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 船の食事は、セルフ方式だ。


 見張りや操船などの仕事は交代制なので、乗組員が決まった時刻に全員そろって食事をとるわけではない。前日の夕食は、僕の顔合わせと出航前夜に英気を養うための酒宴を兼ねた、特別な宴会だったらしい。


 食堂のテーブルの上を通って、壁の端から端まで、僕の胸くらいの高さにロープが張られている。そのロープにはつきの鍋がぶら下がっていて、みんな、その鍋の料理を自分で取り皿にとって食べる。

 船が急に揺れても鍋がひっくり返ってしまわないように、こんな方法をとっているのだという。


 食事と洗濯は、おもにジーナの仕事になっている。今日のメニューは、スパイスのきいたカレーのような味のシチューだ。とてもおいしい。


「あー、うまかった。ジーナがこの船に来てからさ、メシがうまくなったんだよな。オレ、スッゲー満足」


 満足そうに腹をさするビイロフさんに、僕は気になっていたことを尋ねてみた。


「ビイロフさん、目的地のマルダールって、町の名前ですよね。どれくらいかかるんですか?」


 そうなのだ。僕はこの世界の地理をまったく知らない。だからマルダールへ向かうといわれても、ピンとこない。みんな一緒とはいえ、知らない土地で、どこをどう移動しているのかわからないのは、なんとなく不安だった。


「え、マルダール知らないのかよ。セントラル・オーシャン地域で最大の貿易都市だぜ。マルダールはユニコーンの膝だから、この船だと一週間ぐらいだな」


 うーん。いきなり固有名詞が並んでしまった。なぜ突然、ユニコーンが出てきたんだろう?

 ビイロフさんは、僕が落ちたる者だという事情を気にかけていないようだ。へんに気を使われるよりはありがたいんだけど、いまの説明では意味がわからない。厨房のほうで、ジーナが笑いをかみ殺しているのがちらっと見えた。


「んじゃ、オレ、先に行くからよ。このあとは暇だから、ゆっくり食ってきていいぜ」


 そう言うと、ビイロフさんは食堂から出ていってしまった。


「世界地図とか、ないかな……」


 僕はなんの気なしにつぶやいた。地図があればわかりやすいんだけどな。


「地図、あるよ。ユートの真後まうしろ」


 独り言のつもりだったのに、返事が返ってきて僕は驚いた。厨房のジーナが、僕の後ろを指さしている。振り返ってみると、真後ろの壁に大きな地図が貼られていた。


「あ。でも昨日の夕食のときはなかったはずなのに」


 はっきり覚えている。昨夜、ここには巨大な亀の甲羅が飾ってあった。


「今朝早くに、シルビア船長が貼っていったんだよ。ユートが見たがるだろうから、って言ってた」


 そうだったのか。どうやら、僕の考えることはシルビア船長にお見通しだったようだ。僕は、近づいて地図を眺めた。


 地図には、三つの大陸と、その周辺に大小の島々が描かれていた。あちこちにマルやバツの印がついていて、地名らしき文字が書かれているけど僕には読めなかった。エインさんが言っていた言語のリンクは会話だけで、文字は読めないみたいだ。


 最初に目をひくのは、地図の左のほうに描かれている最も大きな大陸だ。

 ぱっと見て、ビイロフさんの言葉の意味がわかった気がした。


 その最大の大陸は横長の長方形で、北東だけ半島状に張り出していた。南東と南西には、細長い半島が突きだしている。

 つまり、左から右に向かって走っている馬の形にそっくりなのだ。馬の額のあたりからは、さらに細い半島が突きだしているから、まさにユニコーンだ。


 ユニコーンの走っていく方向には、海をへだてて、二番目に大きい大陸が描かれている。こちらは、不自然なほどきれいな三日月形をしている。アルファベットのCの字型だ。ユニコーンの角の先端と三日月の上部とは、くっつきそうなほど近くて、海峡になっている。


 三日月大陸の南西には、第三の大陸がある。横に長く、海岸線がくねくねと複雑な形をしている。この大陸と三日月の下部も細い海峡だ。


 横からすっと手が伸びて、ユニコーンを指さした。ジーナだ。


「ユニコーンみたいな形だから、ユニコノリア大陸っていうの。三日月形が、クレセントリア大陸。三番目のは、ルイノリア大陸。内陸部が古代遺跡の廃墟で埋め尽くされているから、そう呼ぶんだって。それで、三つの大陸に囲まれたこの真ん中の海が、中央海セントラル・オーシャン


「へえ……」


 ジーナは、中央海の南方、ユニコノリアとルイノリアの間の海に指を移した。小さな点がいくつも描かれている。


「ユートが見つかったのは、このあたり。いま、船はこんな感じで進んでて」


 言いながら地図上を左斜め上に指をすべらせていき、指先をユニコーンの前脚の膝のあたりへと移動させた。そこにはマル印がついていて、他よりも大きく文字が書かれている。


「ここが、マルダール。とっても大きな都市で、ロブスター号の本拠地なの」


 ジーナの説明で、僕はようやく自分のいる位置がわかった。わかったんだけど、違和感がある。ちょっと合わない。


「でもさ、それだと僕らは西へ進んでることになるじゃないか。さっき船の進行方向に朝日が昇ってたんだから、東へ向かってるはずだろ?」


 僕の疑問に、ジーナがけげんな顔をする。


「おかしくないよ。太陽はユニコーンの彼方かなたから昇って、三日月の向こうへと沈むんだから。朝の太陽が西にあるのは当然だけど」


「えっと……そうなんだ……」


 ここは異世界だ。太陽の動きが逆でもおかしくない。

 地図と太陽。

 僕は自分が異世界にいることを、あらためて思い知らされていた。






 ロブスター号での数日が、あわただしく過ぎていく。

 晴れた日が続き、すべて順調だとみんなは言いあっている。慣れない僕は、なにもかも新しく覚えなきゃいけないことばかりだ。

 とりあえずの目標としては、エイムズさんに教わった、もやい結びをマスターしないといけない。


 二日ほど前から、船は左舷遠くに陸地を見ながら走るようになっている。地図とジーナの解説のおかげで、あの陸地はたぶんユニコーンの前脚なんだろうなと想像できた。


 そして、今日。

 見張りについていたクァラさんの大声が響きわたった。


「見えたー! マルダールだぞー!」


 目を凝らしてみると、左舷前方に、うっすらと町のシルエットが浮かび上がっている。高い塔のような建物が、いくつも見えた。


 救助されてから約一週間。

 僕はついに、この世界で初めてとなる町、マルダールに着いたのだった。

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