第32話

その後、ジョシュアは王宮の騎士団用宿舎で過ごすようになり、サイクス邸には戻ってこなくなった。


アリシアと顔を合わせることはなくなり、彼女の心は嫌でも沈んでいく。

ジョシュアに面と向かって謝りたいと思っていたが、その機会はなさそうだ。


(あんなに酷いことを言っちゃったんだもの、仕方ないわ。謝っても許してもらえないだろうけど……)


「もう嫌われちゃったな……バカだな、私」


アリシアはぽつんと呟くと少しずつ俯いた。頭と一緒に気持ちも下がっていく。


しかし、口に出してしまったものは取り返しがつかない。


前向きに考えるためにもアリシアは使用人たちとよく話し合った。


その結果、ブレイクの提案はとても魅力的だがアリシアの望むようにして欲しいと全員から忠義者らしい返事が返ってきた。


ジョシュアに相談したいとも思ったが、全く帰って来ない婚約者は明らかに自分を避けていると諦めた。


結局、アリシアはブレイクの提案通り王宮に居を移すことに決めた。


サイクス侯爵夫妻と長兄のカイは心底残念がってくれて、いつでも戻ってきていいと言ってくれた。


彼らの優しさに胸を打たれて、アリシアは少し涙ぐんでしまった。


「まったく!うちの次男坊はあんなにゴツイなりをしてるクセに、本当に臆病者で……アリシアにも嫌な思いをさせてごめんなさいね。でも、根は悪い奴じゃないのよ。嫌いにならないであげてね?」


夫人から言われてアリシアはいたたまれない気持ちになる。


「ジョシュア様には心から感謝しています。でも、私ではジョシュア様のお心に叶わないのかもしれません。私なんかにはもったいないくらい素敵な殿方ですから」


泣き笑いの表情で言うと、夫人は複雑そうな顔つきでアリシアを抱き寄せた。


「ごめんなさいね。不器用な子だから。本当はアリシアのことが好きなのに、それを表に出せないのよ」


「……そうだといいんですが。でも、ありがとうございます。このご恩は一生忘れません。いつか必ず恩返しさせて頂きます」


アリシアは心からそう思った。


***


王宮での生活は驚くほど快適だった。


いずれは領地に行くつもりなので一時的な滞在ではあるが、ブレイクはアリシアたちのために心を砕いて受け入れの準備をしてくれたようだ。


ミリーだけでなく、執事や料理長、他のベテランの使用人たちも王宮で新人研修の講師を依頼されて、やりがいを感じているのが分かる。


アリシアはみんなが幸せそうで、ホッとした。


それにアリシアも新しい魔道具作りに毎日忙しい。魔道具師と相談しながら指紋採取とマッチングが可能な精度の高い魔道具作りに勤しんでいる。


他にもブレイクや法務官と話し合って、魔道具が完成した時にどのように運用するかも考えなくてはいけない。


異世界でどのように使われていたかを説明しつつ、この世界の法制度での運用を検討していく作業は簡単ではないが、アリシアは充実した毎日を送っていた。


ジョシュアのことを考えなかった日は一日だってない。


しかし、何の音沙汰もない婚約者にはもう嫌われてしまったのだろう、とアリシアは諦めた。胸はとても痛かったけれど。


幼い頃から、ぶっきらぼうなジョシュアのさりげない優しさに気がつく度に、アリシアの心の一等大切な引き出しにジョシュアとの思い出がしまい込まれていった。


彼も恋心とまではいかなくても、多少は好意を持ってくれていると思っていた。


ジョシュアの態度は他の令嬢方にも同じだったし、アリシアに対してよそよそしくてもそれほど気にならなかった。


(でも、アイさんは違う。彼にとって特別な存在だったのは間違いない。私は戻ってこない方が良かったんだわ)


アリシアは無理に自分と結婚する必要はない、といずれジョシュアに告げるつもりだ。


残念ながらアイは元の世界に戻ってしまったけど、彼女への恋心を覚えたジョシュアだったら、きっと別の素敵な女性に恋することが出来るだろう。


(私ではダメだもの……)


十年以上の付き合いがあっても彼に恋してもらうことは出来なかった。


「仕方ないのよ……」


アリシアは、自分でも驚くほど弱々しい声で呟いた。

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