鈴鹿は歩み白河は翔る

桜百合

アメリカなら訴訟モンだ

春を過ぎて梅雨が終わった、そんな夏の入り口のある日のことだ。

夕陽の派手でやかましい橙色に染められた教室に一人残って、ほんの出来心から書き始めた恋愛小説を人に見られた。


秀でたところが何もない。圧倒的凡。もはやそれが非凡……というようなこともない。異常な通常なんて逆説的な魅力もない。

かと言って分かりやすいあからさまな欠点もない。けれどその分特技や良いところもない。満ちているようで欠けているという矛盾を孕んだ存在。

と言うと随分格好の良い何かのように思えなくもないが、もちろんそんなこともない。

今こうして頭の中で綴っている思考もしつこく歯切れが良くない。


くどくはある。


魅力はない。


オチもない。


出オチ感はある。


でもまあ、いらない。



話を戻すか。


「男はおちびの…」


一人きりと思っていた教室で女の人の声がしたのだ。


落日をおちびと読み間違えた第一声に僕は思わず振り返ってしまった。

例えばこれが昼間の休み時間であったなら、そんなことはしなかった。そも僕は昼休みなんて人の多い時間に小説を書くなんていう愚かな真似はしないわけだが、仮にしていたとしても振り返ることはなかった。

なぜならそのような明るい時間の賑やかな空間は、人がいて当然だからだ。

僕の座席は廊下側から四列目、窓際から五列目、教卓から四列目、ロッカーから二列目だ。周囲には八人分の席がある。

僕を包囲する席に位置するこの他人らはいわゆる陽キャの部類で、日頃から必要以上のボリュームでやれストーリーだのやれポストだのやれいいねだのと壊れたラジオのように繰り返し鳴いては膝を叩いてギャハハと下品に笑っている。

なぜ声量の調節ができないのか。弁が壊れてしまっているのだろうか。それともブレーキが壊れているのかそもそもそこに足が届いていないのか。

早い話が、僕はその他人らに迷惑をかけられているということだ。

まあそれをやいと咎めてやってもいいが、後々僕への風当たりが強くなりそうで、その方が面倒だから今までやかましい騒音に耐えていたわけだ。


にしてもまた話がそれてしまった。悪い癖だ。


そう。背後から声が聞こえて来たのだ。しかも僕の小説を読み上げた声だ。

落日をおちびと読み間違えた声だ。


「わ…誰。何」


我ながら抑揚のない声だった。今日初めて発した声がこの時間のこれだった。

僕の中にある色々な僕のうちに、少しだけ陽気そうなやつがいる。そいつが「不甲斐ない」と声をあげたような気がした。

それはつまり、人とまともに話さない自分を不甲斐ない、情けない、みっともないと感じている自分がいるということだ。

しかしそうか、自分で自分にそう思うということは、もしかしたらこの人は僕以上に僕をそう思っているかもしれないということか…。

…いや、僕が今日初めて口を開いたなんてこの人はわからないだろ。

ならいいだろ。


「えっ、鈴鹿すずかだけど…」


すずか…苗字か?知らない名前だ。他クラスか?

…いや待て、もしかしたらクラスメイトかもしれない。もし仮にクラスメイトだった場合、僕がこの人のことを知らないというのは凄く失礼にあたる気がする。

まだ三か月と少しの付き合いとは言え、僕には人の名前を覚えるのが苦手なきらいがあるし、おそらく他人らはあまり関りがなくても同じクラスの人間や、席、それに出席番号が近い人間の名前くらい覚えているかもしれない。

でも、でもだ。

僕は生憎の陰キャだ。

放課後の教室に遅くまで残って小説を書いてるやつが陽キャな訳はないし、この人だって僕が陽キャじゃないことはわかりきっているはずだ。

であれば僕がこのすずかさんの名前を知らないということは失礼でも何でもないし、ごく自然なことのずだ。



でもどうだろう。少女漫画の世界ではこういう時にクラスメイトの名前を知らないような失礼なやつは、大抵モテモテな気がする。


「え…?誰…?(無気力イケメンイケボ)」


「なッ!クラスメイトの私の名前も知らないなんてどういうことよ!」


こんなところか。

ここで僕がこの人の名前を知らないふりをする…いや知らないのは事実だからふりは違うか。

けれど僕の今までのこの胸の内の逡巡をほかでもない僕自身がなかったことにしてしまえば、そこには少女漫画の男然とした僕がいるだけになるな。

そうなればこんな僕ももしかしたらモテるのではないか?

