第14話 サッドと私の共同作業

 ジュリエットへ操縦を交代する寸前、俺はちょっとした眩暈に襲われた。

 眩暈はほんの一瞬で直ぐに消えたが、操縦が若干乱れてしまったようだ。

 以前病気で頭を手術したが、その後遺症なのか一瞬の眩暈に襲われる事がある。眩暈の頻度は極まれにしか起こらないので今まであまり気にしていなかったが、フライトに影響を及ぼすようならしっかりと医者に診てもらう必要が有りそうだ。

 しかし、ジュリエットは良くやっている方だろう。まあ、時期相応といった所か。

 地形を見る事も、地図を読む事も、経験を積まなければ難しい。

 特に民間のヘリと違って軍用ヘリは、CFやNOEといった超低空飛行を日常としている。通常の訓練ならば飛行経路を前日から計画して、十全な準備を行った上でフライトに臨む事も可能だが、軍の演習ともなれば離陸の数時間或いは数十分前に計画が下達されて、飛行経路の確認も、戦闘計画の確認も慌ただしく行う事などざらに有る。

 それが、実戦ならば尚更だ。だから、軍用機のパイロットには多かれ少なかれ図形や文章を写真の様に記憶するフォト・リーディングという技術を身に付けている。もちろん、最初からそんな技術を持つ者は稀である、日々の訓練での失敗で少しづつ身に付けて行くのだ。飛行経路を迷って、戦闘地域へ辿り着けないパイロットなど必要ない。

 山躑躅の群生地から再びジュリエットと操縦を交代したが、それ以降は大きなトラブルも無く接敵機動の訓練を終える事が出来た。

 指導事項はその都度言ったが、細かい事は着陸後にデ・ブリーフィングで話をすれば良いだろう。

 間もなく飛行場だ、あまり自信を失って貰っても困るので少しフォローしてやろうか。

 まあ、見た感じそれ程落ち込んでる様子は無いが。

 俺も今ではヘリを飛ばすのに特別頭では考えていない。こうしたいと思えばその通りに機体が動く、勝手に手足がそうなる様に動くのだ。

 ただ、当然そうなる為には多くの経験と努力が必要だったが。

 はっきり言って自分は操縦が下手で、センスのある同僚に何時も嫉妬していた位だ。ただしフライトする事、操縦が上達する為に努力する事は不思議と全く苦じゃ無かった。当初は落ちこぼれだった俺もいつの間にか練度Aだ。慢心を戒める為に新人の時のタックネームであるサンダーを今でも使い続けているが、その名前の由来を知る者も今ではほとんど居なくなってしまった。

「よしジュリエット、飛行場への着陸は俺が口頭だけで指示する。俺の指示する通りに操縦するんだ。

 もう一度言うぞ、俺がパス角(進入角度)や軸線、速度を判断して指示するから、お前はその通りに操縦する。

 判断は俺、操縦はお前だ、いいな」


「了解」

 どゆこと?これも訓練の一環なんでしょうけど。

 通常の離陸や着陸はいつもやっているけど、だからと言って決して簡単な操作では無いわ、他の色んな飛行要領に比べても遜色無い位に奥が深い。まあ、操縦ってものは完璧を求めれば幾らでも突き詰められるんだけどね。

 当然私は、未だに納得の行くアプローチなんて一回も出来ていない。特にランウェイに軸線を合わせるのが苦手なのよ。

 第4旋回、つまり着陸する為の最後の旋回の時には旋回が終わった段階でランウェイの中心線の延長線上に機体を乗せなきゃなんないの。だけど空の真ん中に線が引いてある訳も無いし、飛行場に吹く風によってどのタイミングで旋回を開始するかも変わって来るし、もちろん旋回中もバンク角(機体の傾き)を微調整しながら風に流されない様に修正しなきゃだし、もー大変なのよ。

