第11話 過去

 両親が死んで――殺されて、半年が経った頃だった。当時小学校四年生だった宰吾と、二年生だった美蕾は、叔父に引き取られるための手続きやら引っ越しやらに追われ、やっと落ち着いて学校に通える頃だった。十一月も終わりに近づいて、いよいよ寒さが本格的になった季節。


「不知くん! 不知宰吾くん! 妹の美蕾ちゃんが……!」


 体育の授業が終わり、教室で着替えていたとき、見たことはあるけど名前を知らない先生が宰吾を呼び出した。美蕾の担任教師である。

 美蕾の様子がおかしいと聞き、宰吾が駆け付けたとき、彼女は保健室でぐっすりと眠っていた。意識が朦朧としていておかしかったが、今は眠っていると聞き、安心したのも束の間だった。何時間経っても、何日経っても、美蕾は目を覚まさなかった。いや、厳密にはトイレや食事のために体は動くものの、夢うつつの混濁状態で、会話もままならなかった。

 病院で診てもらい、これが反復性過眠症――眠れる森の美女症候群であることが分かって、宰吾は絶望した。やっと、新しい生活が始まり、歩き出せると思った矢先これである。

 宰吾は、呪った。自分たちにこんな仕打ちをしたあの怪人を。そして、そんな自分たちを冷酷に見放したあのヒーローたちを。


「俺が、美蕾を守らないと。そして、ヒーローってやつが何なのか、証明しないと」


 両親が死んでから徐々に自身に芽生え始めていた不可思議な超能力を、宰吾は研究した。怪我の治りが異常に早い。それが、“不死身”の能力であることに気づくには、相応の時間を要した。結果、彼は後にヒーロー活動を始めることになる。


 美蕾というと、眠れる森の美女症候群が発症していない時期はできるだけ学校に行くようにしていた。眠ってしまっていた間に遅れた勉強や人間関係を取り戻すため、必死に努力した。


「でも……寝ちゃうだけでしょ? 頑張って起きればいいだけじゃん」


 六年生の秋。クラスの、仲がいいと思っていた女の子にそう言われたとき、美蕾の中で何かがプツリと切れてしまった。小学生がこの病気を理解できないのも、無理はない。だが、美蕾も小学生で、子供で、強くなかった。

 それ以来、彼女は学校に行っていない。ずっと家の中で兄と過ごし、他人と関わらず、自宅学習を続けていた。数週間眠り続ける時期が、二、三か月に一度のペースでやってくる日々は、みるみるうちに彼女の精神を蝕んでいた。


「学校、行ってみたい」


 そんな風に美蕾が言い出したのは、中学二年生の春だった。きっかけは宰吾には分からなかったが、何かが彼女を変えたのだろう。宰吾は、背中を押した。

 だが、午後の授業だけ受けに行った美蕾は泣きながら帰ってきた。周りと一切馴染めず、勉強にもついて行けず、散々な自分が惨めに思えたと言う。それから、彼女は再び家に籠り始めた。

 そんな中、修学旅行の季節がやってきたのである。


「お兄ちゃん……私、自信ないよ」


 美蕾の消え入りそうな声に、宰吾は真剣に耳を傾ける。


「なあ、美蕾。今、お前はこれまでで一番調子いいだろ? もう半年も寝込んでない」


「……それはまぁ、そうだけど」


「今の美蕾が行動しなかったら、過去の美蕾はきっと怒ると思うぞ」


 宰吾の言葉に、美蕾は首を傾げる。


「これまでのお前は、やりたくてもできないことばっかりだった。でも、今は違う。できそうじゃないか。過去のお前ができなかったことが。それをやらないなんて、もったいないと思わないか……?」


 美蕾の瞳に、宰吾の真っ直ぐな眼差しが写り込んだ。唇を噛んだ美蕾は、目を伏せる。


「……でも、どうなるか分からないし」


「そのときは」


 宰吾は美蕾の頭にぽんと手を置いて、言った。


「お兄ちゃんが、いる。お前に何があっても、俺だけは美蕾の味方だ。必要としてくれるなら、いつでも駆け付ける。修学旅行先だって」


 宰吾の手の温もりが、美蕾の頭を通して全身を包み込むようだった。


「だから、失敗なんて恐れずに、行ってこい」


美蕾のすすり泣く声だけが、リビングに響く。宰吾は微笑んで妹の肩を抱き寄せた。


「……私、修学旅行、行ってみる」

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