2-8.激戦

 黒い雨雲が月を覆い隠す中、一筋の雷光が白い老婆のような幽鬼の群れの中に落ちた。天を切り裂いた青白い雷が地を穿うがち、爆風を辺りに撒き散らす。多くの幽鬼が巻き込まれて吹き飛び、はやては伽耶を背に庇いながら天之尾羽張あめのおはばりを大地に突き刺して足を踏ん張った。


 巻き上がった土埃が晴れたとき、爆風の中心に化け物がいた。大蛇の体にトカゲの足を持つ、般若顔の化け物。加えて重機並みの巨体を誇るそれは、紛れもなく真菜を連れ去った化け物だった。


 颯の全身に震えが走った。恐怖もある。しかし、それだけではない。ようやく掴んだ手がかりに、颯の心は震えていた。


「お兄ちゃん、私のことは気にしないでください」


 颯は前方の化け物に注意を向けつつ、一瞬だけチラリと背後を窺い見る。伽耶は恐怖に耐え、気丈に振舞っていた。幸い、落雷と爆風で先ほどまでひしめいていた幽鬼の多くが吹き飛ばされ、化け物を中心に、その場にぽっかりと円形の穴が開いている。難を逃れた幽鬼も遠巻きに様子を窺っているようで、すぐに再び近付いてくる気配は感じなかった。


「伽耶ちゃん、ありがとう」


 伽耶の想いをんで、颯は前へ出る。もちろん恐怖がないわけではないが、小さな妹が我が身の危険を顧みず、颯に化け物の相手に集中させようというのだ。颯は勇気を奮い立たせ、鋭い視線を化け物に向けた。伽耶が少し遠ざかる足音が聞こえた。


「真菜は無事なのか!? 僕の妹を返せ!」


 首から提げられた勾玉が颯の感情の高まりに呼応するかのように淡く輝き、両手で握った天之尾羽張が真の姿を現す。長大な剣は、それでも化け物の巨体に比べれば幾分か頼りなくはあるが、この剣がこの姿をとるのは高千穂で鬼と化した薙と戦ったとき以来だった。


 天之尾羽張が共に戦おうとしてくれている。颯はそう感じ、更なる勇気をもらって化け物を真正面から見据えた。勾玉から放たれる淡い光が、颯の全身を覆うかのように広がっていく。


「小さき人よ。自身が何者か知らぬまま、今ここに滅びよ」


 般若顔の化け物が颯の問いには答えず、しかし、人の言葉を発した。真菜の無事を問いかけた当の本人も、少し冷静になればまさか化け物が人語を話すとは思っておらず、戸惑いを覚えた。


 その一瞬の戸惑いが隙となる。化け物が猛然と距離を詰め、般若の顔が迫った。吊り上がった口の両端の辺りに上顎から牙が伸びており、その先端がバチバチと青白く放電していた。


「うわっ!」


 颯は慌てて横っ飛びするが、蛇の首は柔軟に曲がりくねって後を追う。頭突きなのか嚙みつきなのか、どちらにせよ、颯は何とか剣を振り下ろして迎え撃った。


 天之尾羽張が2本の角の間、眉間の辺りを浅く切り裂くものの、颯は衝撃に抗えずに弾き飛ばされる。


「お兄ちゃん!」


 伽耶の悲鳴が木霊した。颯は地面を転がるが、すぐに立ち上がる。伽耶に大丈夫だと元気な顔を見せたかったが、化け物はそれを許さない。2本の角が青白く輝き、二筋の雷が地に伏しながら走るかのように颯に向っていた。


 颯は反射的にジャンプして避けるが、青白い雷撃は獲物を追って跳ね上がった。颯の口から苦悶の叫びが上がる。全身が痺れ、激痛が駆け抜けた。しかし、耐えられないほどではない。


