第14話 食堂にて
ぴたーん。
おおよそ、そんな効果音が鳴りそうな、カエルのように窓の外にへばりついた岸を見つめる。
ここは会社──ネクサクオンタムのオフィスビル。その屋外の窓から張り付く岸には、言い出さずにはいられなかった。
「な、なにやってんですか岸さん!」
『こっちを見るな。バレるだろう』
イヤホン越しに彼女から怒られる。
なにが忍びの一族だ。若葉にしかバレていないのが奇跡なくらいである。
『貴様はいつも通り仕事をしろ』
「そうはいったって……」
岸の張り付いた窓は、若葉のデスクのすぐ後ろ。つまり彼女のパソコン画面が丸見えということだ。
「いけませんよこんなの。プライバシーがないです」
『どうせ貴様、チェスしかやらないではないか』
「チェスにだってプライバシーが──」
「なにあんた、さっきから一人で喋ってんのよ」
「──うっ!」
先輩の矢崎に声をかけられる。
「いくら窓際族だからって、窓際に話しかける趣味ができたのかしら?」
「いえ、その」
「それとも、窓際に何か──」
「あっ」
窓際の方を向く矢崎。
やばい、と思って振り向くが、岸の姿はなかった。
「窓際がお友達だなんて、悲しいわね。唯一仲良かった子も、無断欠勤みたいだし」
真希の席を見て、ほくそ笑む矢崎──そうか、彼女はまだ真希が神龍の人間だったことを知らないんだ。
「王野部長も、今日は遅刻みたいだし、とんだ体たらくね。そのツケを誰が払わされるのか、わかってんのかしら」
と、皮肉のたっぷりと籠った舌打ちをすると、立ち去っていった。
少しすると、かさかさとヤモリのように窓際の定位置に戻ってくる岸。
その間抜けな姿に、若葉はため息をつきながらチェスの画面を開いた。
何戦かしているうちに、昼休憩の時間に差し掛かる。
若葉はコンビニ弁当の入ったビニール袋をぶら下げて食堂に向かう。
「いくらなんでも、密着しすぎですよ」
「食事時は最も警戒すべきだ。そこの廊下の曲がり角から急に出てくる可能性だって捨てきれない」
「お、脅かさないでくださいよ」
若葉は食堂のテーブル席に座ると、その向かい側に岸が腰をかけた。
「唐揚げさんで元気を出します」
箸をつけようとする若葉に「ちょっと待て」と静止する。
「その弁当、どこで買った?」
「え?」
「どこで買ったかと聞いている」
「えっと、今朝の駅に向かう時に買う、いつものお弁当屋さんですが──あぁっ!?」
答えた瞬間、若葉の唐揚げ弁当は高らかに宙を舞った。
唐揚げは綺麗な放物線を描き、食堂のゴミ箱の中に放り込まれた。
「唐揚げさんがっ!……な、なんてことするんですかっ!?」
「その弁当は危険だ。刺客に毒を盛られた可能性がある」
「そんな!いつも利用してるお弁当屋さんですよ!?」
「尚のこと危険だ。店員のフリをして、毒を混ぜた可能性がある」
慎重な忍びというより、ただのミステリーオタクではないか……若葉は食堂のカウンターを見て、
「じゃ、じゃあ社食を食べます」
「それも危険だ。調理人の中に、神龍の刺客がいるかもしれない」
「なら、どうすればいいんですか!」
「代わりに、こっちを食べろ」
ポリ袋から出てきたのは、コンビニのサラダだった。しかもひよこ豆とひじきとマヨネーズを混ぜたアレである。
「これはさっきコンビニで買い、細心の注意を払って持ってきた弁当だ。奴らに毒を仕込むどころか、アリ一匹とて入る余地はない」
「その、コンビニ店員が刺客だという可能性とかは?」
「ふふん、それは問題ない」
忍びらしからぬ得意気な表情で、
「仮に毒が盛られていたとしても、商品棚の奥から三番目にある豆サラダを取ってくるとは思わんだろう」
ランチが豆サラダだけになる私の身にもなってほしい──そんな彼女の気持ちを案じたのか、
「案ずるな。ちゃんと飲み物も買ってきた」
「お。それは一体──」
「豆乳」
「──豆乳!?」
オーソドックスな、無添加で無糖の紙パックの豆乳が置かれる。
「まさか神龍の奴らも、商品棚の五列目にある豆乳を選び取るのは思うまい」
まさかランチに、大豆食品ばかりを食わされる羽目になるとも思わなかった。
「いくらなんでも、若い女のランチにしてはヘルシーすぎます」
「朝食に牛丼一杯で腹を痛くするおばさんが何を言っている」
「まだおばさんじゃありません!」
ぷくーっと頬を膨らませた後、ふぅ……とため息をつき、
「気疲れしますね……ちょっと、お茶入れてきます」
席を立ち、食堂の給油ポットに向かおうとすると、案の定「待て!」と止められる。
「不用心すぎる。ポットに毒が入っているかもしれない」
「だったら今頃、食堂は大惨事になっていますよ」
「いや、コップに仕込まれる可能性もあるな」
「だから、そんなことしたら食堂は大惨事ですってば」
「二列目のカップの、下から三番目のカップを選べ」
「ああもう、わかりましたよ」
これなら兵頭の方が幾分かマシだった──若葉は言われた通りの場所に積まれたカップを取ると、お茶を入れる。
戻ってきた若葉は、しゅっとカップ奪われる。
「まだ何かあるんですか!?」
「私が先に飲む」
「ええっ」
「心配するな。私の体には毒の耐性がある」
耐性があるなら毒の検査はできないのでは──そんなことをよそに岸は、くいっと一口含むと「よし」と若葉に差し出す。
「今回の作戦だって、疑心暗鬼なものだ」
「それって」
驚いた。
兵頭と同じことを言っている。
「つくづくおかしな作戦だ。総動員で貴様のような平社員一人を護衛しろなどと。王野さんはおかしなことをおっしゃる」
「私が思うに──」きろり、と若葉を睨む。
「──この作戦は建前で、私たちは何者かによって試されているのではないかと思っている」
「試されて、いる?」
「私からしてみれば、王野さんは眉唾だ。彼女の経歴はおそらく嘘。独断で奴の母校を調査したことがあるが、王野さんを知るものはいなかった」
「何も、私だけが疑っているわけじゃない。もしかしたら、王野さんは神龍の人間と繋がっている可能性も──」
話を聞きながら、若葉がカップの茶を口に含んだ、その時だった。
ごつんっ。
岸の前頭部が、テーブルに突っ伏した。
それを見た若葉は、ぶーっと茶を吐き出す。
「ち、ちょっと!岸さん!?」
彼女の体を揺さぶる。が、顔を傾けてみるとすーすーと寝息を立てていた。
「眠らされたようね」
ばっ、と顔を上げる。
長い緑色の髪をかき分けながら、ため息をつく彼女。
「慎重が聞いて呆れるわ」
「あ、あなたは……?」
「私は聖(ひじり)──あなたの、次の護衛任務にあたっている者よ」
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