:第11話 「日暮れ」

 強行軍の末、予定戦場に到着したのは午後四時ごろだった。

 そしてそこから開始された野戦築城は、日が暮れ始めてもしばらくの間続き、辺りがほぼ真っ暗になって明かりが無ければ作業が続けられないような時間になってようやく終わった。


 最低限の準備は整えることができていた。

 全員が隠れることのできる塹壕を掘ることができたし、対戦車砲の隠蔽いんぺいも、少なくとも百メートルくらいまで近寄られなければ、自ら発砲しない限りは発見されることはないだろうと思える程にできている。


 即応弾として砲の近くに備えておく砲弾以外の弾薬も、少し離れた場所に塹壕を掘って、数か所に分散配置している。

 直撃弾を受けたとしても、一度にすべてが誘爆するということはないはずだった。


 決して完璧な仕上がりではない。

 訓練でこれまで築いて来た陣地からすれば、粗末な出来栄えだ。

 塹壕は荒々しく歪んだ形になっていたし、最低限の広さしかない。本来であれば木の板などで斜面を保護するところなのだが資材もないので、土がむき出しのまま。

 教範に書かれている理想の姿ではない。


 だが、今はこれが精いっぱいなのだから、納得する他はなかった。

 少なくとも真上に砲弾が降って来ない限り、十分にその弾片から身を隠すことができるだけの深さは確保できていたし、塹壕に期待される機能は確保されている。


 それに、これ以上掘り続けることは難しかった。

 周囲が暗くなって視界が悪くなった、というのと、開戦の混乱によって昼食を摂るいとまもなく強行軍で進撃してきたために、いい加減、空腹で倒れそうであったからだ。


 さすがに体力の限界が近いと見て、ヴァレンティ中尉からも今日はもう休息に入れという連絡がされた。

 正直なところ疲れ切っていてこれ以上動く気力も残っていなかったのだが、なにも食べないわけにもいかず、分隊の面々は持ち込んだ携行糧食に手をつけた。

 今日の朝食以来の食事だった。


 メニューは、缶詰と塩クラッカー、ドライフルーツ、それと粉末のインスタントコーヒーに、健康維持のためのビタミン類の錠剤が少々。

 陣地の後方、丘の麓に湧水が流れ出て小川を形成しており、そこから水を汲んで来て固形燃料を使ってお湯を沸かし、みんなで分け合ってコーヒーを淹れ、食べ始める。


 王立陸軍は糧食レーションとして、いくつかの種別を設定している。

 全部で四つの分類があり、第一種軍用糧食から、第四種軍用糧食までが存在している。


 第一種は、いわゆる温食。

 基地の調理設備や、前線近くに設営された調理場で新鮮な食材を利用して作られる、一般的な食事だった。

 社食や、給食に近いものだろうか。


 残りの三種類はみな、冷食だった。

 第二種が複数種類の缶詰と塩クラッカーや乾パンを組み合わせ、そこに若干の嗜好品を加えた、今食べているようなもの。

 第三種は空挺降下などの強い衝撃にも耐えられ、より軽量に運搬でき、少量でも高カロリーに調整された小型の缶詰。

 そして第四種は、本当の非常食。長距離進出を行う航空部隊などに、撃墜されてしまった際の緊急食糧などとして支給される、高カロリーのチョコレートだった。


 分隊が持ち込んできたのは、すべて第二種軍用糧食だった。

 それが、九食分。

 ただし、缶詰には三種類があり、ビーフシチュー、豆とソーセージのトマト煮込み、ミンチにした肉を塩とスパイスで味付けした肉詰めがある。


 一応、毎食違うものを食べることができるようにという配慮がされてはいたが、分隊の面々に言わせれば、「もう、すっかり食べ飽きた」ものだった。


 なにしろこの二週間ほど、同じものばかりを食べさせられている。

 三種類あろうが、これだけの日数食べ続けると見るのもウンザリしてしまうほどになるし、こうした保存のきく糧食レーションは製造年月日の古いモノ、長期間倉庫の奥で眠っている間に風味が落ち若干金属の味が染み出し始めたようなものから消費していくので、決して歓迎のできる代物ではないのだ。


 それでも、むさぼり食らった。

 衝撃的で、長い一日の末にやっとありつくことのできた食事であり、もはや味など関係がない。

 「金属臭がする」と悪評高いビーフシチューも、「豆がぶよぶよになっていて気色悪い」と敬遠されがちな豆の煮込みも、あっという間に空になっていく。

 いつもなら「わたしには量が多過ぎますし、脂が濃すぎます」と肉詰めを残してしまうG・Jも、今日ばかりは完食していたほどだ。


 そうして空腹が解消すると、次に襲って来たのは、猛烈な眠気だった。

 半日間もずっと身体を激しく動かし続けてきたのだ。

 疲労は蓄積していたし、なにより、出撃することになる以前からずっと演習場に掘った塹壕で寝泊まりをしており、その分の消耗も重なっている。


 だが、全員で眠りこけるわけにはいかなかった。

 まだきちんとした実感を持てずにいたが、王国は戦時に突入し、自分たちはこれから、進撃して来る敵を迎え撃つのだ。

 見張りを立て、異変にすぐさま気づけるようにしておかなければならなかった。


「よし。まずは、オレが見張りに立とう。セルヴァン上等兵と、メローニ上等兵、すまないが付き合ってくれ。交代は、そうだな、二時間後。オレの次はカルロ、適当に二名選んで見張りにつけ。その次はマリーザ、同じく二名選んで見張ってくれ。そしたらまた、オレたちの番だ。みんなくたびれているだろうが、一晩中、見張るぞ」


 ベイル軍曹は素早く割り当てを決め、三交代制を敷くと、濃いめに淹れたコーヒーを金属製のコップから一気に飲み干し、「ふぃ~、目が冴えて来たぜ」と虚勢を張りながら見張りに向かって行った。

 その後を、指名されてしまった二名が、仕方がないというあきらめの表情で、弾薬を装填した武器を手に追って行く。


「軍曹の言いつけだ。せいぜい気張って見張るかねぇ。……おい、ルッカ伍長、そっちは誰を連れて行く? 」

「あたしは、新入り二人にしようかね」

「おいおい、大丈夫か? 役には立つだろうがよ、本職の兵隊をひとりずつ混ぜた方がいいんじゃないか? バランス的に」

「大丈夫だよ、あたしがカバーするし。それに、新入りに無茶はさせたくないしね」

「へいへい、お優しいこって。……んじゃ、俺様はミュンターの野郎と、モルヴァンを連れて行くかね。おい、お前ら! 今のうちにちゃんと休んでおけよ? 」


 あらためてパガーニ伍長に言われるまでもなかった。

 全身が重く、だるくて仕方なかったアランは、「了解です」とあやふやな言葉で返答すると、そのまま塹壕の底に沈んで行った。

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