第12話 人工知能は死体の夢を見るか②

「あれは死ではないよ、啓介くん。ボク達は山奥まで、名も知らぬ女の自慰を見に行っただけだ。……だが、やはり君の興味はそこにあるのだね」

「え……?」

「あの場所から帰って以来、君の瞳の奥には常にあの女の影が映っている。ボクは君を取り戻す必要が有ると考えたのだよ」

「ま、待ってください。意味が分かりません!」

「君、屍姦症ネクロフィリアに罹患しているだろう。その様子だと自覚は無いみたいだがね」


 九郎の指摘に、啓介は喉から乾いた音を鳴らす。


「別に君の性的嗜好を咎める気は無いよ。だが、ボク以外の女に欲情するのは看過できない。君はボクの助手なのだから」

「こ、これは欲情とかそういうのじゃ……!」

「御託は不要だ。今からボクの死体で、君の性癖を上書きする。明日からは、毎朝ボクで夢精するようにしてあげるよ」

「ひい……!」


 九郎の狂気を目の当たりにし、思わず悲鳴が漏れた。彼女は細く綺麗な指で小気味良くキーボードを叩くと、啓介のに画像を出力する。

 着物姿の九郎が乳房を曝け出し、河の水面に浮かんでいる。左の乳房は出産を終えて奇形と成り果て、残った肉に無数のおたまじゃくしが群がっていた。髪は白くなっているが青染めの部分はそのままであり、白くなるのは黒髪の部分だけなのだなと、啓介は妙に冷静な分析をしてしまう。

 だが机の下では、彼の壊れた性的欲求が鎌首をもたげ始めていた。


「ただの死体ではなく、神に犯された死体でないと興奮できない異常性癖か。中々の贅沢者だねぇ」


 九郎はにやにやと湿っぽい笑みを浮かべて、啓介の首筋を舐め回すように視線を移す。


「『愛してその人を得るのは最上である。愛してその人を失うのはその次に良い』。ボクの好きな言葉だ」


 先程までの狂気とは一変し、九郎は手元のコーヒーカップのふちに指を伝わせて、冷静に説く。


「前にも言ったが、ボクは死を愛している。死体ではなく、死という概念そのものをだ。それは偽りの中に生まれ落ちた人間が、唯一真実を曝け出せる瞬間だから」


 啓介には、いまだにこの言葉の意味がよく分かっていない。九郎が時折見せる、死に対する感情の機微からその片鱗を窺い知るのみである。


「ボクは今でも、君の死体を見てみたいと思っているよ。……君はどう? ボクの死体を見てみたい?」


 あまりに背徳的で、甘美な問いだ。彼女はきっと、その問いに「はい」と答えさせてくれるだろう。

 だが啓介はその一言を、茹った脳内で必死に抑え込む。


「わ、私は……」


 刹那。部屋の入り口側が異常な暗闇に包まれたかと思うと、その奥から肉芝仙が姿を現す。無論、本物である筈が無い。人工知能のもたらす呪いによって定められた、死の運命を実現する為の舞台装置だ。


「そ、そんな馬鹿な……! ただの人工知能で、こんなのあり得ない!」

「何もおかしくなどないさ。神も人工知能も、その本質は変わらないものだ」


 九郎はまるで死を受け入れているかのように、一歩もその場を動こうとしない。啓介は立ち上がらずにはいられなかった。


「何を言ってるんですか! 早く逃げないと!」

「何故だね? これは君の望んだ光景そのものじゃないか」

「私は——」


 肉芝仙はその巨体を強靭な後ろ脚で跳躍させ、九郎へと襲い掛かる。すると彼女の身体からばしっと黒い羽根が散り、が身代わりとして分離した。

 肉芝仙はそれに覆い被さると、服を破いて写真の光景を再現するように犯し始める。その様子を、啓介は息を荒げて険しい顔で見ていた。


「……それが君の答えという訳だね」

「私は……九郎さんに死んでほしくありません。九郎さんだけじゃない。もう目の前で人が死ぬのは、真っ平ごめんです」

「取り敢えず座りたまえ。今でちょうど、一時間と一分だ」


 幸いにも、死の運命からは逃れられたらしかった。真横では現在進行形で偽物の九郎が犯されているが、啓介は一先ず安堵と共に腰を下ろす。すると何故か、目の端から涙が流れてきた。