 理想は旋回を終了した時にピッタリ軸線に合ってる事なんだけど。今はなかなか上手く行かないの。

 着陸時の条件がその都度変わるってのが先ず難易度を上げてる原因ね。

 例えば風。風っていつも同じ方向同じ強さな訳ないでしょ。当然、風向き、そして強さによって旋回を終了した時の機首の向きが違ってくるわ。正対風の時ならランウェイの軸線と同じに合わせたらいいけど、左右斜めから風が吹いてたら予め風上側に機首を向けた状態で旋回を終了しないとせっかく軸線に乗せてもすぐ風下側に流されちゃうわ。そうあの時、私が一番最初に操縦した時みたいにね。

 さて、飛行場の場周経路に入ったわ、管制塔へ通報よ。

「レントンタワー、サーペント09 ジョイン ダウン・ウィンド」

(管制塔へ、場周経路のダウン・ウィンド・レグへ進入しました)

『サーペント09、レントンタワー リポートベース』

(サーペント09へ、ベースターン(第3旋回)で通報してください)

「リポートベース、サーペント09」(サーペント09了解、ベースでリポートします)

 了解って英語でラジャーだけど、無線交信の時は省略する時が多いわ。管制塔からの指示に対して単に自分のコールサインを答えるだけで了解の意味になるのよ。

 着陸前点検も、さっさと済ませちゃいましょ。

「N2(エヌツー:パワータービン)100(%)、ワーニング、コーションOFF、エンジン(油圧)ミドル・グリーン(計器指示グリーンマーク中央)、ミッション(トランスミッション油圧)ミドル・グリーン、フュエル(残燃料)380(lbs:ポンド)、ランウェイ クリア、停止目標アビームG(ゴルフ)タクシーウェイ(Gタクシーウェイ真横)」

 正面の大型ディスプレイに表示された計器を素早くチェックする。

 よし、各計器指示に問題なし。燃料はほとんど残ってないわ、つまり離陸時よりだいぶ機体重量が軽いって事ね。

「ファイナル、オポジット・ベース クリア。第3旋回ロール・イン、降下開始」

(場周経路のファイナル方向及び対向方向からの進入機無し、第3旋回及び降下開始)

 周囲の安全確認を実施、トラフィック・パターンの規定の位置で旋回を開始、併せて現在1000ft(フィート)有る高度を進入諸元の800ftまで降下させる為、左手のコレクティブ・レバーを下げる。

 操作をしつつ、同時にタワーへも通報。

「レントンタワー、サーペント09 ターニング・ベース、フルストップ」

『サーペント09、ランウェイ34、ウィンドカーム、クリアド トゥ ランド』

 管制塔から着陸許可が来た。ウィンドカーム、風は無風かそれに近い状態ね。

 第3旋回は降下しながらの旋回で更に減速もしなきゃだから、これまた何気に難しいわ。旋回だけ、降下だけ、減速だけの単純な操縦と違って旋回と降下、そして減速の三つの操作の組み合わせだからね、最初に説明したアレよ。

 覚えてる?〈クロス・カップリング〉

 旋回や減速を開始する時にサイクリック・スティックを傾ければ、それに伴って別の動きが発生する。コレクティブを下げても同じ、旋回を終了する為にサイクリックを戻しても、降下を止める為にコレクティブを上げても、そう。

 一つ一つの操作に別の動きが絡んでくるのに、更に旋回と降下、そして減速の組み合わせだから難易度も跳ね上がるって訳よ。それをトラフィック・パターンをキチンと飛んで、最終的に速度と高度を進入諸元にピッタリと合わせるのよ。

 よく、指導されるのが『速度100kt(ノット)は100ktピッタリに合わせろ、99ktでも101ktでも駄目だ。高度800ft(フィート)なら810ftでも790frでも駄目だ』って事。

 飛行諸元を決められた通りにセットする事に妥協しちゃダメ、誤差0を追求すればいつかそれが出来る様になる。そしてそれが出来れば、誤差の+-1ktは自分の安全マージンになるって事よ。

