第19話 甘えん坊なシャーロット①

 放課後になり、教室からノアとお姉ちゃんが出てくる。

 エリアは声をかける事はせず、その後ろ姿をニヤニヤしながら見送った。


 今日は二人の初デート・・・・だ。

 林博嗣の新刊を買いに行くらしい。


 今朝、お姉ちゃんは眠そうだった。

 揶揄からかい半分で、


「ノアとのデートが楽しみで眠れなかったの?」


 と聞いてみると、頬を染めて、


「新刊が楽しみで眠れなかったんです!」


 と返してきた。

 おそらく両方なのだろう。

 エリアの姉はなかなか子供っぽいのだ。


 二人から少し遅れて下駄箱に向かう。

 靴を履いて外に出てみると、まだ二人の姿があった。

 手を繋ぎながら歩いている。


 ノアは平気そうだが、お姉ちゃんは目に見えて恥ずかしがっていた。


「甘酸っぱいっつーか、微笑ましいよな、あの二人」


 そう言って苦笑したのは、エリアの男友達のテオだ。


「小六とか中一の恋愛を見てるみたいだよね。主にお姉ちゃんが原因で」

「ま、ノアはアローラと付き合ってたかんな。多少は慣れてんだろ」

「いいの? テオ。二対〇だよ?」


 エリアがノアとテオの彼女歴の違いを揶揄ってやると、


「ノアは童顔だけど顔も整ってるし、性格も多分いいからな。そりゃ彼女の一人や二人くらいできんだろ」

「あれ、珍しく素直だね」

「うっせ。こういう時は意外と素直だろうがよ」

「知ってる」


 テオはステータスだけで人の事を判断しない。

 そこをエリアは気に入っていた。


「まあでも、ノアもなんだかんだで奥手そうではあるし、じれったくはなりそうだよな。あの二人がヤってるところとか全く想像できねえし」

「姉と友人がヤるところを想像させないでくれる?」

「わりぃわりぃ」


 エリアがジト目で睨んでやれば、テオがポリポリと頭を掻いた。


「そうやってデリカシーないからモテないんだよ、テオは」

「うっせーな。彼氏持ちじゃねー奴に言われても説得力ねーよ」

「ふん、私は作ってないだけだし。作ろうと思えばいつでも作れるし」

「俺だってそうだっつーの」


 冷たい風が二人の間を横切った。


「……ねぇ、私たちむなしくない?」

「言うな」


 一瞬の空白の後、エリアとテオは同時に吹き出した。




◇ ◇ ◇




 シャルが繋いでいない方の手で口元を覆った。

 あくびを我慢しているのだとわかった。


 本人は否定していたが、大方新刊が楽しみで眠れなかったのだろう。

 シャルは意外に子供っぽいのだと、最近わかってきた。


「シャル。きつそうなら明日でもいいよ。無理すると体調くず——」

「何を言っているんですか延期なんて言語道断です」

「……大丈夫ならいいんだけど」


 シャルの秘技、句点と読点が一切なくなるマシンガンおしゃべりができるなら、まだ大丈夫なのだろう。

 そう判断して、僕はシャルとともに本屋に向かった。




 見立てが甘かった。

 本屋を出る頃には、シャルは目に見えて体調が悪そうだった。

 顔が赤く、呼吸も荒い。足元も少しおぼつかない様子だ。


「シャル、大丈夫?」

「はい、大丈夫です……」


 シャルは頷くが、息遣いが体調の悪い人のそれだ。


「あっ——」


 シャルの体が前のめりに傾いた。

 慌てて支える。どうやら足元の小石につまずいたようだ。


「シャル」


 僕は背中を向けてしゃがみ込んだ。


「えっ……いえ、大丈夫ですよ。少し寝不足なだけですから、自分で歩けます」

「だめ。自分でも少し寝不足なだけって調子じゃないのはわかってるでしょ。怪我も危ないし、倒れられても困るから。ほら」

「……じゃあ、すみません」


 存外素直に背中に乗ってくる。

 シャルの体は熱かった。明らかに熱があるな、これ。


 シャルが首元に腕を回し、肩に頭をもたれかけさせてくる。首筋にかかる息も熱い。

 かなり辛そうだ。


 なるべく振動が伝わらないようにしつつ、僕は足を急がせた。




 シャルの家に着く頃には、体調はさらに悪化しているようだった。


「シャル。家の鍵は?」

「すみません、カバンの中……です」

「了解」


 一度断る元気もないようだ。

 鍵はすぐに見つかった。

 寝室に直行する。


 女の子の寝室に入るのは躊躇ためらわれるが、今はそんなことを言っている場合じゃない。

 ベッドに座らせてから、背中を支えて寝かせる。


「じゃあ、僕は濡れタオルとか準備してくるから、寝れるようなら——」


 シャルがベッドから離れようとする僕の服をつまんだ。

 潤んだ瞳がこちらを見上げていた。


「シャル?」

「行かないで……」


 か細い声だった。

 今にも泣き出しそうだ。迷子の子供みたいだな、と思った。


 気がつけば、僕はシャルの手を握っていた。


「大丈夫。僕はどこにも行かないよ」

「本当に……?」

「本当だよ。だからおやすみ、シャル」

「うん……」


 頭を撫でてやれば、シャルは安心したように笑って目を閉じた。




 僕が自分のした事の恥ずかしさに気づく頃には、シャルはすっかり寝入っていた。


 彼女の境遇を考えると、胸が締め付けられる。

 幼い頃には暴走障害を発症し、ずっと腫れ物扱いされてきたシャルは、甘えたくても甘えられなかったのだろう。

 先程の甘えっぷりは、その反動なんじゃないだろうか。


 僕の手を頬にり付けて安心したように眠るシャルを見ていると、庇護欲が掻き立てられる。

 抱きしめたくなる衝動に駆られて、慌てて目を逸らした。


 良くないとは思いつつ、チラチラと部屋の中を見回してしまう。

 そして気づいた事は、彼女の部屋はお世辞も綺麗とは言えないという事だ。


 さすがに外行きの服や下着はないが、あちこちに本の山が積み重なっており、部屋着であろうラフな服が散乱していた。

 ……本当に片付けが嫌いなんだな。


 シャルはぐっすりと眠り続けた。

 手を離しても起きる気配はなかったので、濡れタオルをその額に置いたり、おかゆの材料や薬を買いに行ったりした。


 リビングや台所もあまり綺麗な状態ではなかった。

 シャルが暴走した時は綺麗だったので、誰かが定期的に掃除しているのかもしれない。


「エリアっぽいなぁ」


 何だかんだで世話好きなシャルの双子の妹が、文句を垂れつつも甲斐甲斐しく掃除をする姿が容易に想像できて、僕は思わず笑ってしまった。

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