 無論、何度も食らいたくはないし、2度目が無事な保証もない。けれど、颯はまだ自身が戦えることを不思議に思いつつも、戦意を持って化け物を見据える。正眼に構えた剣の向こうで、般若顔が不満げに見えた。


 苛立たし気に化け物が雷撃を放出したのを合図に、激戦の幕が上がる。青白い雷を避け、時に剣で受け止め、そして何度も食らいながらも颯は戦うことを止めない。どういう原理か、化け物に付けたいくつかの傷は気が付くと元通りになってしまっていたが、颯は諦めない。


 問題があるとすれば、化け物を倒してしまっては真菜の行方に関する手掛かりが得られなくなってしまうことだが、かと言って、化け物に口を割らせることができるとも思えなかった。


 颯は土埃にまみれながら再び立ち上がり、余計なことを考えている場合ではないと気を引き締める。戦いに集中していなければすぐにでも殺されてしまうように思えた。生き残らなければ、真菜を助けることも、今も見守ってくれているであろう小さな妹を守ることもできはしない。


 巨体に跳ね飛ばされても雷撃を浴びても何度も立ち上がる颯に、化け物が低いうなり声を上げた。颯は化け物の一挙手一投足に注意しつつ、素早く視線を巡らせて伽耶の姿を探す。動き回って戦いながら幾度も吹き飛ばされていたため、伽耶の位置を把握できなくなっていた。


 不意に雷撃に巻き込まれてはいないかと心配になった颯の視線が伽耶を捉えた。しかし。


「伽耶ちゃん!」


 颯が一目散に駆け出す。逃げ惑う伽耶を、白い幽鬼たちが追っていた。


 いつから追われていたのかわからないが、ボロボロの白い衣の間から伸びる細い腕が、今にも伽耶を捕まえんとしていた。


 颯の無防備な背中に雷が突き刺さる。無様に倒れ伏した颯は、それでも伽耶に手を伸ばすが、その手が届くことは決してない。颯と伽耶の間には頑然たる隔たりが存在していた。


 また妹を守れないのか。颯の胸中に絶望が湧き上がり、脳裏に自身の身代わりとなった真菜の姿が浮かんだ。伽耶はなぜ声を上げて助けを求めなかったのか。そんなわかりきった問いが颯の頭を巡った。


「伽耶ちゃん……!」


 颯の願いもむなしく、幽鬼の骨の浮かんだ手が伽耶の腕を掴んだ。それでも颯はわらにも縋る思いで手を伸ばす。その瞬間、一筋の白い光が幽鬼の側頭部を貫いた。伽耶を捕らえていた幽鬼が塵となって消える。


「颯! 無事か!」


 倒れ込んでいる颯の元に、生太刀を手にした彦五瀬が駆けつけた。彦五瀬が颯を庇うように化け物と対峙する。


「遅れてすまぬ」


 ゆっくりと立ち上がる颯の背後から頼もしい声が聞こえた。そして視線の先では伽耶の周りの幽鬼たちが次々と白い光を纏った矢に撃ち抜かれ、消えていく。


「颯様、よくぞ御無事で」


 生弓矢を手にした沙々羅が駆け寄ってくる。そんな中、手力男たぢからお大鉞おおまさかりで力任せにじ開けた道を、五十鈴媛が進む。その手には、左右にそれぞれ互い違いに3つの枝刃を持つ剣が握られていた。


 五十鈴媛が不思議な形をした剣を胸に掲げ、伽耶の傍らで立ち止まる。淡い光を放つ剣を警戒しているのか、幽鬼たちは五十鈴媛と伽耶に近付こうとはしなかった。


「颯。奴らの相手は五十鈴媛と手力男に任せ、私たちはこやつの相手だ。まだやれるな?」

「もちろんです!」

「颯様。微力ながらご助力いたします」


 満身創痍ながら心強い仲間を得て、颯は再び化け物に立ち向かう。


 激戦の幕が、再び切って落とされた。

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