7.転機

「あぶなあああああああい!!」


 先輩が真横から俺の膝に飛び込み、落ち行くスマホをナイスキャッチする。


「何をやっている宏慈! ヒビが入ったら大ごとだぞ!」

「す、すみません、びっくりして……」

「まったく、だからハンドストラップを付けろといつも……」

「……あの、憬先輩。まず、どいたほうが……」


 反射的にダイブしたのだろう。

 先輩の好守のおかげで俺の相棒は無事だったのだが、いま、先輩は俺の太ももに頭を乗せるような格好になってしまっている。

 ……俗に言う、膝枕的な。


 制服のズボン越しに、柔らかくて滑らかな髪の感触が伝わってきた。

 ふわっと漂ってくる果物のような香りは、シャンプーの残り香か。

 あるいは、先輩の匂いなのか。


「ッ――――!! き、気を付けろバカ者!!」


 顔を真っ赤に染めながら、先輩は身体を起こす。

 どうやら、怒らせてしまったみたいだ。


 まあ、事故だったとはいえ、俺みたいなヤツに膝枕されるなんて先輩も嫌だよな。

 すみません、今日は入念にシャンプーしてください。

 ちなみに俺は時短の味方リンスインです。


「こ、これでは立場が逆ではないか……」

「え? 憬先輩はスマホ落としたりなんかしませんよね?」

「うるさい! なんでもない!」


 苛立つ先輩に、俺は再度謝罪した。


「……で、何をそんなにびっくりしたんだ?」

「それが、ピクベル運営からのお知らせが届いていて……」


 先輩からスマホを返してもらい、再度確認する。

 ……やっぱり、見間違いじゃない。


「――『あなたの作品が、デイリーランキング一位になりました!』、だそうです……」


 震えそうになる声を必死に抑えながら、俺は通知を読み上げた。


「すっ……すごいじゃないか! やったな! 宏慈!」


 歓喜の声をあげた先輩が、俺の肩を何度も叩く。

 痛みを全く感じず、これは夢なのだろうと思った俺は、管理者ページにアクセスし、詳細なデータを確認する。


「え……閲覧数五万……ブックマーク数一万……いいね九千……!?」


 とても信じられない数字に、バグか何かを疑った。

 しかし、小説ランキングページに移動してみると、その一番上には確かに、俺が昨日投稿したサイの二次創作が掲示されていた。


 さらに、昨日まではゼロだった俺のアカウントフォロワー数が、怖いくらいに増えていた。

 何倍って言えばいいのこれ、ゼロに何を掛けてもゼロでしょ?


「ほら! やっぱり面白かったんだよ! 宏慈の二次創作!」


 先輩は自分のスマホでもpixvelにアクセスしながら、弾けるような声を出した。

 投稿者である俺よりも遥かに狂喜乱舞といった様子だ。


「いや……そんなこと言われても……全く実感が……」

「自信を持て! 君の二次創作は、一晩で五万人もの人に読まれたんだぞ!」


 先輩は再び俺の肩を叩く。

 相変わらず痛みは感じないが、これがリアルで起こった出来事なのだと、ようやく認識し始めた。


「そっか……俺が書いたものが、こんなに……」


 改めて管理者ページからデータを見ていると、徐々に俺の頬は緩んでいった。


 伝わった、ということなのだろう。

 俺の、サイを推す思いが。

 こんな最終回であってほしかったという願いが。

 同じ雑誌を愛読する、五万人の誰かに。


 それは、俺がこの二次創作を書き終えたときに抱いた、淡い欲求であった。


「――なあ、宏慈。少し、真面目な話をしてもいいか?」

「なんですか?」

「君は、将来どんな仕事をするのか、考えたことはあるか?」


 投げかけられた質問に、俺は面食らった。


「……いやほんとに真面目な話ですね。てか、やめましょうよ、そんな話」

「すまない。だが、教えてほしい」

「……そんなの、あるわけないでしょう。自分の進路を真面目に考えるようなヤツなら、オタクなんてやってませんって」


 この発言には語弊がある。

 オタクでも、自分の進路を真面目に考えている人間のほうが圧倒的多数だろう。

 先輩だって、多分ちゃんと考えている。

 だから学業を疎かにせず、テスト毎に学年一位に輝いているのだ。


 けれど、俺は違う。

 俺は二次元の世界を愛する者だ。

 三次元なんて何一つ興味がない。

 テストの順位も、自分が将来どんな職業に就きたいとかも、どうでもいい。


 というか、できれば働きたくない。

 一日中家の中で二次元に浸っていたい。

 ……ああそうだよ、クズだよ。知ってる。


「なら、宏慈……私の勝手なアドバイスを聞いてくれないか?」

「アドバイス?」


 なぜこんな話題を切り出したのだろう。

 意図が掴めず、俺は先輩の顔をまじまじと見た。


 先輩の瞳は左右に揺れている。

 この話を続けるべきなのか、自分の意見を言うべきなのか、迷っているように思えた。


 ――だが、やがて意を決したように俺を見据える。

 深呼吸を一つ挟み、口を開いた。


「――作品を生み出す側に、なってみる気はないか?」

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