破鏡己道

“There is no greater grief than to recall a time of happiness when in misery.”

                  ーダンテ・アリギエーリ 『神曲』-地獄編五曲


「そこにかけたまえ」

局長がそう言う

「はい、失礼します」

そう言って私は局長の手で示された椅子に座る

革張りのいかにも高級そうな、それでいて上品なソファだ

局長は腕を組みそれを机の上に置きながら私と目を合わせる

「報告書は読んだ。件の少年は我々が封じたはずの力を持っているそうじゃないか」

「はい。その通りです」

「うーん…そこが謎なんだ。知っての通り、件の少年の処理を行ったのは形山だ。あの者が失敗するはずはないんだが…」

「仰せの通りです。現に、彼が処理を行った際、ちゃんと術が効き少年…いえ、春倉が昏倒したのを目の前で見ました」

「うむ。一応もう形山には連絡を取ってこちらに来てもらっている。もうすぐ着くそうだ」

そういうと側の引き出しから上品な皮のケースを取り出す

中に入っているのは葉巻だ

「一本やるかね…と、すまない。君は吸えないんだったね」

「いえ、大丈夫です。お構いなく」

「そう言ってもらえて気が楽だよ」

局長は遠慮なくスパスパとやり始める

数十秒間経ち、煙を口から吐き出しながら言った

「とりあえず、この件の少年にもう一度だけ処理を行ってみよう。もしかしたら、なんらかの外部偶然が起きてたまたま封印されなかったのかもしれないしな。これでダメだったら…」

そういうとまた吸い、煙を出した

「彼にはコチラに来てもらうしかないな…」

そう静かに言った

部屋の中に静寂が訪れる

心なしか寒くなってきた

「…とりあえず、君はこれでもういいよ。後のことは私がやっておくから」

「わかりました。では」

そう言って立ち上がる

「失礼します」

そう言って部屋から出ていった





局長以外人のいなくなった部屋にて

スパスパとやりながら報告書を読む

(考えられるのは3つだな。1つ目は形山が失敗した可能性、2つ目は近くの霊道、霊的関係を持つ場所からのなんらかの力が働いた可能性…)

そして少し動きを止める

目を瞑って考える

(3つ目は…)

そう言って少し笑った後、首を横に振るう

(いや、ないか。一応彼の親戚類を調べたが、該当しそうな者はいなかったばかりか、魔術関連に触れたものも春倉を除いていなかった。ありえない…か)

そう思うと目の前にある報告書に文章を書き始めた…

ペンをすすめるカリカリという音以外、この部屋からの音はなくなった





春倉は目を覚まし、ここは何処かと思った

そして、この目を覚ました感覚をどこか不思議と懐かしく思った

また、自身が見ている部屋のような場所もまた、どうも見覚えがあるような気がした

(このベット…俺は一回、ここで寝たことがある…?)

