誠実なセンセイ

「すいません。どうしても気持ち悪くて脱いじゃいました。ちゃんとカバンの上に置いてるので床は濡らしてません」


「そう……何かあって着られなくなってたのかと思ってビックリした。大事な制服だからね」


「だから呆然とされて……有り難うございます。他の子が言うとおりだ。生徒思いの優しい人ですね」

 

「担任だから当然でしょ。あ、それとお風呂の事だけどやっぱり……」


「じゃあ私もお風呂頂きます。何だか身体がゾクゾクしてきてて……思ったより冷え切っちゃってるみたいなんです。さっきの『先生に甘えなさい』に甘えちゃいます。いいですよね?」


 え?

 それは……

 そう思ったとき、石丸さんはスッと立ち上がり無言で私の脇をすり抜け、そのまま浴室に入った。

 普段大人しいクセに、こんな時になんで……

 完全に提案するタイミングを逃してしまった。

 

 仕方ない。

 まだ1学期なのに肺炎にでもなって入院したら、彼女の学校生活にマイナスが大きいと思った。

 担任として石丸さんの事しか頭に浮かばなかった。すいません。

 万一問題になったらこう涙ながらに言おう。

 と、言うよりまずバレないだろう。

 この雨だ。

 よほど近くでないと気付く人などいない。

 

 そうだ。冷静になれ。

 何を怯えてるんだ。

 私は真面目で生徒思いの誠実な教師。

 その印象が私を助けてくれる。

 

 そう安堵した私の耳にシャワーの音が飛び込んできた。

 石丸さん……

 私はわざと足音を立てて浴室に近づき言った。


「石丸さん。あなたの服洗濯しとこうか?」


「……すいません、自分でやるので大丈夫です」


「そうよね、ゴメンね。じゃあ私のだけやっとくね。服は先生のパジャマで良ければ置いとくから使って」


「有り難うございます」


 それから彼女が身体にお湯をかけ始めたのがドア越しの影で分かった。

 ガラス一枚向こうの彼女の姿を想像して、自分の身体の血管が酷く脈打つのが分かった。

 心臓から心地よい温もりの血液が流れ出し、身体を暖める。

 

 いけない。

 あまりジッとしてるとバレる。

 自分の服を取るフリをして、石丸さんの下着をじっと見る。

 そして、身体の影に隠れるようにして、そっと彼女の下着に触れる。

 

 自分の服を取ってるだけ。

 たまたま触れただけ。

 生徒になんて興味ない。

 

「有り難うございました。お陰で温まりました」


「そう、良かった。お茶やジュースもあるから好きなの飲んで」


 石丸さんは頭を下げると、お茶をコップに入れて美味しそうに飲んだ。

 私の胸くらいまでしか無い背丈。

 13歳の中学1年生。

 それなのにその姿が大人びて妙に艶めかしく見え、先ほどのガラス越しの影と重なる。

 

「今日は本当に有り難うございました。お陰で生き返っちゃった」


 肩をすくませて話す彼女を見て、私はハッと我に返った。

 そうだ。そもそも彼女はなぜこんな雨の日にずぶ濡れであんな所に……


「本当に良かった。で、なんであんな所に居たの? 良かったら聞かせてもらえるかな」


「はい、その節は本当にご迷惑おかけしました。実は私……両親と上手くいってないんです。それで大げんかしちゃって。私、友達いないから頼れる人って言うと先生しか思い浮かばなくて……で、怒り任せに出てきたから傘のことも忘れて……本当にご免なさい」


「そう……良かったら詳しく聞かせてもらえるかな? 何か力になれるかも」


 そう言いながら、私は内心酷く興奮しているのが分かった。

 理由は二つ。

 一つ目は目の前の石丸さんの艶めかしい姿が絶えず目に入っている事。

 お風呂上がりのコンディショナーやボディソープの混じった、優しく甘い香りは彼女の神秘性。

 そして、私のパジャマを着ているという非現実的な景色と相まって、気を抜くと見とれてしまう。

 手を伸ばせば触れることの出来る距離。

 でも、触れたら終わり。色々と。

 

 二つ目は……今の自分の姿。

 雨の日に現れた教え子。

 全身ずぶ濡れにしてまで教師の自宅前に現れた美少女。

 それを迎え入れて、明らかにただ事で無い話を聞こうとしている教師の私。

 それは、明らかに「非日常の光景」だった。

 

 そう、今の私は明らかに特別な出来事の渦中にあった。

 日々、透明人間になるよう努めて、その通りに淡々と流れる日々。

 特別な存在への憧れがありながらも、日記にして2~3行程度の日々。

 それが、もしかして一本の小説になるかも知れない。

 かねてから目を付けていた特別な美少女と心通わせられるかも知れない自分。

 そんな事実が私を興奮させていた。


 その陶酔のせいだろうか。

 私は何も考えずに言葉を垂れ流した。


「大丈夫。先生はあなたの味方だから。絶対に裏切らない。だから私を信じて」


「……本当に信じていいんですか」


「もちろん。一緒に頑張ろう。私たち2人で」


 その時。

 石丸さんの目に光が戻った……様な気がした。


「嬉しい……やっぱり涌井先生を頼って良かった。実は私、父に……義理の父なんですけど、変な目で見られてるんです」


「え……そう……なの?」


「はい。最初は気のせいかと思ってましたけど、最近お風呂上がりにやたら浴室の近くに居ることが増えてて、偶然を装って中に脱衣所に入ってこられたことも一度じゃ無いんです」


 それは……明らかに……


「それは……マズいね。ただ、その段階だと警察も動けないよね。もっと証拠を揃えてからなら」


 私がそう言うと、石丸さんは小首をかしげた。


「え? 私、警察に相談するなんて一言も言ってませんよ」


 それって……まさか、私に話せって事?

 でも、一歩間違えたら私がクレームを入れられかねない。

 どうしよう……


 目だけ左右にキョロキョロ動かしながら、どう丸く収めるか考えていたら、突然石丸さんが私にしがみ付いてきた。

 突然の事に頭が真っ白になる私に彼女は小さく……でもハッキリと言った。


「先生。一緒に父に会って下さい。味方なんですよね? 信じていいんですよね? 実は先生がお風呂に入っている時『今から話がある』ってラインしちゃいました。一緒に来てくれますよね」 

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