「あれっ……変だな」

「いや、それが正常なのではないかね。ボクには理解できないが」


 身体が震えている。直ぐ横で自分の知る人間が殺されようとしているのが、恐ろしくて堪らない。


「く、九郎さん。此処を出ませんか」

「いいとも。ボク行きつけのカフェにでも行こうかね」


 九郎の死ぬところなんて、たとえ嘘でも見たくなかった。


 ブロウン荘から出た二人は九郎の運転で車を走らせ、少し離れた場所にある道沿いのカフェへと足を伸ばす。有名なチェーン店で、広い店内には、ゆったりと使える半個室の座席が沢山用意されていた。


「ブラックコーヒーを」

「私は緑茶をアイスで……」


 注文を取って一心地つくと、九郎は話し始める。


「以前に信仰の話をしたのを覚えているかね。〈信仰が失われれば神社はその力を失う〉なんて述べた気がするが、あれは逆説なのだよ。神社というのは、人々が〈そこに信仰を集める〉と決めた場所なのさ。神社を作る土地というのは、特別な場所である必要は無い。大切なのは、〈神にこの場所を捧げる〉という信仰心なのだからね」

「はあ……しかし何故神社の話を?」

「現実世界に神が影響を与える時、そこには必ず〈神社〉の存在がある。それは建物として形が有るとは限らない。人々がそこを神社と定めて信仰を集めれば、そこに神の領域が誕生するという事なのだよ。あのAIは、人々の信仰によって電網に降誕した神の一種という訳だ」

「インターネット上に神社ができてしまったという事ですか……?」

「いかにも。日本は〈八百万の神〉といって、この世の万物に神が宿ると信じてきた特殊な信仰体系を持っている。それが地盤となり、この世の万物を媒介として神の世界が生まれてしまうという訳だ。ボク達電網探偵はその世界を〈境内チャネル〉と呼んでいるのだよ」

「チャネルって……アカチャネルの?」

「元々は〈神智学〉という学問の用語で、〈水路〉という意味だ。そしてチャネルに自分の意思で干渉が可能な能力者を、〈巡礼者チャネラー〉という。アカチャネルの用語は、その多くが神智学から取られたものなのだよ。創設者であるマコトとボクが、神智学の学徒だったものでね」


 九郎がアカチャネルの創設メンバーである事に驚いていた時期もあったなと、啓介は懐かしい気持ちになる。


「もう薄々気が付いているかもしれないが、アカチャネルはボクが電網探偵として活動する為に開発した、〈信仰増幅ツール〉なのだよ」


 チャネラー達に怪異を観測させ、巡礼者チャネラーが干渉可能な状態へと固定する。アカチャネルもいわば、電網に築かれた一つの神社だったという訳だ。


「アカチャネルは神の住処を暴く剣だ。その力でボクは、いつの日か神を殺してみせる」


 どんなに痛々しい台詞も、九郎の口から吐かれると本気に聞こえてしまう。彼女は自他共に認める、大嘘吐きだというのに。


「神を殺して、どうするんです?」

「決まっているじゃないかね。ボクはその死体が見てみたいのだよ。そこにはきっと、世界の真実に繋がる手掛かりが横たわっている筈だからね」


 ここで九郎は、「だが」と一拍間を開ける。


「その前に今一度確認しておきたい。ボクが啓介くんをそばに置いているのは、君の死体を見る為だ。ボクは怪異に脅かされる人々を救う正義の味方ではないし、むしろ自分の興味本位で他人の命を奪おうとする、怪異の側だと言っていい。それでも君は、ボクと共に来る事を望むかね?」


 九郎が自分を手放そうとする理由が、啓介には何となく分かった。彼女の玩具として役割を全うするには、精神が脆過ぎるのだ。

 不知ず森神社で、土蜘蛛に襲われた時。そして今回の一件。内容に差異はあれど、啓介は二度も〈死を正しく認識できなく〉なった。

 それは、九郎の求める人物像に反する。この先啓介が精神を壊して使いものにならなくなってしまうなら、そうなる前に手放した方が互いの為になると考えているのかもしれない。


