第10話 狂戦士の力

 排水溝のどぶをさらったかのような嫌な臭いがする。嗅覚を刺激するものではないと気づいたのは目の前の男の顔を見たからだ。顔はやつれ、双眸そうぼう爛々らんらんとしているのが不気味だ。金色の美しかった髪は白い骨を想起させた。

 あの少年だった。

 イカの触手が兜にあたり、兜が落ちる。

 狂戦士の素顔に目を丸くする。いや、イカは信じたくなかったのだ。試合前に顔を合わせたときの迷いを、戸惑いを、イカは振り切れずにいた。


「どうです、俺の力は?」


 少年は得意になって言った。口の端が吊り上がっている。まるで昨日の少年とは別人である。


「昨日まで溜めた負の力をこうやって解放できるんだ、最高の気分だ……」


 少年の顔は紅潮している。うっとりと中空を見上げた。己の力に酔っている。そうとしか思えない。

 イカは少年を、タラバガニを、問いただした。


「何でだ? どうして? そうまでして力を欲するんだ?」


 少年はふっと笑った。


「簡単なことですよ。金! 金ですよ! 金のためです。金を貰って闘う、繰り返しだ」


 恍惚とした表情を浮かべた少年をイカは直視できない。


「おかしい! 間違ってる。金を稼ぐのは、闘うためじゃないだろう?」

「意見の相違ですね!」


 タラバガニがイカに剣を振り下ろす。イカはライトサーベルで防ぐ。激しい火花が散る。


「ぐぬぬ……。金を稼いでどうなるんだ? きみはどうしたいんだ?」

「知りませんよ。俺は闘うことしかできないから!」

「きみが金を稼ぐのは幸せになるためだろう? それを忘れるな……! 力に飲まれるな」

「うるさい!」


 ライトサーベルはもう数分も持たないだろう。イカは触手でタラバガニの腕に巻きついた。


「なにをする? 放せ……放せよ……!」

「いいか? 力を振るうから幸せになれるんじゃないんだ、幸せになりたいから力を振るうんだ」

「黙れっ、黙れっ……!」

「もっと思い出せよ。失った幸せの形を、さ?」


 イカはライトサーベルでタラバガニを袈裟けさ斬りにした。タラバガニは倒れた。

 禍々まがまがしい負の力が和らいでいく。


「ほんとうの君の現実を生きるんだ。しっかり朝ごはんを食べて、学校に行って、学んで、体を動かして、友達を作って。生きてるってそういうことだろ?」


 タラバガニの甲冑から負の力の気配が無くなっていく。


「立てよ。朝ごはん、いっしょに食べようぜ」


 会場が沸き立った。チャンピオン、タラバガニの敗北である。イカとタラバガニは何も受け取らずに闘技場を後にした。

 闘技場を出て、二人は飯屋に入った。二人はテーブルで向かい合う。せ細った体をまじまじと見る。これは大変だ。今日の勝負はこの少年をどこまで太らせられるかにかかっている。イカはウェイターに大人の余裕を見せつつ、注文をした。

 腹がぐぅっと鳴ると、白湯を飲ませる。しばらくはこれで紛れるはず。ところが、少年の腹の音は止まらない。

 つぎつぎと料理が運ばれてきた。

 ローストビーフ、魚のマリネ、揚げたイモ、ウィンナーとベーコンの盛り合わせ。ガーリックトースト。涎があふれだしてくる。


「どんどん食え! お腹いっぱいになれ!」


 イカは太っ腹だった。


「はい!」


 がつがつ、もぐもぐ……。タラバガニは小さな口に食べ物を詰め込む。ほんとうに何日もなにも食べていなかったらしい。それで闘技場のチャンピオンだったのだ。こいつはもしかしたら、やばいやつなのでは? イカはぼんやりと食べ物に夢中なタラバガニの顔を見た。