 普段のフライトを80%の実力で飛行する。20%の余裕が有れば、かえって85点や90点の飛行が出来るわ。最初から100点を狙ってそれを外すと0になりかねない、オール・オア・ナッシングのとってもリスクの高い操縦になってしまう。

 だから普段は70点の操縦でも、緊急状態では逆に80点や90点になる。そんなパイロットに私はなりたい。

「よしジュリエット、バンクはそのまま、コレクティブはもうちょい下げ」

 いよいよサッドからの指示が開始されたわ、これ以降は判断を全てサッドに任せて私は操作だけに専念すればいいのね。

「了解」 

 機体はランウェイを左に見ながら降下旋回する。

「旋回が安定したら減速操作だ、スティックをほんの僅か後ろへ」

「よし、コレクティブちょい戻せ。ロール・アウト準備」

 間もなく第3旋回を終了する、風は無視出来るレベルなのでヘディング(機首方位)は070(70°)になる筈よ。

「ロール・アウト」

「了解、ロール・アウト」

 私は、努めていつもの操舵速度で旋回を終了させる為に舵を戻す。

「速度に注意、まもなく80kt、まだ頭を下げるな。

 よし、コレクティブ上げレベルオフ(水平飛行)800ft(フィート)。

 サイクリックやや前へ、80kt(ノット)よし」

「はいレベルオフ、速度・高度良し」

 水平飛行に移った時にピッタリ800ft、80ktの進入諸元にセット出来た。サッドの指示に従って操作しただけなのに、凄い。

 多分コレクティブの初動の下げ舵をやや大きく使ったお陰ね、それでスムーズに降下に移れたみたい。でもそれだけじゃ無いわ、諸元が狂う前にそれを制する舵が使われてる。私が気付けていない機体姿勢の小さな変化やその兆候をサッドは掴んでるのね。

 次はいよいよ、私の苦手なファイナル・ターンよ。

「よし滑走路の軸線に乗せるぞ、第4旋回(ファイナル・ターン)ロール・イン」

「了解、ロール・イン」

 ここは、800ftを保ったまま水平旋回よ。

「バンク、そのまま。

 ロール・アウト準備、ロールアウト・ヘディング340

 ロール・アウト」

「了解、ロール・アウト」

 旋回終了、よし軸線にピッタリと乗ってるわ。

「どうだジュリエット、ここまで俺は全く手を出していないぞ。指示は出したが操縦はお前が全てやったんだ」

「はい、凄いです。一発で諸元通りにセット出来てます」

「繰り返すが、俺は指示しか出してない。つまりお前は航空機を操る事に関しては十分に出来ているって言う事だ、決して下手なんかじゃ無い。

 ただ俺に比べれは、圧倒的に経験が足りない。だから諸元のセットに時間が掛かったり、修正操作が大きくなったりする。

 経験はただ飛行時間を稼げは良い訳じゃ無いぞ、一回一回のフライトを大切にな」

「はい」

 次はいよいよ最終進入よ。

『オール・ステーションズ、レントン・タワー。エクスペクト ランウェイチェンジ。

 ウィンド 160(ワンシックスゼロ)アット5(ファイブ)』

 タワー(管制塔)から飛行場周辺に在空してる全ての航空機へと指示が出されたわ、ランウェイチェンジを予期しなさいって。

 ランウェイチェンジって事は、今とは逆方向でランウェイを使用するって事よ。

 航空機は風に向かって離陸するし、着陸も同じく風に向かってよ。だから風向きが変わればランウェイを使用する方向も変わるの。

 私達はもう最終進入直前だからこのままアプローチさせて、その次からランウェイ方向を変更させるつもりね。

『サーペント09、タワー。コーション、テールウィンド』

 テールウィンド、つまり背風に注意しなさいってタワーから警告よ。

「ジュリエット、風が回ってきたようだ。

 俺たちはこのままランウェイ34で進入するが、弱いとはいえ背風だ。注意していくぞ」

「了解」

 機体はピッタリと軸線に乗っている、ランウェイは正面だ。

「進入、今。

 コレクティブ下げ」

 サッドの指示に間髪入れずコレクティブを押し下げる。

 ここから8°のパス(進入角)に乗って降下していくのだ。

 ん?

