2-2.条件

はやて様。五十鈴で構いませんわ」

「わかりました。五十鈴さん」


 颯は立ち上がり、真菜の生存を信じてくれている五十鈴媛に感謝の念を込めて返事をするが、当の本人は不満げに眉根を寄せた。


「敬称は不要ですわ。それと、敬語も」


 颯は知らないことだが、“ひめ”は現代の“姫”とほぼ同義で、敬称の一種のようなものだ。


「わ、わかった……。その、五十鈴」

「はい。今後ともよろしくお願いいたしますわ。颯様」

「あ……。あの、僕も呼び捨てにしてもらえないかな。敬語もいらないし」

「本来はこの五十鈴があるじと定めた颯様に不敬ではあるのだけれど、颯様がそうお望みとあれば……。わかりましたわ。いいえ、わかったわ。颯」


 女性に下の名前で呼ばれることが、ましてや呼び捨てにされることなど初めてだった颯は気恥ずかしくなって頭を搔くが、ふと聞き逃してはいけないことを言われた気がして首を傾げる。


「聞き捨てなりません。あなたは出雲の姫でしょう。それが颯様をあるじとするなど、一族の方々がお許しになられないのでは?」

わたくしはもともと一族の総意で日の神の御子を婿とするべくこの地へ参ったのだから、颯をあるじとすることに何の問題もありはしないわ。むしろ、真菜様を救い出すまでは夫としないだけの分別があることを褒めてもらいたいくらいよ」

「そんな……!?」


 立て板に水の如く答える五十鈴媛に、沙々羅が絶句した。その隣で、颯は目を丸くする。


「あ、あの、婿とか夫とか聞こえたけど、何かの間違いだよね? 僕は日の神の御子じゃないし」

「いいえ。颯こそが日の神の御子で間違いないわ。そうでしょう? 彦五瀬命」

「ああ、そうだ。颯が嫁を取るのなら我が一族の者から出したいが、それはこの際置いておくとして、颯が日の神の御子であるからこそ、一族の旗頭となってもらいたいのだ」


 五十鈴媛も彦五瀬も、いくら颯が違うと言っても、その主張を変えることはない。それどころか、真菜の行方を捜すのには人手が必要だとして、そのためにも颯が高千穂の一族の長になるべきだと二人して勧めてくる始末で、颯はほとほと困り果ててしまう。助けを求めようにも、沙々羅は何やら考え込んでいる様子で助け舟を出す気はないようだった。


 もっとも、颯の力でヤマトの鬼を倒してほしいと願っている沙々羅にとっても、颯が一軍の長となることは願ってもないことだろうと考え直した颯は、一人、思い悩む。


 しかし、真菜を助けると決意したところで、今のところ、化け物が雷に紛れて北東に連れ去ったということしか手がかりがない。果たして一人で探し出せるのかと言われれば颯はNOと言うしかないし、仮に居場所判明したとしても、一人でその場所まで辿り着ける自信はなかった。


 もちろん高千穂の長が務まる自信もなかったが、そちらは実質的にはお飾りのようなもので、基本的に実務は彦五瀬が行い、五十鈴媛もサポートを約束してくれている。更には真菜の捜索にも継続して力を貸してくれると言われてしまっては、颯に選択肢はなかった。


「わかりました。五瀬さん、よろしくお願いします」


 颯は深く腰を折る。ただし、申し訳ないと思いつつも条件を加えることを忘れない。


「僕に本当に不思議な何かがあるのなら、それが引き出せるように剣と同様に指導してほしいです。それと、もし真菜の行方がわかったら、最優先で助けに行くことを認めてください。それが許されるなら、僕は仮初かりそめの長を引き受けます」

「颯よ。よく申してくれた」


 彦五瀬が颯の肩に両手を置いて、ぽんぽんと叩くと、今後のことを協議してくると言い残して思金おもいのかねを連れて広間を出て行った。


「颯。わたくしも真菜様を助ける手伝いをするわ」

「それは嬉しいけど、いいの?」

「真菜様が命を懸けて颯を守ってくださったからこそ、颯はあの鬼を討ち、わたくしも救われたのよ」

「……ありがとう」


 颯は五十鈴媛の言葉を噛みしめる。真菜の生存を信じてくれて、そして真菜の救出への協力を申し出てくれて、颯は心の底から感謝していた。とても心強かった。


くは、真菜様はわたくしの妹になられるお方だもの。感謝されるいわれはないわ」

「そ、それはその――」

「颯様!」


 しどろもどろになりながらも何か言わなければと言葉を探していた颯の手を、沙々羅が引いた。颯は驚き、視線を、どこか焦ったような沙々羅に向けた。


「颯様。真菜様の所在が判明した時に備え、すぐにでも破邪の秘術の鍛錬を始めましょう」


 目を丸くする颯に、沙々羅は化け物の本質が邪に近いものであると力説する。更に、鬼と化した薙を討った颯の力と破邪の秘術には通じるものがあるとも。


「颯様には破邪の秘術を修める素質があるのやもしれません」


 もし颯が破邪の秘術を修得すれば、きっと真菜を助ける力となる。そう告げる沙々羅の瞳はどこまでも真摯で、先ほどの動揺したような様子はまるで幻だったかのように、すっかり姿を消していた。


「沙々羅様には言いたいことが山ほどありますが、わたくしも同意しますわ。ただし、わたくしも破邪の秘術の一端を修めた者として、颯の鍛錬に参加しますわ。ヤマトの秘術にも興味がありますし。いいですわよね、沙々羅様?」

「え、ええ。それはもちろん。私も前々から出雲の秘術に触れてみたいと思っていました」


 向かい合った二人の美少女が、慎ましやかに笑い合う。颯はそんな二人を眺めながら、以前、彦五瀬が真菜のことを美しい娘と評したことを思い出し、美の基準が現代と似通っていることに感謝した。颯は兄としての贔屓目を差し引いても真菜を可愛いと思っていたし、沙々羅と五十鈴媛は綺麗だと自信をもって断言できる。


 沙々羅は、たおやかな中に凛とした芯の強さを秘めた少女で、五十鈴媛は勝気さと強い信念を持っているように颯は感じていた。どちらの少女も、颯がこれまで接してきた同年代の少女たちよりも輝いて見えた。


「颯、行くわよ」

「颯様、参りましょう」


 二人は颯の両の手をそれぞれに握り、中庭に向けて一歩を踏み出した。


「あ、待って。あの剣がないと……!」


 颯は自由になった手で床から天之尾羽張を掴み上げる。


 鬼を討った神の剣。真菜を助けるためには、この剣を使いこなす他ないように颯は思った。颯は天之尾羽張を背負い、改めて真菜の救出を心に誓う。


「さぁ、早く」

「参りましょう」


 再び二人の美少女に手を引かれて内心でドキドキしていても、颯の決意が固いことに変わりはなかった。

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