「はあ?」



花凜はまた唖然とする。



「昌彦、確か影百合家は最初に生まれた子を当主にするんだったな」

「は、はい。大正時代からずっと続いている掟です。性別が女だろうと男だろう、と…………あ!!」

「気付いたな?………影百合家は性別が女だろうが、先に生まれた子を当主にする掟がある。ただし………その子が当主になる前に、何かしらの理由で死んだ場合───」



ハーリスは花凜に左目を向ける。



「次に産まれた子が……当主を継ぐことが出来る」

「そん、な……!」



畳に膝をつき震える花凜。昌巳は急いで彼女に駆け寄る。



「自分の唯一の娘である花凜ちゃんを当主にするために、長女である昌巳を殺そうとした。腹違いでも影百合家の娘で次女だから、昌巳が死ねば花凜ちゃんが次の当主になれる。だから自分の手を汚さずに、外道術師に殺害の依頼したんだ」

「なんてことを…!」



昌彦は口に手を当て絶句する。いつも自分たちを支え、昌巳を実の娘のように可愛がっていた妻が、そんな恐ろしいことを考えていたなんて信じられなかった。


しかし、これは現実だ。現に理恵は先程昌巳にナイフを突き立てようとした上、恐ろしい形相でハーリスたちを睨み付けている。

長年愛していた理恵の姿が、あっという間に崩れ去っていった。



「理恵っ!お前はなんて奴だっ!!昌巳を愛すると言っておきながらこんなっ……!」

「私はっ!!貴方と花凜さえ居ればよかったの!!影百合家に後妻で嫁いでからずっとずっとそう思ってたわ!!前の女の子供が居た挙句、穢らわしい怪印の持ち主を誰が愛すと言うのよ!!」

「なんだと………」



シャズが顔を歪ませ理恵に詰め寄ろうとする。しかしそこをハーリスが腕で止めた。


小さな人影が、捲し立てる理恵に近付く。



「だから私は花凜を、愛する自分の子をこの家の当主にするためにっ、必死になって耐えたわ!!夫と周りの信頼を得るために良い義母を演じた!!お母さんって呼ばれるたび気持ち悪くなっても耐えて耐えて、いつか必ず殺して目の前から消してやろうって考えながらね!!だってそうでしょう!?怪印持ちの人間なんて、穢らわしくて生きる価値の無い存在なんだからっ────」



パシンッ



………短い静寂が突然来た。



「……………え」



畳に倒れた理恵は、もう言うなと言わんばかりに左頬を思い切り叩いた人物を見上げる。


その人物は…………花凜だった。



「さいっっっていっ!!」

「か、花凜」

「気安く私の名前を言わないで!!こんな最低な人が私のお母さんだなんて……!!」



花凜は涙を流しながら、キッと理恵を睨んだ。



「私はね、お姉ちゃんが大好きなのっ!!生まれた時からずっとそう!!腹違いな私にも優しくしてくれる昌巳お姉ちゃんが大大大好きなの!!ママもそうだと思ってた!!なのに、アンタは私をこの家の主にするためにお姉ちゃんを殺そうとしてたなんて…!!」

「だ、だって、花凜のために」

「私のため?嘘つきっ!!本当は自分のためでしょ!?影百合家は大正時代からずっと続いてる名家でお金もたくさんある家だもの!!反対にママの家は貧乏で生活に苦労してたって昔私に言ってたよね!?パパ知ってる?ママ高級レストランとか高級ブティックとかで必要以上にお金たくさん使ってること!!」

「なっ………そうなのか理恵!」

「わ、私は……」

「私が当主になれば、当主の母親として皆から注目されるもんね!!私の為だって言ってるけど、本当は自分の欲望を満たすためでしょ!?」



花凜の叱咤に、理恵は次第に縮こまった。



「私はっ!!当主になったお姉ちゃんを支えたいの!!当主になりたいなんて一度も思ったことはないわ!!だって私は、世界で一番昌巳お姉ちゃんのことを愛しているんだから!!怪印持ちだろうと、そんなこと私には関係ないっ!!たった一人のお姉ちゃんの死を望んでる妹なんて、この世に居ないでしょうが!!」

