第8話 『誤想防衛論』の理論


 これだ、これこそが、長年、どうしても分からなかった父親殺しの実行犯なのだ。



 高知刑事は確信した。



 しかし、石川県警には今から15年以上も前の勤務記録など残っていまい。どうやって大木教頭を追い詰めるかだが、何しろ、石川県警では既に迷宮入りの事件として扱われているのだ。名前だけの捜査本部が今でも残っているが現実には機能していない。



 また、当時の勤務記録が残っていなければ、大木教官のアリバリ崩しも容易ではないのだ。しかし少なくとも、父親殺しの真犯人は自分の直感上、大木教官に間違いが無い筈だ。



直接、本人に向かって宣言するか?しかしそんな事ぐらいで、簡単に自白する訳が無い。ここで、高知刑事は、折角の真犯人を特定しながらも、どうにも手が出ない自分に気がついた。どうしようも無いのではないか?



 その時、中村主任刑事から、高知刑事のスマホに連絡が入ってきた。



 その話は、実に興味深い驚くべき話だった。



「高知君か、私だが、実に面白い話が耳に入ったのだよ。うまい具合に公判中の丸川萌の高校生時代の親友に会って話を聞けたのだが、これが、腰を抜かすような話だったんだよ」



「一体、どんな話だったのですか?」



「電話ではなんなので、直ぐに、金沢駅前の喫茶店ロマンスに至急きてくれないか?」



「分かりました。僕のほうも、驚くべき情報があります」



 喫茶店ロマンスは、北陸新幹線開業後、新たに観光客目当てに作られた喫茶店では無く、戦後の昔からひっそりと営業している喫茶店である。だから、お客もほとんど常連ばかりで、ヒソヒソ話しにはもってこいの場所だ。



「高知刑事、こんな面白い情報が耳に入ったのだ」



「それは丸川萌がらみの話で?」



「そうだ、しかしこの話にはある人物が大きく関わっている事が分かったんだよ。まあ、この話の全容をかいつまんで話しよう。



 まず、問題の丸川萌だが、これがとんでも無い女だったんだ。



 彼女は、中学生時代から万引きの常習犯で、一度、店の警備員に現場を押さえられたらしい。それを、彼女のオジサンが県会議員であった事から、その時は、お金で握りつぶしている。

 問題は、彼女が高校一年の時、万引きの被害届けのあった市内のデパートで、現職の警官に取り押さえられたらしいんだ」



「それは記録か何かに残っているんですか?」



「彼女は、現在24歳だから、高校一年と言えば、今から8年程前の補導記録や窃盗事案の記録を探してもらったが、丸川萌の名前など何処にも出てこない。不思議に思った私は彼女と親友だったと言う友人に、その頃の話を聞いてみたんだ」



「親友は何と言ってました?」



「何と、その親友に語った言葉によれば、万引きの現場を押さえられた彼女は、警察手帳を見せられた相手に、ある取引を持ちかけたそうだ。そう、自分との肉体関係を持ちだしてこの件を握りつぶして欲しい、とまあ、こんな話だったらしい」



「そんな事を親友に語っていたのですか?しかし、彼女もあの厳格な『賛美歌の会』の信者だったのではないのですか?その彼女が、そんなに簡単に自分の肉体を提供をするものでしょうか?」



「私が聞いた親友によれば、丸川萌がそのキリスト教の『賛美歌の会』に加入したのは、殺された谷川真里亞と接点を持ちたかっただけで、信心は全く無かったと言うのだ」



「ふーん、すると我が県警の中に、女子高校生と出来ていた者がいると言う事ですね?」



「そうだ、で、今から8年前頃の、防犯担当刑事を調べていたら、ある者の名前が浮上してきたのだ。その親友に言わすと丸川萌と関係を持ったとされる刑事は、特に、柔道が強いと、彼女に自慢していたと言うしなあ……」



「だとすれば、その刑事とは、現在、警察学校教頭の大木教官じゃないんですか?」



「どうして、それが分かる?県警の中でも、柔道の強い者は沢山いる筈なのに。実は、私自身も大木教官を疑っているが、高知刑事はどうしてそう思うのだ?」



「実は、僕の父親を刺殺したのは、どうもその大木教官らしいんです」



「何だって!」



 ここで、高知刑事は、写真の事、母親から聞いた話、柔道の練習での大木教官の異常な殺意の話を中村主任刑事に極簡単に話をした。



「すると、未だ、その存在が分からない谷川真里亞の体内のDNAの持ち主は大木教官のものなのか。それは、その後も二人の関係が続いていたとしたら十分にあり得る事です。中村主任刑事は、谷川真里亞が殺害された日の大木教官の出勤簿を調査されましたか?」



「勿論だよ。そして大木教官その日は休暇を取っていた事も押さえてる」



「決まりですね!」



「そういう事だ。DNA検査をすれば、大木教官の闇が暴かれる事になる。ただ、高知刑事の父親殺しの件については、立件は難しいなあ」



「その件に関しては僕にある考えがあります。



 今は、まず大木教官のDNAと、谷川真里亞の体内に残されていたDNAが一致するかでしょう。もしこれが一致すれば、僕にある計画があります。これは、即に実行しないとね。それと大木教官は、通称『聖母マリア殺人事件』に関連していただけの事実で起訴されてしまいます。中村主任刑事、結果が分かり次第、至急、僕のスマホに連絡して下さい」



「了解」



 例え、殺された谷川真里亞の体内にあったのが大木教官の精液であったとしても、大木教官は実行犯では無いのだ。かって、丸川萌の万引きを見逃し、肉体関係を持った事は警察官としての域を完全に逸脱しているが、犯罪そのものはそれほど重いものにはならない。



 それよりも、自分の父親殺しの真犯人である事を、県警本部が動いて、大木教官を逮捕する前に、その確たる証拠を押さえなければならないのだ。



 高知刑事は、学生時代、司法試験を目指していた学生と仲が良かった。それは、同じ石川県出身者同士とも言う事も、仲の良い一因であったろう。



 その親友が、ある日、刑法での『誤想防衛論』について説明してくれた事があった。



 本来、正当防衛とは、相手が本物の日本刀や出刃包丁を持って、殺意をもって被害者に襲いかかって来た場合、被害者のほうは近くにあった金属バットやゴルフクラブで応戦し、相手を殺害しても罪に問われないのである。これは、一般人でも分かる事でもある。



 問題は、相手が玩具の日本刀や出刃包丁を持って襲いかかって来たとして、それを金属バット等で、撲殺したとしたら正当防衛は成立するであろうか?特に、その日本刀や出刃包丁が、明らかに玩具と分かるとした場合、正当防衛は成立せず、学問的には誤想防衛、実務的には過剰防衛となり、いずれにせよ、殺人未遂又は傷害致死に問われるのは必死であろう。



犯罪心理学専攻の高知は、その時は、漠然と聞いていたが、今回、自分の父親殺しの真犯人を特定するために、この『誤想防衛論』の理論を使わしてもらう作戦だった。



 時間が無いので、近くの大手スーパーにある本屋兼雑貨店の「ヴィレッジ・バンガード」で、あるものを買い込み、大木教官の元に向かった。




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