内定者研修発表会

 早朝のホール内は、心地よい静寂が宿っていた。リクルートスーツに身を包んだ内定者たちは、次々とホールの中へと進み入る。彼らは、顔を引き締め、重要なプレゼンテーション資料を各テーブルへと並べていく。ホールの入り口には受付テーブルが設けられ、人事課の職員が参加者に名札を渡していた。

「なんだか、ワクワクするね」

 左の腕に名札をつけながら、千明が楽しそうに言った。彼女の抱いた感想は健斗のそれとは異なっていた。

「自分が大役を任せられたわけではないけど緊張するよ」

「大丈夫。目標に向けて全力を尽くしたんだから。私は自信を持っているよ」

 千明は首を傾げ、健斗に投げかけた。窓から差し込む早朝の光が、彼女の顔を柔らかな輝きで包み込んだ。

 ホールの中央には大型スクリーンと講壇が設置された。プロジェクターが点灯し、台上には発表者用の席と、プレゼンテーション資料を整理するためのテーブルが用意された。

 舞台上を眺めていると後ろから肩を叩かれた。

「怖い顔してるな」

 叩かれた方向に振り向くと西野が笑っていた。

「座るか」と、伊東が言い、健斗たちグループは配置された座席へと腰を下した。

 時間が経つにつれ、ホールは内定者で満たされ、緊張感が高まっていった。

 ホール内の照明は薄暗くなり、気がつけば金子社長はステージ上に用意された審査席に座っていた。彼はマスクを付けて、時折、咳込んでいたのを憶えている。

 舞台上に最初の発表者が登ると、スポットライトが彼らを照らし出す。発表はグループのアルファベット順に行なわれ、健斗たちKグループの発表は最後であった。

 発表が始まると、スクリーンには詳細なデータとグラフが次々に表示され、発表者は情熱をもって自分たちの成果を語った。

 各班が独自のテーマを発表していく。「未来のテクノロジーへの旅」と題された発表は、IT企業が取り組んでいる未来のテクノロジーに焦点を当て、AI、ブロックチェーン、クワンツコンピューティングなど、革新的な技術に関する解説やデモを内定者が行なっていた。豊富な情報を収集し、技術や概念の理解を深めるための苦労が伝わる。信頼性のある情報源であることを証明するため、企業に出向き説明を聞く様子も示されていた。

「たしかに、『未来のテクノロジーへの旅』だね」と、隣に座る千明は嬉しそうに呟いていた。


 健斗の心を躍らせたのは『成功の鍵』という発表であった。企業の開発プロジェクトを調査し、成功の舞台裏を紹介するという内容であった。プロジェクトメンバーやマネージャーへの取材、プロジェクトの課題となったことや解決策がドキュメンタリースタイルで流れる。彼らは自分たちの発表でさえ、物語の一場面のように仕上げていた。

 どのグループの発表においても、質問の時間が設けられ、社長がいくつかの疑問を投げかけていた。

――プロジェクトメンバー間のコミュニケーションと協力がプロジェクトの成功にどのように寄与しましたか?

――プロジェクトの中でのリスク管理と対処策についての詳細を教えてください。プロジェクトが成功するためにどのようにリスクを軽減または回避していましたか?

 金子社長がマイクを握るたび、会場には緊張の雰囲気が漂った。金子社長は声を発することが難しい様子だったが、彼の顔つきは威厳に満ちていた。

「大丈夫、君たち、答えられる?」と、南は質問に神経質になる健斗たちを冷やかしていた。

 どの発表も丹念に練られたトピックと誠実な取り組みによって、卓越した成果が表れていた。

 健斗は不安な気持ちを抱いていた。自分たちの発表がそのレベルに達しているのか、自分たちの言葉が小さく、脆弱に感じてしまうのではないか。


 発表が近づくと、健斗たちはステージ裏に待機した。そこは、一層の静寂と緊張が漂っていた。

 背後から漏れる微かな舞台の音と観客である内定者たちの反応が背筋に伝わってくる。

 主要な発表者である北条と南は驚くほど平然としていた。

「緊張はしないんですか?」と、健斗は北条に訊ねる。

 役のない健斗ですら、不安に囚われ、圧倒的な気圧に押し潰されそうであった。

「いや、少しはしているよ。でもね、発表は慣れているから。それに私たちの成果は他のグループにも劣らないものでしょ。自信を持っているの」

 北条は微笑み、自分の発表をまとめたノートへと視線を落とした。昨日までの緊張は和らいだのであろう。他のメンバーも北条への心配は薄れていた。

 むしろ、「南さん、大丈夫かな」と、北条は南の心配をできるほど余裕を持っていた。

「南なら、平気に思うけど」

 伊東が言う。

「私には強がっているだけに見えるけど」

 北条は南に聞こえぬよう、控えめなトーンで告げた。

「何かあったんですか?」

 気になり健斗が訊く。

「いや、昨日、金子社長と彼女が喧嘩している声を聞いたの。聞くつもりはなかったんだけど、廊下を歩いていたら、たまたま聞こえてきてね。たぶん、彼女と金子社長は恋人ではなくなったと思う」