「花凜っ…!」



昌巳はポロポロと涙の粒を止めどなく流した。シャズはすかさず昌巳の背中を擦り、ハーリスとアルバートは花凜に笑みを向けた。

昌彦も花凜の強い言葉に、涙を浮かべている。一方理恵は、「あ」や「う」と戸惑いながら花凜を見上げていた。



「わ、私は本当に貴女の未来を思って…!」

「………もういい」

「え」

「アンタはもう、私の母親じゃない。金輪際私たちの前に現れないでちょうだい」

「花凜…!」



花凜は理恵に背中を向け、昌巳の元へと戻っていく。理恵はその後ろ姿に手を伸ばしたが、花凜には届かなかった。



「………連れて行け」

「はっ!」



財団の職員数人がハーリスたちの後ろで待機していた。ハーリスの合図で職員たちはすぐさま理恵を囲み、大広間から連れ出して行く。



「いやっ!離してっ!昌彦さん、助け………」

「…彼女を別室に拘束しろ……離婚届にサインしてから牢屋に入れてくれ」

「分かりました」



そう言いながら理恵を睨み付ける昌彦。離婚と言う言葉に、理恵は唖然とし目を大きく見開いた。



「………昌巳、すまなかった!」

「お父さん……」

「私があの女の本性に早く気付いていれば……!」

「お父さん……お父さんは悪くないよ」



嘆く昌彦に、昌巳は優しく笑った。すると、服の裾をクイッと誰かが引っ張った。



「お姉ちゃん……」

「花凜」

「ママがごめんなさい………私……」

「……花凜、ありがとう」

「え?」

「ボクも花凜のこと、とっても愛してるよ。このキーホルダーが無かったら、ボクは無事じゃすまなかった。優しい妹を持って、ボクはとっても、幸せだよ」

「────っう、うわああああああああああんっ!!!」



昌巳に抱きつきながら、花凜は泣き叫んだ。昌巳は泣き叫ぶ妹を、何も言わず優しく抱き締める。

自分の母親が犯した罪のショックが、今来たようだ。



「花凜……大好きだよ」

「私もっ、私もお姉ちゃん大好きっ!!」



ハーリスたちはそんな二人を優しげに見つめていた。



「まあ、無事終わってよかったな」

「そうだな」

「あ〜疲れたあ。メシ喰いに行こうぜ?」

「ああそれなら!是非この屋敷で食べて行ってください!昌巳を一度のみならず二度も助けてくれたお礼です!」

「お、マジ?」

「お世話になります、お義父さん」

「お……?」

「ああすまん。気にしないでくれ」



シャズの頭を軽く叩きながらハーリスは愛想笑いを浮かべたのだった。


その時、



「………わ……」



その光景を見ていた理恵は、唇を震わせながらボソボソと何かを呟き始めた。



「早く行くぞ!」

「認めないわッ!!こんな、こんなことっ、私は絶対認めないわああああああああああああああああああああああああッ!!!」



途端、理恵は職員を物凄い力で振り解き、背中を仰け反らせ叫んだ。


ハーリスたちは昌巳らの前に守るように立つ。


簪を握り締めた理恵は、ボサボサになった頭を下に垂らす。すると、その頭から黒い角がずるりと二本生えてきた。



「ヴぁ、あがあああああああああああッ!!」

「………怪異堕かいいおちしたか」



ハーリスは顔を険しくしながら呟いた。



怪異堕ち──

生きた人間が人の理から外れ、怪異に変貌、変異してしまうこと。人間の器では耐えられない激情に駆られたり、人間にとって超えてはならない悪意の行為をやってしまうなど、条件は様々。

