エメラルドグリーンの夏

棚霧書生

前編 エメラルドグリーンの夏

 私の子ども時代はかなり恵まれたものであったと思う。仕事に打ち込む真面目な父とそんな父を影から支える専業主婦の母のもとに生まれ、辰己と名付けられた。躾は少し厳しいほうだった気もするが理不尽と感じるほどではなかった。そして、なにより私の生まれた家は裕福だった。ピアノ、習字、そろばんとオーソドックスな習い事はだいたいやった。自分からやりたいと言ったことはなかったけれど、なにかを覚えるのは嫌いじゃなかった。ピアノの発表会には必ず母が来て褒めてくれたし、そろばんの昇級試験で合格すると父は私の好きなトミカを買ってくれた。私が挑戦したことの結果がどうあれ、勝負事のあった日の夕飯はビフテキや寿司、すき焼きといった料理が並んだ。これは私の好物というより、息子が頑張った褒美にはご馳走を食べさせるのが父のルーティンだったからなのだが、私はそのご馳走が大好きだった。ご馳走の日はいつもは夜遅くに帰ってきたり、帰ってこなかったりする父が食卓にいて、淡い緑色の江戸切子に母がビールをついでいた。テーブルの上に落ちる影にも薄っすらと色がついていて、ビールでグラスがいっぱいになっていく間の短い時間、緑の影が踊るように見えて、それが面白かった。

 だから、ご馳走の日だったその日も影の踊りを見つめて静かに心の内で楽しんでいたのだが、そこに冷や水をぶっかけるような父の一言。

 大事な話がある。

 ああ、またか。と私は反射的に思った。父が真面目くさった顔で大事な話があると言い出したのは私が覚えているかぎりでも四回目。母に至ってはもっと聞いているのかもしれない。父がまた同じ話を持ってきたとは限らないが前回と前々回とその前も、話し出す雰囲気はまったく同じだった。やっぱりというか、父の話の内容は私が想像したものであった。

 転勤が決まった、近々引っ越すことになる。

 私の嫌いな言葉の一つに引っ越しが入るようになったのは、父が転勤族であったことが大きい。特に小学校に上がってからの引っ越しは子どもながらに辛いものがあった。仲良くしていた友達と離れなくてはいけないだけでなく、引っ越し先の慣れない場所で新しい友達を作ることを考えなくてはいけない。私は前回の引っ越し際には、つまりここにきたときには学校で馴染むのに失敗した。前の学校では同級生たちにたっちゃんとかたっちとかあだ名で呼ばれていたが、ここでの私は名字にさん付けで呼ばれるようになっていた。自己紹介は自分の名前と前にいた小学校の名前だけ、初めは話しかけてくれる子もいたが、なんとなく自分はここでは他所者だと私自身が思っていたのが相手にも伝わってしまっていたのだろう。いじめられているわけでも、あからさまに距離を取られているわけでもなかったが、私と彼らの間にはよそよそしさが残った。でも、それだってもう少し時間をかければ打ち解けてくるかもしれないのに。もう時間切れだなんて、なんだかやるせない気持ちになる。

 どうして大人は引っ越しが平気なのだろう。会社の命令の転勤とやらを粛々と受け入れるのだろう。子どもと大人は心の仕組みが違うのかもしれない。きっと大変だとか面倒くさいとか、そういうことを感じる心がないのだ。

 今になって思えば、子どもも大人も心に感じることは大して変わらないことはわかるのだが、子どもの時分には半分くらい本気でそう思っていた。私には、私と同じような心を持った味方がいない。私は寂しくて、仲間が欲しくてたまらなかった。

 三月の末、私たちは新転地へと向かった。大量にあった荷物が引っ越しトラックにあっという間に詰め込まれていく。ガタイのいい男の人たちがひょいひょいっと重たいダンボールをテンポよく運んでいく光景は爽快で、だけどちょっとだけ悔しかった。そこで今まで暮らしてきた私たちの生活の時間もなんだか軽かったみたいに思えてきて、もう少し大変そうに運んでくれないだろうかと思った。だからといって、ここに特筆するような思い出がここでの暮らしの中にあったわけでもないのだが。