 北条は声を抑えながら、健斗と伊東だけに打ち明けた。

 健斗は南の顔を盗み見る。彼女は今から迎える重要な瞬間を心待ちにし、晴れやかな表情でその到来を待っていた。

 健斗の目には、彼女が深刻な問題を抱えているようにはまるで映らなかった。


 南のことを考えていると、出番が急に訪れた。

 健斗の鼓動は早くなる。健斗の不安は最高潮に達した。

 人事課の職員が手旗信号を送り、健斗たちグループに向かって合図を送った。その瞬間、皆がステージに向かって歩き出す。

 北条がマイクを手に取り、観客席の明かりに向けられたスポットライトの中央に立った。

 グループのテーマである『デジタル時代の三つの鏡』というスライドがスクリーンに映し出される。

 北条と南は、この二か月間で行った自分たちの成果を堂々と伝えた。それは、開花した花が風に舞うように、自らの成果を誇り高く示していた。

 横浜のホールで披露されたプロジェクションマッピングとダンスのコラボレーション映像がスクリーンに映し出されると、ホールに静かなざわめきが上がった。

 南は、この映像の誕生にまで至るまでの苦労を、美しい言葉で語り尽くした。南にこんな才能があるとは知らなかった。彼女は胸を張り、会場の内定者たちに自分の体験を語りかける。その瞬間、彼女の物語は彼らの心に刻まれ、その情熱的な旅路を想像させた。

 南の技術的な論点の不足を補ったのは北条であった。

 彼女は栄養分析アプリを使った料理動画について論述をはじめる。現代社会では健康意識が高まっていること。多くの人が食事についてより詳しく知りたいと考えている根拠を示した。栄養分析アプリを使った料理動画は、健康的な食事の重要性を強調し、視聴者に対して健康に配慮した食事の準備方法を効率的に伝えた。

「この栄養分析アプリに用いられる栄養価の科学的根拠は、バザーラホールディングスが研究機関と共同で分析し、国の保健機関や国際的な栄養学の専門家の承認をいただいております」

 会場を見渡すように北条が告げる。

 体重管理、糖尿病管理、筋肉増強などの目標に合わせた食事プランの構築や料理のアイデアを動画で公開していたのだ。動画の概要欄に食材の栄養情報やカロリー情報を含めたこと。これにより、視聴者は動画をクリックする前に、料理の栄養情報を確認でき、より関心を引くことができたと伝えた。

 北条が動画の再生回数を伝えると、会場には騒然とした様子が広がった。

 最後に南と北条でITを活用したリフォームの取り組み内容について発表した。

 現在の住宅リフォームには、エネルギーの効率化、安全性の確保、快適さ、バリアフリーなど様々な課題があることを南が説明した。

「課題への対応をITテクノロジーを用いて分析しました」

 北条が言う。

 エネルギー効率向上分析や残存物の予防保守と故障予測などは健斗と伊東が分析した。また、依頼者へ完成後のイメージを伝える題材を作成したのも伊東と健斗である。

 そして、西野の指導の下、改装工事は進行した。その、生々しい改修映像がスクリーンに流れていく。内定者たちの視線は一様に映像に引き寄せられていた。

 映像は実際の改修された部屋を映し出した。そのタイミングで南がマイクに口を近づける。

「私たちは、テクノロジーの力を借りて、より効率的かつ魅力的な社会の実現について考えました。ツールとアプリケーションを駆使することで、私たちは食環境や住環境、または娯楽価値を向上させ、快適な生活を追求する手助けを受けることができます。この技術の進化によって、新しい可能性が広がることに、実社会がこれからますます楽しく、持続可能になることに胸が弾まずにはいられません。数年後の近い未来にこの日本がどのような発展を遂げているのか楽しみでしかないのです。未来の発展を、私たちが主導して内定者の皆さんと共に築いていくことを今から期待しております」

 南が頭を下げ、他のメンバーも同時に頭を下げた。会場には高らかな拍手が鳴り響き、健斗は達成感に満たされた。ステージの裏まで向かう途中、南の鼻をすする音が聞こえ、健斗も目頭が熱くなった。抱えていた不安はいつの間にか取り払われていた。この二カ月間、多くの苦悩があったが、充実した毎日であった。皆で一つの目標に向かい達成することの喜びを健斗ははじめて知ったのかもしれない。

「おつかれ。よかったね」

 後ろから、千明に声をかけられた。

 振り返らず「うん」と、健斗は目頭を拭いた。

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