一度怪異になってしまった人間は………元には、戻れない。



「■■■■■■■■■!!!」

「あーあ……もう人間の言葉すら忘れちまったみたいだぜ」

「哀れな……」

「………シャズ、アルバート、殺るぞ」

「おう」

「えっ、あのっ」

「昌巳、すまない………怪異に変貌してしまった以上、もうどうすることも出来んのだ」



ハーリスはコートの裏から武器を取り出す。眼下に晒されたソレは、スラリとした切れ味の良いサーベルだった。



「■■■■■■■■■!!!」



目は真っ赤に吊り上がり、唇は避け長い牙が覗いている。もはや美しかった姿はどこにもなく、憎悪を形作った鬼へと変貌していた。


理恵はハーリスたち三人の後ろに居る昌巳に目を向ける。そして雄叫びを上げながら、簪を手に駆け出した。この簪で、憎き義娘を刺し殺すために。


しかし、激しい銃撃が理恵に襲い掛かる。胸を中心に銃弾が理恵の身体を撃ち抜くが、足は止まらなかった。


そして、シャズの光の矢が理恵の胸を貫いた。そこでようやく理恵の足が止まる。



「貴様は、地獄で一度更正して産まれ直した方がいい」



ハーリスは淡々とした声でそう言い放ち、サーベルを横に振った。


ゴロン、と理恵の頭が重力に従い、畳の上に落ちる。



「ママっ!!」



花凜は悲痛混じりの声を上げる。


そしてそのまま……ハーリスは理恵の頭にサーベルを突き立てたのだった。



ピクリとも動かなくなった理恵の頭と身体。

人間を止め怪異に堕ちた女の………哀れな最後だった。









「大丈夫か?」

「はい……大丈夫です、とはまだ言えません」



ラズベリー財団の職員大勢が影百合邸に駆け込む姿を見ながら、昌巳は苦笑を浮かべた。



「まさか、怪異堕ちしてまでボクを殺そうとしてたなんて………」

「……気にするなとは言わん。慕っていた義母の本性を目の当たりにした上、あのような形で終わってしまったのだ。心の整理がつくのは時間が掛かるだろう」

「……ありがとうございます」



ハーリスは優しい笑みを浮かべながら、昌巳の頭を撫でた。



「では、また明日連絡する」

「はい。おやすみなさい」

「………いや、辛かったらいつでも連絡してきなさい。俺だけじゃなく、シャズやアルバートも、君の味方だからな」

「!………っはい」



昌巳は一筋の涙を流しながら、背中を向け去って行くハーリスに頭を下げたのだった。



「………昌巳、本当に大丈夫かな?」

「やはりここは私が泊まって寄り添うべき──」

「今は昌巳を一人にした方がいい」



昌巳の元へ行こうとするシャズの後ろ襟首を掴みながら、ハーリスはアルバートと共に影百合邸を後にしたのだった。






もうすでに暗くなった空。満月が浮かぶ真っ暗な人気の無い夜道を、ハーリスたちは歩いていた。



「………そろそろ出てきたらどうだ?」

「いい加減にしねえと、そのドたまぶち抜くぞ」



三人は足を止め、後ろを振り向く。アルバートが銃を暗闇に向けた途端、奥からコツコツと足音が響き渡った。



【………久しぶりだね】



三人の頭の中で男か女か分からない声が響く。

暗闇から現れたのは、白い衣服を身に包んだ青年だった。


白い衣服は神父服のような形をしており、短く煌めいた美しい銀髪をしていた。肌は白く透き通っており、金色の瞳が三人を写していた。



「何の用だ………ノア」

【用がなきゃ会いに来ちゃいけないの?】

「一体いつから居たんだよお前……」

【ずっと居たさ……君たちが日本に来た時から】

「はあ!?」

【それにしても、人間ってやっぱり分からない生き物だよね。自分の子供では無いとは言え、義理の娘を殺そうとしてたんだからさ。その上人の理から外れるとはねえ………】



表情は何一つ変わらない。まるで人形のように。だが、喋っている。何らかの力を使って、三人の頭の中に語り掛けてくるのだ。

本当にあの一部始終を見てたのか……と三人は思った。



【そう言えばあの子………確か影百合昌巳だったかな?】

「私の昌巳に手を出したら殺してやるからな」

【……………】

「シャズのことは放っておいてくれ。あの子に興味があるのか?」

【まあ、ね。あの子、かなり厄介なのに怪印を付けられちゃったみたいだから】

「何?」



その言葉にハーリスが反応した。



「ノア、まさかお前、昌巳に怪印を付けた奴を知っているのか?」

【……いや、その正体はまだ分からない。相手はどうやら隠れるのが得意らしい】

「なんだ、期待して損したぜ……」

【彼女を救うのは私では無い。君たちだ。だから君たちが犯人を見つけなくてはならない】



スッ、とノアは後ろに下がった。



【だから頑張ってくれ。私はいつでも君たちを見守っているよ】



そして、ノアは暗闇の中へと溶け込み、気配も姿も消えたのだった。



「………アイツ何しに来たんだ?」

「さあ」

「助言も何も無かったな」



三人は呆れたような顔をしながら、また夜道を歩き出したのだった。


そして、辺りは再び平穏な静寂に包まれた。





狙う者、守る者 終

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