7.アンブレラシェア

 先輩を待たせている俺は急いで昇降口へと向かう。


「――随分遅かったな。まさか、間に合わなかったのか?」


 鍵を教員室に返し終え、俺を待っていた先輩がからかうような口調で言った。


「間に合いましたけど、これからはあらゆるヒロインのトイレ我慢シチュ否定派に転向します」

「まあ確かに、女の子はあまり我慢はしないほうがいいな……」


 たまにあるシーンだけど、あんな拷問を美少女に経験させるとか、作者は鬼畜だわ。


「では、帰るとしようか」


 先輩は折り畳み傘をぽんっと広げた。

 そうだ、外は雨が降ってたんだ。

 傘を持っていない俺が雨から身を守る手段はもはや一つしかない。

 スクールバッグを肩から降ろすと、両手で持ち直し、頭の上へと掲げる。


「何をやっているんだ君は」

「何って、傘替わりに」

「傘がないのなら学校のを借りればいいだろう」


 先輩は、普段貸し出し用の傘が置かれている傘立てを指差した。

 が、悲しいかな。早いもの勝ちのそれは、下校時刻を過ぎたいま、ただの一本も残ってはいなかった。


「じゃ、帰りましょうか」

「むむむ……」


 先輩は唸りながら、自分の折り畳み傘と俺のバッグ傘を見比べる。


「門限に遅れたら、先輩のご家族が心配しますよ?」


 一向に動き出さない先輩にしびれを切らし、俺は先に外へ歩みを進めようとした。


「待て、宏慈! ……これを持つんだ」


 すると、半ば押しつけるようにして、先輩は折り畳み傘を俺に手渡してきた。


「え? そしたら憬先輩が濡れちゃいますよ」

「だから、二人で入ればいいだろう」

「……は?」


 何言ってんの?

 それって、いわゆる相合傘じゃん。


「いやいや、そんなんダメですって。俺みたいなヤツと相合傘なんかしたら、憬先輩の評判に傷が付きますよ」

「ち、違う! これは断じて相合傘ではない! あれだ、シェア! そう、アンブレラシェア!」


 それを日本語で相合傘と言うんですが……。


「大体、他の生徒はもう下校しただろうし、変な噂など立たない。だから、君に迷惑はかけない!」

「そうは言ってもですね……」

「ううう、うるさいっ! これは先輩命令だ! もし君が風邪でもひいたら、明日からの活動にかかわるのだからな! さあ、もう帰るぞっ!!」


 俺の反論など聞く耳など持たず。

 先輩は外に向かって歩き出す。

 俺は慌ててそれに続き、先輩の頭上に折り畳み傘をかざした。


「……それじゃ君が濡れるだろう。もっと、こっちに寄るんだ」


 気を遣って先輩との間隔を開けていたのだが、傘を持つ手を掴まれ、ぐいと引き寄せられた。

 ぴったりと二人密着した状態で、校門へと歩いていく。


 先輩の身長は、女子にしては高い。

 対して、チビガリオタクの俺は見事に平均以下。

 だから、俺と先輩の身長差はほとんどない。

 こうして傘をさしながら歩いていると、そのことが逆にありがたかった。


 校門を出ると、大通り沿いに最寄り駅へ向かって歩いていく。

 といっても、駅を利用するのは俺だけで、先輩はそのまま徒歩で帰宅する。

 アンブレラシェアをするのも、駅に着くまでの十分弱程度だろう。

 歩きながら先輩の横顔を窺うと、先程よりも頬が紅潮していた。


「憬先輩、寒いんですか?」

「……だいじょうぶだ、なにももんだいない」


 言葉とは裏腹に、口調が硬い。

 寒さをしのげるようなものは何も持っていなかったので、せめて会話することで冷気を紛らわせようと、俺は口を開いた。


「憬先輩、さっき俺の二次創作を読んでみたいって言ってましたけど」

「うん、読みたい」

「憬先輩はキコ推しなのに、サイちゃん推しの俺の二次創作が読みたいんですか?」


 俺が書いた二次創作は、サイを救済する話だ。

 必然、その中ではキコが泣くことになる。


「どちらかと言えばキコが好きってだけで、サイが嫌いなわけじゃないからな。日々君がサイを愛でる色んな話を聞いて、彼女の魅力は私も少なからず理解してるつもりだよ」


 俺がサイを語るとき、先輩は辟易することなく俺の妄想話に付き合ってくれる。

 やっぱり先輩のほうが、俺なんかよりよっぽど優しい人間だ。


「最終回、憬先輩はどう思いました?」

「ん? だから、順当で納得の終わり方だと……」

「もう俺に気ィ遣わなくても大丈夫ですから。ほんとにすみません。せっかくキコが結ばれたのに、俺が喚いて変な空気にしちゃって。憬先輩の率直な感想も、教えてください」

「本当に、平気なのか?」


 疑問と心配の心情を顔に出して、先輩は確認する。


「いつも俺の話を聞いてもらってるんで、憬先輩の話も聞かないと、フェアじゃないですよ」


 俺が頭を冷やしに部屋を出る直前に見せた、漫画を読む先輩の幸せそうな顔。

 あれが、先輩が心に抱いた本当の感想だ。

 それを言葉にしてほしい。教えてほしい。

 先輩は、どう思った?


「あの最終回を読んで私は……そうだな、凄く〝尊い〟と思った」


 ……え? それだけ?

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