1-12.地獄絵図

 10分ほど進んだところで、薙の手勢らしき兵士の姿が見えた。100人を超すであろう兵士が村落をぐるっと囲んでいた。どの兵士も、この時代に来た直後に追いかけてきた男と同じく、短甲に身を包み、矛や弓を手にしている。


「いったい何事だ!」


 彦五瀬が村の入口の前に立ち塞がる兵士に尋ねた。


「ひ、彦五瀬命!?」


 近くにいた兵士たちの視線が彦五瀬とはやてに集まった。兵士たちの隙間から村の様子を窺うと、そこには信じられない凄惨な光景が広がっていた。竪穴式の住居に囲まれた広場に、食肉工場で解体された家畜の残骸のようないくつもの肉塊が散在し、大地が赤黒く染まっている。数分前まで生き物の一部だったモノから更なる赤が滲み出ていた。


 ふと視線を感じて目を向けると、かっと目を見開いた男の顔がこちらを見ていた。恐怖で引きつり、血の涙で頬を濡らした男の頭が、大地から生えていた。


 颯は口を押さえてうずくまる。肉塊は細切れにされた人間だった。原形を留めない球体の裂け目から脳漿のうしょうが溢れ、四肢をもぎ取られた一際大きな肉塊から飛び出した骨や管がぬめぬめと光っていた。この世のものとは思えない異臭が鼻を突く。颯は喉の奥から熱い液体が込み上げて来るのを感じた。


 その地獄絵図の中心に二メートルほどの木の杭が立てられ、一人の少女が磔にされている。少女の衣服は無理やり剥ぎ取られたかのように乱れ、白い肌にはミミズのような赤く滲んだ線が這い回っていた。虚ろな瞳がゆらゆらと揺れていた。


「薙!」


 少女の前に立つ小柄な少年が振り向いた。少年は恍惚とした不気味な笑みを浮かべていた。太刀を思わせる片刃の刀にこびり付いた血と油が、雲間から注ぐ日の光を反射して、てらてらと光っている。


「これはこれは。親愛なる兄上様ではありませんか」

「薙、これはどういうことだ!」


 彦五瀬が薙を睨みつけるが、薙は気にすることなく惚けた声を上げた。


「どういうことかもなにも、怪しい一団が滞在しているとの知らせを受け、目的を問い詰めているところです」

「問い詰めているだと? では、この惨状は何だ!」

「惨状?」


 薙が、さも不思議そうに首を傾げて周囲を見回す。


「あぁ……これですか。一団のかしらと思しきそこの娘を捕らえようとしたところ、男共が邪魔をしたので、排除したまでですが」


 彦五瀬が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、颯の方を向いた。


「颯! 大丈夫か」

「な、なんとか……」


 口を押さえたまま、颯はよろよろと立ち上がる。膝に力が入らず、崩れ落ちそうになるのを必死で堪えた。


「颯。そこの娘を館に連れ帰って介抱してやってくれ」

「わ、わかりました」


 颯はふらふらと頼りない足取りで少女に近付く。凄惨な光景から目を逸らそうとするが、どうしても視界に入り、何度もむせ返った。それでも歩みを止めることはなかった。少女をこの地獄の中から救い出したかった。


「兄上、その娘は私のモノ。横取りなさるおつもりか」

「この娘は人間だ。誰のものでもない。それをモノ扱いする者に預けることはできぬ」


 両者が睨み合う中、颯が重い足取りでようやく少女の元に辿りついた。少女と杭を結び付けている縄を天之尾羽張で斬ると、支えを失った少女がその場に崩れ落ちる。肩を抱き起こすと、少女の虚ろな瞳が颯を捉えた。


「もう大丈夫だよ」


 震える声で言うと、少女は薄っすらと微笑み、瞼を閉じた。颯は周囲を見回し、剥ぎ取られた少女の服を手に取って少女の裸体を包む。剣を背負い、両手で抱えるように少女を持ち上げた。華奢な体だった。


「その者を捕えよ!」

「動くな!」


 薙の指示で一歩踏み出した兵士たちが、彦五瀬の一喝でピタッと動きを止めた。両者の間に緊張が走る。兵士たちは息を呑んで二人の顔色を窺った。颯は足を震わせて立ち尽くす。


「兄上、私に楯突くおつもりか」


 そう言った次の瞬間、薙の右足がすっと地を這うように一歩分進み、腰の鞘から音もなく刀が抜き放たれた。鞘の中を走り、速度の付いた刃が風を切って彦五瀬の首元に迫る。彦五瀬は目を閉じることなく真っ直ぐ薙を見据えていた。切っ先が、頚動脈と紙一重で静止した。


「道を空けよ!」


 彦五瀬は薙から目を離さず、声を大にして叫んだ。両者の動向を見守っていた兵士たちが彦五瀬の恫喝に怯み、道を空ける。颯は緊張で弾け飛びそうになる心臓の鼓動を感じながら、人の道をゆるゆると進んだ。兵士の視線が痛いくらいに突き刺さった。視線の淵に、言葉なく睨み合う兄弟の姿が映った。






「颯様!?」


 彦五瀬の部下の一部に守られながら、颯は、やっとの思いで彦五瀬命の館の自室に辿り着いた。引き戸を開けると、伽耶が驚愕の声を上げた。


「兄さん、どうしたの!? その子は?」

「話は後だ。とりあえず傷の手当てを」


 伽耶が素早く状況を認識して部屋の中央にむしろを敷き、薬を取りに走った。颯は少女に余計な刺激を与えないように注意深く降ろす。はだけた衣服の間から、痛々しい赤が覗いていた。澄んだ白い肌に浮き上がるそれは、惨さを殊更に強調していた。


 仰向けに横たわった少女の胸が規則正しく上下していた。颯は僅かに安堵し、長く息を吐き出す。


「兄さんは見ちゃダメ」


 いつのまにか背後に回っていた真菜の両手が颯の頭を左右から挟みこみ、反時計回りに九十度回転させた。


「兄さん、何があったの?」

「えっと……」


 どう言うべきか悩んで颯は言い淀む。見たままの光景を伝えるのは気が引けた。真菜に余計な心配をさせたくなかった。


「兄さん?」

「あ、いや、ちょっと薙が……」


 その言葉だけで全てを察したかのように真菜が頷いたとき、伽耶が戻ってきた。


「颯様、手当てを始めますね」

「兄さんは、そ・と」


 颯は真菜に背中を押されて部屋を出る。後ろで扉が閉まる音がした。颯は膝を折ってへたり込む。脳裏に先ほどの凄惨な光景が過ぎった。再び吐き気が込み上げて来た。血の海の中で対峙する彦五瀬と薙。柔肌を露に晒した少女の姿。そして、ただただ震える自分。記憶の中の自分が、とてもちっぽけに感じられた。


「何も、できなかった……」


 情けなかった。無意識に零れ落ちた言葉が、誰もいない廊下に沈んでいった。

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