 イカの視線に構わずにタラバガニは食べ物を美味しそうに頬張る。


 タラバガニはにっこりと笑った。

 遅い朝食を二人は済ますと、街で別れることにした。タラバガニはもうだいじょうぶだ。自分を大切にすることを知ったから。負の力に負けることはないだろう。

 イカは手を振る。タラバガニも手を振る。タラバガニは歩き出す。その姿が見えなくなるまで、イカはタラバガニの背中を見ていた。


 人混みのなかでイカは目を疑った。よく見知ったエルフの女が遠くにいた。


「……シビュラ!」


 ありえないことだ。シビュラがこの街にいるはずなんてない。シビュラはだって……。

 エルフの女の後をイカは追った。店の奥の曲がり角で女は曲がる。イカも曲がろうとした、そのとき――。


「あんた、何者? 私を追ってるの、バレバレなんだけどぉ?」


 イカは足を押さえつけられ、身動きがとれなくなった。じたばたと触手を動かす。それも枷のようなもので封じられる。


「こ、これは誤解です、誤解……」

「何が誤解なの? あんた、ストーカーでしょ? 知ってるんだからっ」

「いや、その……知り合いに似ていたんです、ほんとうに……あの、許してください、マジで」

「そんなの嘘!」


 遠くからよく知っている声がした。


「嘘じゃないぜ」


 街路樹の上にBLTがいた。


「BLT! あんたの知り合いなの? こいつは」


 どういうことだっ。説明、頼む。

 BLTはイカにエルフの女を紹介した。エルフの女の名前はアルウェンというらしい。

 

「アルウェンとは、何回かパーティーを組んだことがあるんだ」

「腐れ縁ってやつ。BLT、あんたがこんなのとつるんでるとは思わなかった。ストーカーと、ね」


 いちいち棘のあることを言う。シビュラとは大違いだ。神様はなぜこんな女と同じ形にイカの愛する者を作ったのか。


「こいつはストーカーができるタマじゃないよ。こいつは強い俺のパートナーだからな」

「強いって? 私が簡単に取り押さえられたのにぃ?」


 アルウェンはBLTを睨んだ。


「闘技場のタラバガニ、アルウェンだって知ってるだろ?」

「ええ。まぁ……不敗のチャンピオンで有名でしょ」

「イカは今朝、タラバガニを打ち負かしたんだよ」

「は?」

「だから、タラバガニを倒した男がそいつなの」

「え?」とアルウェンは言葉を失くした。


 イカは「ドヤァ」という顔でアルウェンを見た。


「なに言ってんの? はぁ? 私に嘘ついているでしょう、BLT。こんなストーカーにタラバガニが負けるわけないでしょうが!」


 アルウェンは目を見開いた。


「おい、イカ。称号を見せろ」

「え?」

「え? じゃないよ」

「すまん、BLT。まだ称号を受け取ってない……。忘れてたよ……」


 三人は闘技場に向かった。街を歩きながら、アルウェンとBLTは近況を話し合っている。おしゃべりを聞きながら、イカはずっと過去の記憶を思い出している。エルフの村のことはほんとうに残念だった。

 表の大通りでパレードと出くわした。イカは盛大なパレードに目を奪われる。


「なぁ、BLT。これは何事だ?」

「たぶん、聖騎士パラディンが決まったんだよ」

「パラディン?」

「知らないの?」とアルウェン。彼女は続ける。

「そう、高難易度クエストをクリアした者や、レベルが上限マックスに至った者は聖王からパラディンの称号が与えられるの」

「そうなのか?」


 とイカはBLTに尋ねる。


「ああ。パラディンに俺もなりてぇ……」

「なったら、どうなるんだ?」


 アルウェンはパレードの列を見ながら言う。


「世界の理の変更。ゲーム・システムをひとつだけ、自分の都合のいいように書き換えられる」

「そんなことが出来るのか?」

「ええ。だから、パラディンはある意味、世界を統べることができる」


 イカは息を呑んだ。もしパラディンになれたなら、どうしようか。

 そうだ、私だったら――。


「闘技場はまだ遠いんだから、行きましょう?」

「分かったよ、行こうぜ。イカ」

「ああ」

 

 三人は称号が消える前に闘技場へと向かった。

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