:第2話 「分隊:2」

 アラン一等兵は、軍隊生活が好きではなかった。

 なにもかもが規律正しくあらねばならず、しかも、階級社会で、上官の命令には絶対に従わなければならないからだ。

 正直言って、息が詰まってしまう。

 のんびりしていておおらかな雰囲気の田舎の農家で生まれ育ったせいか、どうにも居心地が悪いのだ。


 故郷での暮らしが懐かしかった。

 アランの生まれは王国中部の都市、フォルス市の北側にある小さな街の近郊で、農業と牧畜を営んでいた。

 隣の家まで二キロメートル、といった、田園の真っただ中。

 そこに、両親と、何人もの兄弟姉妹と、たくさんの家畜たちと一緒に住んでいた。


 毎日がのびのびとしていて、賑やかで楽しかった。

 中でも好きなのは、乗馬だ。

 自分で走るのよりもずっと速いし、視点が高くなって気分がいい。

 なにより、以心伝心、通じ合った[相棒]と一緒に野山を駆けまわるのは、それはもう、素敵な体験だった。


(そういえば、アイツ、どうしているかな……)


 故郷と同じにしか見えない空を見上げていたアランは、幼馴染の少年のことを思い出す。

 二キロメートル隣の牧場の息子で、こちらよりも一歳年下。確か、ミーレスという、今は使われていない言葉を使った古風な名前だった。

 彼もまた馬が好きで、よく競走したものだ。


(空を飛びたいから空軍に入るなんて言っていたけど、本当に、物好きだよなぁ)


 世の中に飛行機というものがあることは、アランだって知っている。

 王国には、陸軍と海軍と並んで空軍があるくらいだったし、旅客や貨物の輸送のためにあちこちを民間機が飛び回るようになって久しい。

 飛行場だって、王国にはもう、たくさん作られている。


 それでも、アランからすると[空を飛ぶ]などというのは、大それたことであった。


(落っこちたら、危ないじゃないか)


 万物にはすべからく引力が働く。

 飛行機で空を飛ぶことができるのだとしても、ちょっとした事故があれば、簡単に墜落してしまうのだ。

 実際、過去にアランの故郷に双発機(二基のエンジンを持った航空機)が不時着してきたことがあり、そこに暮らす人々の間では今でも語り草になっているほどなのだ。


 それでも空を飛びたいと、空軍に志願兵として入ってしまったのだから、ミーレスという少年は本当に物好きだと思う。

 軍隊生活に窮屈きゅうくつさを感じているアランとしてはなおさら理解に苦しんでしまうのだが、かつて「どうしてそんなに空を飛びたがるのか」とたずねた時に、真っ直ぐな視線で、言葉少なに、「どうしても空を飛んでみたいんだ」と語ってくれた姿は、今でも鮮明に記憶している。


 自分にとっては、信じがたい言葉であったからだ。


「ねぇ、ベイル軍曹! 」


 その時、 煙草がないので仕方がなくその辺に生えていた草のくきをくわえていたパガーニ伍長がまた、声をあげる。


「ぁあん? なんだよ、パガーニ伍長」


 対戦車砲の脇で顔をあげたのは、中肉中背の中年男性。

 この分隊の指揮を任されているフランシス・ベイル軍曹(正確には上級軍曹だが、分隊には他に軍曹はいないのでみな[軍曹]と呼んでいる)だ。


「ヴァレンティ中尉は、いつ戻って来なさるんですかね? さっき、大隊の本部に呼びつけられてたでしょ? 」

「さぁて、なぁ……」


 正午ごろ、無線で急な呼び出しを受け、王立軍全般で用いられている四輪駆動車、ジャンティという名で王立軍に制式採用されてあちこちに配備されているもので慌ただしく出かけて行ったまま一向に戻って来る気配のない小隊長の行方をたずねられた軍曹は、短いあごひげを指先で揉みながら遠い目をする。


