6.オアシスは放課後に
「どうした宏慈? なんだかやつれているぞ?」
入室した俺を見るや、先輩が心配そうな声をかけてくれた。
「なんというか……今日は疲れることがあったので」
「そういうときは甘いものを飲め!」
「昼の残りのお茶があるんで、大丈夫です……」
荷物を置き、俺はいつものように先輩の隣に座る。
安物のソファなのだろうが、それでもスクールチェアよりは座り心地が良く、全身を脱力させて疲労回復を図った。
「扇いでやろうか?」
「無料ならお願いしたいです」
俺の依頼に先輩は微笑み、バッグから扇子を取り出すと、広げて俺の横顔を扇ぎ始めた。
扇子にはデフォルメされたアニメキャラが描かれている。グッズ商品だ。
これを教室で使うのはさすがにためらわれるだろう。
だが、ここはクラスメイトの目がある教室ではない。
なんの遠慮もなく趣味をさらけ出せる、俺と先輩だけの空間だ。
まさにオアシスと言っていい。
先輩に扇子を扇がせているという現状が、さらにそう思わせる。
心地良いそよ風を顔面で感じながら、俺は目を閉じ、夢見心地な気分を味わう。
「あ~、いい風来てますよ憬先輩。もうここに住みたいです~」
「え? ふ、二人でか?」
「そうですね~。授業なんか受けないで、朝から晩まで二人で漫画やアニメ見て過ごせたら、きっと幸せな人生ですよね~」
「そ、それは、ど、どういう意味で言ってるんら」
妙な噛み方をした先輩に、希望を説く。
「クラスのヤツら明日全員転校しないかなって」
「……するわけないだろうバカ者!」
「あいたぁ!!」
先輩の一喝と同時に、扇子の角が俺の額へと叩き付けられた。
「まったく、何を言い出すかと思えば……」
「だって今年、学年の男女カースト一位のヤツらと同じ組なんですよ? 今朝早速絡まれたし、これから一年間平穏な日々を過ごせる自信がないですよ……」
「別に、仲良くすればいいじゃないか」
「できるわけないでしょう!? 俺なんか去年から水呑百姓呼ばわりですよ!」
主に鬼童って女子のせいでな。
俺もヤツを鬼童丸とか呼んでやろうか。……無理です怖い。
「カーストだなんだと近頃のアニメでもよく言っているが、そんなものが本当に存在するか? 私は漫画やアニメが好きだと周囲にも公言しているが、だからと言って疎んじられたり遠ざけられているような自覚はないぞ?」
そりゃーまあ、先輩はそうでしょうね。
だって先輩、美人ですもん。
顔が良い。それだけでカースト上位に留まれる大きな理由になる。
「私アニメが好きなんだ」
「えーすごーいかわいーマジクールジャパンー」
みたいな。
俺ではそうはならない。
俺なんか見た目からして陰の者だからな。
「俺アニメが好きなんだ」
「知ってた」
はい終わり。
あと、おそらく先輩は一般的な女子高生の話題に付いていける。
タピオカ屋がどうの、とかな。
これは重要なスキルだ。
俺は流行りの店も芸能界の愛憎模様にもコメントできるような知識はない。
だからクラス内のトピックに入っていけない。
その先に待っているのは孤立のみ。
別に一人でいるのは好きだから、孤立自体は歓迎だ。
だから、俺以外のクラスメイトが転校すれば、俺が求める真の孤独を享受できる――という理屈。
「……まあ、君の身の振り方をどうこう言う権利は私にはないのだが」
わー先輩わかってるー。
どっかの幼馴染野郎に聞かせてやりたい。
「それでも私は、もっと君と、色んな思い出を作りたいと思っているよ」
「思い出?」
妙なことを言い出した先輩。
訊き返すと、彼女は扇子をたたみ、
「宏慈、君は二次元の世界の出来事にしか興味はないのだろう?」
「もちろんです」
「清々しい答えだな。私も二次元は大好きだ。毎日二次元の世界から、楽しさと幸せをたくさんもらっている。……けれど、私達が生きる世界にだって、楽しいことや、幸せになれるところはたくさんある。私は、どちらも味わってみたいと思っているんだ」
「……その一つが、例のタピオカ屋ってことですか?」
「……うん」
先輩は、ソファに置いてあったクッションで顔を覆う。
「それが憬先輩の友達とじゃなくて、俺とじゃなきゃいけない理由ってありますか?」
「私の中ではある。が、君を納得させられるようなものはない」
「……憬先輩の理由を訊かせてもらっても?」
俺の問いに、先輩はしばらくもぞもぞと顔をクッションに押し付ける。
ややあって、顔の上半分をクッションから覗かせ、答えた。
「君と、理想の活動をするのに、この狭い部屋の中だけじゃ足りなくなった。もっと広い外の世界で、君と一緒に楽しみたい。オタク的なことはもちろん、それ以外のことも、多少」
言うだけ言って、またぼふっと顔をクッションにうずめてしまった。
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