ないもの尽くしの僕に彼女という存在があるだなんて、ちょっと主人公のようじゃないか?

今までのないない尽くしは、もしかしたら今この瞬間から始まるモテ街道のための布石だったのではないか?


それに何より、小説のネタになるじゃないか。

今しがた筆を走らせ綴っていた物語の方も都合のいいことに恋愛モノだ。高校生同士の淡い青春を瑞々しく描いている途中だ。

この作品で一発当てて学校中退して、夢の印税生活が送りたいんだ僕は。


決めた。やってやる。



「え…?誰…?」


…思ったより恥ずかしいなこれ。

僕の声上ずってなかったかな。

反応はどうだろう。


「なッ!クラスメイトの私の名前も知らないなんてどういうことよ!」


って言ったりするかな。


「いや鈴鹿歩だよ!席前後じゃん!なんで私の名前知らないの!?影薄いかな私!」


惜しい。ニアピンだ。


全てが同じというわけではないが、一致率は意外と高い。四十パーくらいか。ちょっと尺が長いしテンションも高すぎる気がするが、決して悪くはないな。

しかしそうなると次は…名前を口にして、それで覚えたアピールをするくだりか。

どう言おうか。ここは先程までと同じ通りに無気力イケメンイケボで、かつ名前を知らない失礼をカバーできるようにちょっと愛嬌がある感じで…


「すずかあゆむ…すずかあゆむ…うん。おぼえた(無気力イケメンイケボ)」


これだ。このひらがなで反芻している感じと、ひらがなの”おぼえた”これが肝だ。

よし、やってみよう。


この時、僕の胸か頭の内に、一筋の稲妻、霹靂が走った。


最初に名前に反応するのが本当に少女漫画か?と。


一度冷静になろう。


まずこの鈴鹿さんは何て言っていた?


「いや鈴鹿歩だよ!席前後じゃん!なんで私の名前知らないの!?影薄いかな私!」


さて、まず何だこの人は。自分の名前は皆知っていて当然とでも思っているのか?そう突っ込みたくなる第一声だな。

しかして問題はその次だ。席が前後。これは衝撃の事実と言えないか?

前後。前後か。


…前後?


「それは俺が前?それとも後ろ?」


僕の中の全ての僕が、パッチィンと指を鳴らした。

満場一致のベストアンサーだ。

そう、名前を知らない相手の名乗りに対して想定外であろう名前以外へのレスポンス。この天然感がいい。愛嬌もあり、なおかつ独特の感性というキャラが立つ。


「そこから?私が後ろだよ」


そしてこのように互いの位置関係を相手側に吐かせるよう誘導することも出来る。これは妙手。会心の一撃だ。


「ごめん。今おぼえた」


「えぇ…」


すかさず謝罪を入れる。そしてひらがなの”おぼえた”これはアツいな。激アツだ。

こうして相手のリズム、テンポをずらす事により、この鈴鹿さんの溜飲を下げる。それによって場はすっかり僕のペースとなっていた。


後ろの席といえば、やかましい他人らの一角だ。どうせ常日頃はそのでかい声で僕のような静かな者をさんざっぱら嘲っているんだろうが、ひとたび同じ土俵へ上がってしまえばこんなものだ。


…鈴鹿さんとやら、表情が少し暗いな。僕なんぞの下奴に手玉に取られたことがよほど悔しいようだ。

そのままさっさ帰ったほうがいい。そして今日のことは忘れるんだ。


「ねえ、それって小説?」


意外だ。まだ話しかけてくるか。


「そうだけど」


今度は少しぶっきらぼうにそう返してみた。するとこれがいけなかったのか、思わぬパンチを食らうことになる。


全てはここから始まった。


そう言って差し支えのない言葉だった。



「友達いないのに書けるの?」



その一言は僕の胸の内をぐぎゅっと鷲掴むように締め付け、挙句にはどすっと貫いた。


トモダチイナイノニカケルノ?


ともだち いないのに かけるの ?


と、と…


友達いないのに書けるの?だと…?