 新しく我が家になる一軒家を初めて見たときは、この家で暮らし始める想像がまったくつかなかったのだが、私たちの使っていた居間のテーブルや食器棚、本棚などが引っ越し屋の男たちの手によって設置されていくにつれ、私の中でぼんやりとしていたこれからの暮らしの輪郭がだんだんと形を成していった。

 今晩の献立はなんだろう、前回引っ越しした日の夜はそばを食べた。理由はよくわからないが、引っ越しをした人はそばを食べることになっているのだと母から聞かされた。それならば今回もそばを食べるのかもしれない。私は新たなる我が家のいつものテーブルで温かいそばをすすっている自分を思い浮かべた。端の席に座っている父、その手元には私のものより大きな器がある。その横の小皿には山のように盛られた刻まれた小ねぎ。父はそばをすするたびにねぎを少しずつ追加していく。母は温かいそばを口にしてからしばらくすると失礼しますと言って鼻を噛むために席を立つ。その光景は容易に想像がついた。ああ、これでたぶん大丈夫だ、この家で暮らせると私は漠然と思った。

 四月に入り、引っ越してから一週間ほど経った頃、新学期が始まった。つまり、私にとっては新しい学校に転校生として登校しなければいけない日だった。五年生からの転入である。すでにできあがっている人間関係に入っていくのは難しいし、緊張もする。転校生にとって転校初日はかなり重要と言っていい。今度はどんな自己紹介をして、どんな話をすればいいだろうか。戦いに備える軍師のように私は真剣に考えていた。

 自然と前回の転校初日のことが思い出される。振り返ってみても嫌な思い出というわけではないし、自己紹介や振る舞いに大きな失敗があったとも思わない。可もなく不可もなく、ちょっぴりのよそよそしさがにじんだだけで、でもそれだけのことで前の学校では結局みんなと打ち解けるまでには至らなかった。いや、もう少し時間があればあの学校でも友だちができたはずだったのだ。私の態度に特段直すべきようなところがあったとは思えない。巡り合わせが悪かったのだ。

 熟考の結果、私は今回も簡素な自己紹介をするに留めた。だけど、前回とまったく同じようにするのも決まりが悪いので、今回は前よりも積極性を出そうと思った。私は友だちが欲しいと思っています、仲良くして欲しいと思っています、その気持ちを表明するために私に話しかけてきてくれた子たちに私は明るい調子で言ったのだ、辰己って言うんだけど気安くたっちゃんと呼んでね、と。まさかこの可愛らしい努力が今後とんでもない厄介事を呼んでくるだなんて、当時の私は想像だにしていなかった。

 転校二日目、昼休みに知らない男の子二人組に廊下から呼ばれた。転校生ってどいつー!? と大きな声で叫ばれ、私は不穏なものを感じた。二人は転校生を見たいだけの好奇心で来たわけではなさそうだった。けれど、私のほうにはなにも見に覚えがない。なにせまだこの学校に来てから二日しか経っていないのだ。私は男子二人組を無視しようかと一瞬だけ考えたが、クラスのみんなの視線が私に集約し、誰が転校生であるかは話さずとも一目瞭然だった。

 早足に向かってきた男子二人組は私の左右を塞ぐように立った。とりあえずついてこい、と命じられ反論する間を与えられることもなく、腕を掴まれて体育館裏に連れて行かれた。周りで見ていた子たちは誰も声をかけてはくれなかった。ただ引きづられていく私に、捨て猫や潰れかけの虫を見たときのような目線をくれるだけだった。