「私は……」


 何か気の利いた事を言おうとしても、啓介には九郎のような人生の哲学が無い。自分の生き方をはっきり決めるのは難しいものだなと、彼はしばらく口を噤んだ。

 そして、飾り気の無い言葉を選ぶ。


「貴女を信じますよ。九郎さん」

「そうかね! それは良かった。実は明日から取材に行きたい場所が有ってだね!」


 先程の真剣な空気など全て得意の嘘だったかのように、溌剌とした口調で九郎はまた碌でもない計画を捲し立てる。

 その言葉を苦笑いで右から左へ聞き流しながらも、啓介は晴れやかな気持ちで届いたばかりの緑茶を啜った。


 暗く閉ざされた部屋。言葉の代わりに打鍵音だけが鳴り響く中心で、女が青白い画面に向かってにやにやと悦びを発露している。美人でスタイルも良いが、目の下の大きな隈とぼさぼさの髪が、不気味な印象で全てを塗り潰している。


「はいまたバカ女が一人釣れたでござるぅ! 死刑死刑死刑! 天誅天誅天誅天誅!」


 女は素人変態倶楽部へのログイン時に入力されたメールアドレスを不正に利用し、匿名のメールを送信していた。殺人画像スナッフ生成AIへのURLが記載された、地獄への招待状だ。


「ぶぷっ、何この女ァ。訳分かんない死因ばっかり書いて、気持ち悪いでござるねぇ。こういうバカがガキなんて産むから、日本は駄目になったのでござるよ。やはり小生が削除! 命の選択をせねばならないのでござりますな! そして小生こそが、いずれ来たる新世界の神に——」


 ハイテンションで喋りまくる彼女の背後で、閉じられていた扉がずがんと蹴破られる。


「おいゴラァ! 何ノックせずに開けてんだババァ——」


 新世界の神が扉の向こうに見たのは、漆黒の銃士服に身を包んだ銀髪の男だった。顎髭を蓄えた口元には黒い煙草を噛み、鋭い歯を剥いて煙を吐いている。


「ご機嫌よう、お嬢さん。世界の終わりにゃまだ早いが、お前さんを裁く審判の時だ。……何人殺した?」

「あぁ!? そんなのどうでもいいから数えてねーし! てか誰だよオッサン!」

「死神だよ。見りゃ分かんだろ」

「ふざけんな! 警察呼ぶぞ!」

「自首でもするか? なら縛り首で済むかもな」


 電網探偵ルシアスが冗談を言うと、女はけたけたと笑い始める。


「へえ! 日本じゃ、で死刑になるんだぁ!? 小生知らなかったでござるぅー! バカの罪で死刑っ! ギャッギャッギャッ!」


 女は確信犯であった。手を下したのはあくまでも超常の存在であり、彼女自身はその媒介に過ぎない。仮に警察へ突き出したところで、殺人幇助にすら問えないだろう。


「君がヤッてるのは、不法侵入でござるぞぉ? あと痴漢! 痴漢痴漢痴漢っ! 判決ぅ〜死刑ーっ!!」


 一人で楽しそうな女に、ルシアスは溜め息を吐く。


「誰が法で裁くなんて言った? お前さんの罪は、もうそんな次元じゃねえよ」

「ハァー? さっき言ってたじゃん! ボクちゃん死刑なんれしょぉ〜!?」

「死刑じゃねえ。だ」


 ルシアスは腰のホルスターから両手で二丁拳銃を抜くと、銃口下の刃で女を十文字に切り裂く。


「え……?」


 大きく張った胸元の布が横一文字に裂けて、ぱっくりと割れた布地の下から乳首が露出する。


「えっえっ……? ちょっと何コレ……!」


 続いて服が縦に裂け、服の全てがずるりと落ちて全裸を曝け出す。


「嘘っヤダヤダヤダ……! ねえボクちゃん死んでないよね⁉︎ まだ生きてるよねぇ⁉︎」

「こういう時、日本の古典じゃ何て言うんだったっけな。……お前さんはもう死んでる、か?」


 女の乳房に赤い血の線が横に奔り、自重に負けてズレ始める。


「あっあっあっズレちゃう! たずっ! たずげ――がびゅっ!」


 断末魔を上げながら女は脳天から真っ二つになり、体液やその他の内容物を床に撒き散らしながら崩れ落ちた。

 それと同時に、女が失禁しながら白目を剥いて、床に転がる。


は見れたか? 小便の始末は、起きたら自分でする事だな」


 ルシアスの身体は黒い羽根となって散り、その場から消え去った。

 その日以降、殺人AIへの招待状はぱったりと止み、宣教師を失った電網の神は少しずつ人々の記憶から消えていったのだった。

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