「どうにも、おかしなことになっているみたいだからなぁ……。そう簡単には戻って来ないと思うぜ、中尉も」

「いい加減、あたらしい命令がもらえるとええんですがね。ここにおんのもすっかり飽きましたわ」


 甲高い男性の声で、王国南部の限られた地域の特徴的ななまりでそう言ったのは、ビーノ・メローニ上等兵だった。

 褐色の肌に黒髪を持った肉付きの良い小太りの、その声と陽気な性格、いつも笑っているように見える顔立ちのために分隊のムードメーカーになっている人物だ。


 分隊には、王国中の各地から人々が集められていた。

 国防上重要な国境地域での防衛は全国民が平等に負担して行う、という方針が取られているためだ。


 メローニ上等兵の言葉に、「そうだ、そうだ」と他の隊員たちがしきりにうなずいている。

 こんな塹壕とはさっさとおさらばして、シャワーを浴びて着替えてサッパリとし、清潔なベッドでぐっすりと眠りたいものだと、誰もがそう思っている。


 もう十日以上、まともにシャワーを浴びることができていない。

 演習場には川が流れており、そこで水浴びをしたり、洗濯をしたりと、最低限のことはできているのだが、シャワーから出て来る暖かいお湯とマグナ・テラ大陸の背骨を形作る峻険しゅんけんで雄大なアルシュ山脈から流れ出た小川の冷たい雪解け水とでは心地よさを比べようもなかったし、真っ白なシーツが敷かれたベッドで眠るのと、むき出しの土の上で毛布にくるまって眠るのとでは雲泥の差だ。


「や、やっぱり、前に飛んでいった航空部隊のせいなんでしょうか? ま、まさか、連邦が王国を攻撃して来たんじゃ……」


 その時、そう不安そうな声を漏らしたのは、ダニエル・ミュンター上等兵だった。

 金髪に碧眼を持つ帝国系の顔立ちで、銀縁の楕円眼鏡をかけた、少々気弱そうな男性。何世代か前に帝国から王国に移民してきた人々の子孫だ。


「だ、だって、なんだか、遠くから聞こえませんか? なにかが、爆発しているような音が。も、もしかして……」

「オイオイ、縁起でもないことを言うんじゃねぇや! 」


 顔色を青ざめさせているミュンター上等兵に、半身を起こしたパガーニ伍長が怒鳴る。


「戦争だって!? 冗談じゃねぇやい! 王国は中立国なんだぜ? それも、永世中立国として、国際的に認められた立派な国なんだ。連邦も、帝国だって、手なんか出してくるわけがねぇさ。第一、爆発する音なんざ、俺様には聞こえないね! 」

「そ、それは、そうかもしれませんが……」

「そうに決まってんの! この第四次大陸戦争がおっぱじまってもう何年も経ってるってのによ、ずっと戦争に巻き込まれたりしなかったんだぜ? だいたいよ、今さら王国に手を出して、何の得があるってんだよ、ったく! 」


 そんなのは常識ではないか。

 さもそう言いたそうな口ぶりではあったが、———しかし、実際のところ、そこには願望も多くの割合で含まれていた。


 内心では、ミュンター上等兵のように不安がっている者は多い。


 暇を持て余し、ボケッと空を見上げていたから、全員が目撃しているのだ。

 何十機もの大きな編隊を組んだ航空部隊が、西から東へ飛び去って行った姿を。


 王立空軍は第一線級の戦闘機や爆撃機などだけでも千機、その他の練習機や輸送機、旧式機などを含めれば二千機程度は軍用機を保有しているから、あんな風に大編隊を組んで飛行していたとしても、おかしくはない。


 だが、ここで分隊の面々が待機を命じられているように、空軍に対しても五月十五日から待機命令が発せられ、すべての飛行隊は特別な事情がない限り飛行禁止、ということになっていた。


 訓練や哨戒のために飛行している王立軍機というのは、珍しくもなんともない。

 だが、ここ一週間はぱったり途絶えて、一度もその姿を目撃しなかったのに急に、あんな大部隊が、それも王国の内からではなく、外の方向から飛来するなど。


 機体に描かれているはずの国籍章を確認できたわけではなかった。

 しかし、飛び去っていった機影たちは、王立空軍で用いられている見慣れたものとは、違っていた気がする———。


 そこに来て、自分たちが所属する小隊の長が呼びだしを受けて、王立軍でよく利用されている四輪駆動車ジャンティで慌ただしく大隊の本部へ向かって行ってしまったのだ。

 どうしても不吉な想像をしてしまうのは、仕方のないことだ。


 塹壕の中に、嫌な沈黙が満ちる。


 それを破ったのは、馬の激しいいななきと、「うひゃぁっ!? 」という悲鳴だった。

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