第4話 プリオール地方



 プリオール地方にある西の海域までは、住んでいた田舎町から船で半日ほど掛かった。午前中に招集を受けた私たちが海域に到達したのは夕方近くで、すでに夜が近付きつつあるので、今日は海の状態を確認して海中の捜索は明日以降となった。



「みんな飲みに行くみたい。ローズも行く?」


 ベッドの上で着替えを終えたクレアが尋ねる。

 騎士の制服を脱いで黒のタイトなワンピースに着替えた彼女はとてもセクシーに見える。私は窓の外を少しだけ見て首を振った。


「………やめておく。ちょっと船酔いしちゃって」

「あらま、残念!遠征中はプリオールの港に船を着けておくみたいだから、また機会があったら街で飲もう」

「うん、ぜひ」


 笑顔を返すとクレアはひらひら手を振って部屋を出て行った。


 船の中にも食堂はあるみたいだけど、どうやら街へ繰り出す人の方が多いようで、船内は自由時間を謳歌しようと駆け回る足音で騒がしい。私は一張羅のスーツを脱いで、適当に突っ込んできた私服に着替えた。ストライプのスカートに麻のシャツを被って立ち上がる。


(食堂の食べ物……部屋で食べられると良いけど)


 見知らぬ人ばかりの場所で、みんなに混じって食事をとる気持ちにはなれなかった。やはりまだ緊張はしているし、ワイワイと騒ぐ元気も湧いて来ない。


 そっと食堂の中を覗くと、同じ考えの人も居たようで、何人かが列を成してトレイを持っている。同じように見よう見まねで青いトレイを持って列に加わった。



「おばけカボチャのペンネグラタンがおすすめです」

「ひょっ!?」


 背後から聞こえた声に驚いて飛び上がる。

 私の後ろには三班のリーダーフィリップが立っていた。


「すみません、驚かすつもりはなかったんですが」

「い…いいえ。ぼーっとしていたので……」

「ダースたちは街へ飲みに出たようですが、どうも私はそうした場は苦手でしてね。昔の馴染みが討伐隊に参加しているので、これから一緒に一杯交わす予定です」


 クイッと酒を煽る真似をするフィリップを見て笑う。


 真面目そうに見える彼にもそうした面があると知って微笑ましかった。プラムを妊娠している間に禁酒をして以降、そのままなんとなく飲まなくなっていたことを思い出す。


 別に自分に禁じているわけではないのに、理由もなく遠ざけていることが増えた。年齢を重ねるにつれて新しいことを始めるのが面倒になったのもあるけれど。


「おばけカボチャ、頼んでみますね!」

「ええ、ええ。ぜひに。食べるなら甲板が一押しです、この時間なら発光魚たちの群れが泳いでいるでしょうから」

「まぁ!それは面白そう」



 フィリップと同じようにグラタンを頼んで、グラスに注いだ水を載せて私は甲板の方へ向かった。


 静かな濃紺の中に朧げに光る白い塊が見える。

 あれが発光魚の群れだろうか。


「………きれい」


 トレイを足元に置いて、私は手すりに身を寄せた。


 小さな魚たちが固まって泳ぐことで、まるで巨大な龍のように見える。私は脳裏に仄暗い記憶が蘇って慌てて頭を振った。


 どこか食べる場所は、と動き回っていると甲板に寝そべる先客を見つけた。闇に溶ける黒い髪が潮風に吹かれて少しだけ揺れる。その下で、閉じていた黄色い瞳が開いた。


「なんだ。独占できると思ったのに」

「……それはすみませんね」


 フランは上体を起こして私を見上げる。


「あんた……ローズだっけ?」

「聖女のローズです」

「聖女ってもっと媚びた女がなるもんじゃないのか?俺の知ってる聖女はフリフリのアホみたいなドレスを着て討伐に参加してたが…」


 彼が私の色気のないセットアップのことを言っているのだと分かって、貼り付けていた笑顔が引き攣った。


「貴方の言うフリフリのドレスは討伐には向きません。後ろで祈るだけが聖女ではないですし、攻撃から逃げるためにも動きやすさが大事です」

「まぁ、一理あるな。あんたらの祈りがどれだけ俺たちの命を救ってるのか知らないけど」


 なにこの棘のある言い方。

 ムッとする感情が出ないように口角を上げる。


「お役に立てるように頑張りますね、フランさん」

「フランで良いよ。同じ班だろう?」

「ええ、残念ながら」

「は?」

「すみません。口が滑りました」


 しばらく私を睨んだ後、フランは吹き出した。


 初めて見る彼の笑顔に私は驚く。憎たらしいことを言っている間は気付かなかったが、こうして見ると綺麗な顔をしている。ひとしきり笑うとフランは立ち上がった。


「ローズ、あんた面白いな」

「面白い……?」

「明日から楽しみだよ」

「?」


 戸惑って立ち尽くす私の肩を叩いてフランは階段を降りて行く。置いてけぼりを食らった私は、少し冷めたグラタンを突きながら夜空を見上げた。


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