お前には人の心というものがないのか。

僕が失礼ならお前は無礼だ。越えてはいけない一線、ラインというものがあるだろうが。別に僕は友達がいないことに何か劣等感や不足感、ぽっかり穴の空いたバケツのような満ち足りなさを感じているということはないけれど、でももし僕がそれを凄いコンプレックスに感じていたとしたら、君は今の発言に対してどう責任を取ると言うんだ。僕の心が酷く傷ついてしまったらいったいどうしてくれると言うんだ。

やはり陽キャは頭がぱっぱらぱーだな。中身からっぽで地に足も付いていない刹那主義の快楽主義だ。浮いて飛んでいる。いやトんでいる。

こういう輩は大嫌いだ。友達がいないことは別に図星でもなんでもないが、それは口角を上げて指摘していい事柄では断じてない。


「はぁ?別に書けるけど」


クソが。アメリカなら訴訟モンだぞ。

よし。じゃあこっちはお前のミスを晒して貶めてやる。


「それと、らくじつ」


こんな小学生レベルの漢字も読めないスッカスカ脳ミソにまずは正しい読み方ってものを教えてあげないといけないな。

勿論無気力イケメンイケボムーブは継続だ。

お前が


「友達いないのに」


と言って馬鹿にした僕が、この天然あどけない無気力イケメンイケボキャラで目にもの見せてやる。

お前を恋という八大地獄もかくやの沼へと引きずり落とし、こっぴどく振ってやる!


ほら落日だ。わかるか?


「らくじつ?何が?」


だろうな。この突拍子の無い急な振り。これが天然あどけない無気力イケメンイケボキャラの魅力だ。

…毎回フルで言うのはしんどいな。何か名前を付けるか。


凛としつつどこか隙があるような、なにかそんな感じの名前はないだろうか。

でもそも”凛としてる”の時点で”凛”の最有力候補感が凄まじい気がするな。でもそれだと恰好よすぎてしまうんだ。それはいけない。

柔らかくて春を思わせるような、そんなのんびりとした側面も必要だ。しかしそう考えると…草か?木?花?この辺りに正解への一助となるものがある気がするぞ。

そうしたら…ああ、また話がそれた。宿題にするか。


落日、落日ね。


「ん。ここ」


オラ、ここだよホレ、オイ、オイ。

トントンしてやんないとわからないとはな。恐れ入るよ。

しかしなんだおちびって。

落と日の間に”ち”が無いだろうが。熟語もわからないのか?

教えてやるよこの野郎。


「おちびじゃない。鈴鹿さんが読んだとこ。日の入りとか衰退って意味」


天然あどけない無気力イケメンイケボの知的ギャップモードだ。どうだオラ。


「男は落日の…」


「読まなくていい!」


「ええ~…」


こいつマジか?陽キャとかどうとか以前に人としてどっかおかしいんじゃないか?馬鹿で妙に明るくて突拍子もない発言に…

……こいつまさか…天然か?

こ、これはマズい。天然対天然のラブコメなんてやってられるか。粋な誘い文句の一つも伝わらないような欠陥コンビになる気は僕には無いぞ。

帰ろう。帰るんだ。

そうして一度計画を練り直そう。



天然…天然なら、あのトモダチイナイノニカケルノはもしかして、悪気も無しに口にしたかもしれないということになるのか…?

そんな…そんなの…

そんなの、なおのことタチが悪いじゃないか…!


無邪気に人を傷付ける通り魔さながらだ。

バトル漫画にたまにいるピュアな少年の見た目で、人を傷付け殺すことになんの躊躇もないサイコパスキャラさながらだ。


「あれぇ?ボクまた何かヒドイこと言っちゃったぁ?」


これもんだ。


「みんなボクから離れていく…それならもう…

死んじゃえ」


BGMがフッととんで声優の演技が映えるシーンさながらだ。

この人殺しめ。僕は騙されないぞ。


…ああ、鈴鹿さんは別に人殺しではないのか。

いや関係ないな。僕の心殺人未遂だ。アメリカで訴訟モンならこの国では復讐モンだ。


「もう帰るから。今日のことは忘れて」


天然あどけない無気力イケメンイケボに少し影を落としたところで今日はひとまず引いてやるけれど、


「忘れらんないよ」


「いいから。それじゃ」


僕は君を許さない。絶対に。何があっても。

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