 いつも通りの操舵量でコレクティブを下げたのに、思っていたより機体が沈まない。燃料を消費して機体が軽くなってるからかしら。

 背風での進入なら、揚力が減少するから機体の沈みはもっと大きいと思ったのに。

 って言うか、いつも以上に沈まないわ、どゆこと?

 進入操作の初動の舵が足りなかったのか機体は思った以上に降下せず、結果8°のパスに乗れていない。

 速度もセットした80ktより若干だが増えている。このままでいいのか。

「サイクリックをやや戻して、コレクティブ下げ」

「了解」

 サイクリックをほんの少し後ろへ操作して速度を減らし、コレクティブを更に押し下げて本来のパスに乗る様に降下率を上げる。

 機体はこの修正操作によって、正しい速度、降下角に戻って行く。これで安定したアプローチになる筈だ。

 でも意に反して機体は安定しなかった。

 一度減った速度は再び増える方向へ、降下率も再び下がりパスから外れて正しい経路の上へ行ってしまいそうになる、何かがおかしい。

 何か変だとは思う。思うけど、何がおかしいのか私には分からない。

「どうやら、タワーの情報と違ってここは向かい風成分の様だ。

 コレクティブもうちょい下げ」

 ああ、そうか。風、風の吹く方向か。

 しかも結構強めじゃないかしら、燃料を消費して軽くなってるし、コレクティブを下げる量が大きいわ。

 でも、サッドの指示による修正操作で機体は再び通常のアプローチに戻りつつある。

「計器を追いすぎるなよ、諸元のセットはあくまで機体の姿勢を基準に考えるんだ。

 計器の指示や舵の効きには遅れがあるぞ。ヘリは姿勢で操縦するんだ」

「はい」

 しかし順調にアプローチを続けていたと思われた機体は又、諸元を狂わせ始めた。

 何だろう、何かが起こってる筈だけど。こんなに短時間で諸元が変化するなんて初めてだし、しかも修正操作の指示はサッドに出してもらってるのに(実際操縦してるのは私だけど)安定しないなんて変だわ。

 機体には異常が無いから後は環境の要因、考えられるのはやっぱり風かしら。

「サッド、風が―」

「しまったウィンド・シア、いやマイクロ・バーストか!」

 私の言葉を遮る様にサッドは大きく唸る。何がこの現象の原因か思い当たった様だ。

「マイクロ・バースト?」

 どっかで聞いた事があるようだけど、咄嗟には思い出せない。なにそれ、美味しいの?状態の私。

「コレクティブを上げろ、直ぐに強烈な背風になる。地面に叩きつけられるぞ!」

 私は、状況を理解する前にサッドの指示に反応して左手に握るコレクティブ・レバーを引き上げた。けど、ほぼ同時に高度がガクンと落ちる。下りのエレベーターに乗ったあの感じがもっと強烈になったヤツだ。

 コレクティブの使用に対して機体の反応に少しの遅れが生じた為、背風による揚力の損失を相殺しきれず急激な高度低下を招いた様である。

 でも大丈夫、機体はまだちゃんと浮いている。

「よし、何が起こっているかが分かっていればそれに適切に対処すればいいだけだ。このまま背風時の要領でアプローチを継続する、重荷重のイメージだ」

「了解」

 サッドに操縦桿を取られるかと思ったけど、今度はこのまま私に任せてくれるみたい。やった、私の操縦を信用してくれてるんだわ。(まあ、引き続き状況を判断するのはサッドだけどね)

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