 体育館裏には数人の男子が集まっていた。中心に立っているのがこのグループのまとめ役だろうか。その子は同い年とは思えないほど背が高く手足も大人のようにスラッとしていた。取り巻きたちに連れてこられた私の姿を見た彼はニッと歯を見せて笑った。なんだかすごく大人からの印象が良さそうな笑い方だった。健康的で裏表がないように見える魅力的な笑顔。けれど笑顔から受ける印象とは裏腹に彼は意地悪な人間だった。

「お前さぁ、勝手にたっちゃんを名乗ったらしいな」

 場が静まり返っている。私が黙ったままでいると横にいた取り巻きの一人が私の膝裏を蹴った。びっくりして、声が漏れ出る。でも、誰もその行為をとがめようとはしない。むしろ、私のほうが罪人であるかのように刺々しい視線を向けている。

「たっちゃん……と名乗ったというか……僕は辰己だから、たっちゃんって呼んでもらえると嬉しいって言った……かな……」

「それを名乗ったって言うんだろ」

 笑った顔のままだからわかりづらいが、彼はなにかに怒っているようだった。しかし、それがなんなのか私には見当がつかない。

「……僕がたっちゃんと名乗ったら、いけないの? 僕、辰己って名前なんだけど」

「たっちゃんは俺だろ!!」

 校庭に響き渡る声量で彼は怒鳴った。私はといえば動物が威嚇で吠えるのを間近で体験した気分だった。頭では目の前の相手がひどく幼い理由で赤ん坊のように癇癪を起こしていることはわかるのだが、体のほうは恐怖で足がすくんでいるし心臓は異常なほどバクバクと鳴っている。

「お前、気に入らねえんだよ! 謝れよ、勝手に俺の名前をとるな、バーカッ!!」

 私はこのときどうすればよかったのだろう。大人になってからも、ふと思い出して考えることがある。過去の場面を思い起こして、ああすればよかったのかも、なんて考えることは非生産的なのだが、人生において同じような場面に出くわす可能性を考慮すれば、ぎりぎり生産的な思考にならないだろうか。しかしまあ、あのときと似た場面になど二度と遭遇したくはないのだれど、私はそれでもあの日の最適解を導き出そうとしているところがある。

 小学五年生の私は最適解を出せなかった。相手のあまりの理不尽っぷりに思考が止まり、固まってしまったのだ。そして、最悪の結果を招く。

「無視してるんじゃねえ!!」

 私はまだ本名も知らない彼から重たい一撃を腹にくらった。これまた最悪だったのがこのやりとりが昼休みに行われたことで、私の腹の中には消化中の給食が残っていた。外側からかけられた大きな負荷に私の胃はたえられず、私は思いっきり吐いた。そして私の吐瀉物は目の前にいた、腹を殴ってきた相手にビチャリとかかってしまったのだ。

 その日から私はいじめられるようになった。


 次の転勤はいつですか。私は父に一度だけ尋ねたことがある。たしか、いじめが始まってすぐの頃だ。あんなにも父の転勤に伴う引っ越しが嫌だと感じていたはずなのに、あのときは引っ越したくて仕方がなかった。

 父の返事がどんなものだったかあまり記憶が確かではない。しかし、いろいろと話し終わった最後の最後に今を精一杯過ごしなさいと父から言われて、胸がもやもやしたことだけをやけに鮮明に覚えている。私は私なりに精一杯過ごしていたつもりだった。けれどもらい事故のような形で災難に巻き込まれ抜け出せないでいた。学校での生活はいつなにが飛んでくるかわからない暴風雨の中を裸で歩いているような恐怖があった。

 私にからんできたあの男はタツマというらしい。災害タツマキの間違いじゃないかと思った。私にたっちゃんというあだ名をとられたと因縁をつけてきたタツマだが、もうあだ名の件は関係なく、彼は私をいじめたいからいじめているようだった。元々、いじめっ子で私以外のものもターゲットにされていた時期があったことを取り巻きたちの会話から察した。

