王旗を掲げよ 極星編

秋川 大輝

第1話 プロローグ

 

 鈍い音が遠雷のように幾重にも響いた。

 ダイニングのお父様とお母様が立ち上がり、執事が慌てて玄関へと走っていく。


「お父様」


 何が起こったのだろう、

 得体のしれない怖さに、ぼくは席を立つとお父様の腰にしがみついた。

 壁を占める窓からは、庭園と青い空が見えるだけ。嵐は来ていない。

 わずかに遅れて、幾つもの足音が響きだした。


「アムル、こっちへ」


 お母様がぼくの身体を抑え、お父様が壁に掛けられた剣を取る。

 何か異常なことが起こっている、それだけが理解できた。

 執事の声が響き、呼応するように怒声が沸き起こる。


 次の瞬間、開かれた扉に血が飛び散り、崩れ落ちる執事が見えた。

 その身体を跨いでダイニングに飛び込んできたのは、騎士の一団だ。

 甲冑には青くウラノス王国の紋章である桔梗の花が描かれている。

 その姿に安心した。彼らは王宮騎士団だ。

 お父様は、内務大司長という王宮官吏を束ねる仕事だと聞いた。彼らはその部下になるはずだ。


「私はセラン・カイラム。お前たちは反乱か」


 お父様の一喝に、一人の騎士が前に出た。


「サイノス国王陛下より勅命である」


 その騎士が、羊皮紙を広げた。


「セラン内務大司長、謀反の確証有り」

「何を言っている。私が何のために謀反を起こすというのだ」

「問答無用。勅命により、誅すのみ」


 傍らの騎士が剣を抜くなり、お父様の首に叩きつけた。

 青い光が散り、噴き上がる血と宙に舞う首。

 膝を付いた僕の足元に血が広がっていく。遅れてお母様の悲鳴が遠くに聞こえる。

 ぼくは首元を掴まれ、血に濡れた床に押し付けられた。



 自分の悲鳴に身体を起こした。

 また、あの日の悪夢だ。周囲は闇に沈み、カビと饐えた臭いが鼻を突く。

 光あれ。

 手を上げ、思いを込めた。


 闇に光が浮かび上がり、湿った石組みの壁と床を浮かび上がらせる。

 その光を避けるように、何十匹もの足の長い大きな虫が、乾いた音を立てて逃げていた。

 部屋の隅で動かない黒い影は、妖だ。

 気持ちは悪いが、身を護るルクスがある限り,害にはならない。


 狭い牢の中を見渡す。

 隅にある穴が空いただけのトイレに、壁から流れ落ちる水が飛沫を上げていた。

 窓一つない部屋に、他にあるのは鉄の補強を鋲で止めた扉だけ。

 その下の小窓の前には木の器に入った黒パンと豆のスープ。

 時間の感覚もなくなったこの世界で、日に二度の食事が時計代わりになる。


 壁の苔に新たな傷をつけて、その数を数えた。ちょうど二十本。十日を示している。しかし、これも全てを諦め、受け入れてからの傷だ。

 それまでのぼくは、ここで震えて泣くしかなかった。

 両親を殺され、頭から袋を被せられたぼくは、長い時間をかけてここまで運ばれた。

 手足の戒めを解かれて、自力で袋を外した時には、すでにこの闇の中にいたのだ。


 何度死ぬことを考えたか知れない。それを踏み止まったのは、死への恐怖しかなかった。

 殺されれば、ぼくの魂は地を流れるルクスに運ばれ、新たな生命として生まれ替われる。

 しかし、自ら命を断てば魂は砕かれ、永遠の苦しみに落ちるという。

 今のこの時以上の苦しみはないと思いながら、やはり怖かった。

 ぼくは扉に向かうと木の器を取った。硬い木のベッドに腰かけ、パンに手を伸ばす。


 その時になって、何かをこする音がかすかに聞こえた。ここに放り込まれてから、初めて聞く音だ。

 音の方向に光を向ける。

 壁の石組みの一つが、床の上を押し出されるようにずれていく。

 何がどうなっているのかは分からない。ただ、恐くはなかった。ここで殺されるなら、喜んで死を受け入れる。


 木の器を戻し、ぼくは床に降りた。

 石は押し出され、ぽっかりと空いた空間から男が顔を出した。

 頬はこけ、緑の髪は長く伸びているがその目だけは大きく鋭い。


「やはり、新入りがいたか」

「あなたは」


 それには答えず、

「まだガキだな。よく正気を保っていたものだ」

呟くと手招きをする。


「はい」


 男ににじり寄った。


「器を戻してついてきな」


 どんな話し方をしたのか、男の声は頭に響くような聞こえ方だ。

 言われるままに、スープを飲み干してパンを胸元に入れると、木の器を小窓の前に置いた。

 振り返った先に、男の姿は見えない。

 ただ、人に会えたのが嬉しかった。

この空間の先に何が待っているのかは分からないけど、今以上に悪い状況などなかった。

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