そんなことをぼんやりと思った時

ガチャッ

と音がした

入ってきたのは20代前半かと思われる若々しい女と、1人の男だった

「お、目覚めたようだ」

男の方が春倉を見ながら声を出す

春倉はどこか、不思議な感覚を覚えた

一度見て、話したことがあるけど、どうもそれを思い出せないような感覚…

「あの、貴方方はいった…」

「はいはい、ストップストップ。落ち着いて」

春倉は黙った

「単刀直入に言おう。君がここにきたのはこれで2度目だ。1度目に来た時、君の処置を任されたのが僕。まぁ、覚えてないだろうけど」

そういうとその男は春倉の額に手を置いた

「カケマクモマシコキ…」

その刹那、春倉の頭の中で何かがなくなったような気がした

「突然でごめんね。こうでもしないと、封印がまた解けるんじゃないかと思ってね」

目の前の男はそういった

だが…

「あの、形山さん?ですよね」

春倉は頭の中にふと思い浮かんだ名前を言った

その瞬間、その男の顔が固まる

「…路三乃くん。長官に電話。俺の術が通じてない。封印は不可能」

「はい…」

そう言って路三乃と呼ばれた女性は携帯を取り出すと、何処かへかけ始めた

「さて…」

形山が椅子を手繰り寄せ、そこに腰掛ける

「参ったな…君、本当は記憶があったの?」

形山が問いかける

「いえ、分かりません。ただ、さっきのは頭の中に急に出てきた名前を言っただけで…」

「でも、君はまるで確信めいた口調で言ったじゃあないか」

「はい。理由は分かりません。ですが、これが貴方の名前なんだなと直感的に…」

「ははっ!とすると、君はテレパシーが使える能力者でもあると」

「てれぱしー?は分かりません。でも、僕は本当に…」

「分かってる分かってる。その様子じゃ、本当に記憶はなかったようだけど、俺の術を破って記憶を取り戻したらしいな。どこまで覚えてる?いや、どこから覚えている?」

「路地裏で『妖』と呼ばれてた奴?に襲われたところから、今ですが思い出しました」

「ってことは、1回目からか…なーるほどね」

ここまで春倉と形山が話していると、路三乃が電話から耳を離し、こちらに顔を向けた

「長官が その少年を連れてこいと。話がしたいそうです」





扉がノックされる

「長官。件の少年をお連れしました」

と聞こえた

「入ってくれ」

私はそういう

「失礼します」

そう言って3人の人物が入ってくる

その3人の真ん中にいる少年に目をつける

「長官。こちらが、件の少年です」

「そうか、ご苦労。君たちは下がっていてくれたまえ」

「はい。失礼しました」

部下たちを下がらせると、連れてこられた少年を少しばかり観察する

(若いな。報告書にも書いてあったが、まだ17か…)

少し観察し、自身の頭の中にある情報を統合させて行く

「春倉くんだね?とりあえず、そこのソファにかけて。何か飲みたいものはあるかい?と言っても、コーヒーくらいしか出せんが」

「あ、いえ。お気遣い、ありがとうございます。お気持ちだけいただいておきます」

「そうかい」

そう言って私は彼が座った反対側のソファへ腰を下ろす

最近は全く座っていなかったために、少し変な感覚を覚える

彼と私の間にある机の上に数枚の書類をパサリと置く

「さて。どこから話そうか」

私はそう切り出した…





長官と呼ばれた男と向かい合って座った春倉は気持ちを落ち着かせていた

「さて。どこから話そうか」

男がそう切り出す

「君はどこまで知っている?」

「え?」

「君はどこまでこの世界のことを知っている?と聞いたんだ。君の治療を行った形山や鏑木から何か話を聞いたと思うんだが…」

「あぁ、はい。確かに色々と聞きました。『妖』のこと。『妖』に対抗するための組織であること。そして、私が『妖』を倒したことなど…」

「ふむ…まぁ、大方私の予想通りだな。結論から言ってしまおう。君のその情報は全て合っている。我々が属しているこの組織の名は胡陽玉寮という。この組織は古来より超常的な存在…つまるところ、我々が『妖』と呼ぶ存在から一般社会を守るために作られたものだ。」

ここまで言い終えると一旦口を閉ざした

「我々の業務にはいろいろあってね。さっき言ったように、一般社会を『妖』から守ることや超常的な力を持つ道具などを発見、保護すること。そして…」

その男は春倉のことを指さす

「君のように、何らかの形で『妖』と関連を持ったもの保護など」

そういった

「本来であれば、そのような保護された者たちは徹底的な情報・記憶処理を行ったうえで元の生活に戻ってもらうことになっている。しかし...」

ここでまた口調が途切れる

「君のように情報処理を行っても術が効かない人間は初めて見たよ」

そういうと男はおもむろに座っていたソファから立ち上がり、近くの戸棚へ向かう

その戸棚から数枚の紙を取り出し、春倉の座るソファの前のテーブルへと静かに置いた

「これは…?」

「これは誓約書だ。本来であれば、先ほども言ったように君のように何らかの形で『妖』と関連を持ったものは我々により保護され、適切な処置…まぁ、記憶処理だが…を受けて何事もなかったように一般社会に戻している。だが、君の場合は特別だ。なにせ、我々の処置が通用しないのだからな」

「はぁ…なるほど…」

「そこで、だ」

男が私の目を見ながら言う

「君を我々の世界に入れることにした」

両者、しばしの沈黙

そして、私が先にその沈黙を破った

「はい…?」

私はただ純粋に理解できなかった

「我々の世界に入れる…とは。どういうことでしょうか」

「文字通りの意味だ」

男は言う

「我々の世界…ようするに『妖』と密接する世界に入れるということだ」


この日

春倉の普遍は音を立てて崩れ去った

春倉は恐怖を感じていた

だが、春倉自身は気づいていなかった

これは自身が望んだことの一つであるということを


彼が、春倉が普遍であり不変である素晴らしき日常がいかに大事であったかを思い出すのはまだまだ先の話である


[破鏡己道 END]

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