絶対いけますよ! あたし、めっちゃ応援してます!」

「え」

「あ、何か手伝えることがあったら言ってください! あたし、なんでもするので!」


 な、なんでも。


 よからぬことが、新幹線並のスピードで脳裏を通過していく。 


「あ、あの……雨白さん」

「は、はいっ」

「もう一回、ハグしてもいいですか?」


 私が頷き終わる間もなく、みかんさんが私の首に手を回してくる。口の中にみかんさんの髪が入って来て、うっかり食べそうになった。


「うわー、生の雨白さん、やばー、やばー!」


 雨白はvtuberとしての名前なので、生の、という言い方はちょっとおかしい気もするのだけど。


 みかんさんはすっかり興奮しているようで、私に抱きつきながらピョンピョン飛び跳ねている。みかんさんの胸が思い切り私の鎖骨あたりに押しつけられて、ドキドキする。当たってる、なんて言うと意識してるみたいでキモいから、この柔らかさを堪能する他ない。ないのです。


「お、お姉ちゃん?」


 ふと、聞き慣れた声が聞こえた。


「えっと」


 弁当箱を持った胡桃くるみが、怪訝に私たちを見ていた。


「お姉ちゃん、弁当忘れてったでしょ。さっきお母さんが学校まで届けに来てくれたから、持ってきたんだけど」


 じーっと、細めた目で私をみかんさんを交互に見る胡桃。


「これ、どういう状況?」


 私にも、分からない。


 ただ一つ、分かるのは。


 私の日常が、これまで通りにはいかなくなった、ということだけだ。 

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