 私が現れたことでタツマキ暴風雨から逃れた子がいるのだろうか。それが誰なのか気になりはしたが、そのときの私は同級生たちに気軽に話しかけられる立場ではなかった。学校の児童はみな、タツマを恐れていて、彼のいじめ対象である私と話すことを避けているようだった。自分たちだけ濡れない場所にいてズルいじゃないかと思う日もあった。わざと誰かしらに馴れ馴れしく話しかけて嵐の中に引きずり込んでやろうかと考える日もあった。けど結局私はそれらを心の中で思うだけに留めた。もしも私が安全な位置にいる誰かを暴風雨の中に連れ込んだとして、誰がそんなやつと友達になりたいだろうか。

 私にとって救いだったのは私の所属するコミュニティが学校にしぼられていなかったことだろう。教育熱心な母が引っ越し前に習い事教室の情報をかき集めていたり、前に通っていたところの先生の紹介もあったりして、私は新しい土地でもピアノやそろばんを継続することができていた。学校では透明人間か汚物のように扱われていたが、習い事の教室では私は普通の小学生に、人間に戻ることができた。それもあってか私はいじめられていることに関しては運が悪かったとしか思っていなかった。いつか嵐が過ぎ去る日が来ると信じて私は足を踏ん張ってひたすらたえていた。

 タツマのことを学校側や両親に伝えて、大人に対応してもらう手もあったと今ならば考えられるのだが、当時は自分でなんとかしなくてはいけないと思い込んでいた。いじめられているのを知られるのが恥ずかしいとか、両親に心配をかけたくないとかそういう感情があったわけではない。ただ単純に誰かに相談する選択が思い浮かばなかったのだ。前面の脅威に気を取られて、横にも後ろにも逃げ道がたくさんあるのに見えていないような感じだ。たぶん、誰かにこっちにも道がありますよと声をかけられていたら、私はそれに従っていただろう。

 小学生の私は真面目というか視野が狭いというか、習い事の練習や宿題をひとりで取り組むのと同じ感覚でタツマとのことを捉えていたのだ。

 タツマは頭が足りないようでいて、かなりずる賢いやつであり、殴られたり蹴られたりするのは服で隠れる胴体ばかりだった。だから、大人たちがタツマをいじめっ子だと見抜くことは卒業までついぞなかった。私を痛めつけたあの子は今どんな大人になっているのだろう。たまに……本当はタツマのことは思い出したくもないのだけれど、考えることがある。雨風にさらされてボロボロになったタツマを想像しようとするのだけど、私はいつもそれに失敗する。大人になったタツマが綺麗な奥さんと子どもに囲まれて、あの健康的で明るい笑顔を浮かべているところのほうが想像しやすかった。そして私の想像の中の大人タツマは元気に走り回る自分の子どもに決まってこう言うのだ、父さんも昔はヤンチャだったからなぁ!

 私は自分の想像力にため息が出るときがある。もっと自分に都合のいい想像ができればいいのにと。しかしまあ、きっと現実なんてそういうものだろうとも思うのだ。


 母が私に新しい習い事を始めないかと言ってきたのは梅雨の時期になってからだった。息子が転校先の小学校に慣れて、少し落ち着いてきたであろうタイミングを母は見計らっていたのだろう。母は英語教室のチラシを見せながら私が将来、英語を操れるようになれば人生においてどれだけ得かを説明した。よどみなく喋る母の赤い唇を見ながら、予めこの口上を述べるために準備をしている彼女を思った。私は特に英語に興味があったわけではなかったが、母の話にはすぐさま頷いた。

 母は私に新しい習い事をさせたくて、私にはそれを断る理由がなかった。習い事をしている間は、それに集中しているから学校でのことを忘れられるし、タツマにいじめられた辛い記憶を習い事を増やすことで薄められるのではないかとも考えていた。

 このとき英語教室に通うことに頷いておいてよかった。おかげで私はヨハンと出会うことができたのだから。


 母に連れられて行った英語教室は個人宅でやっているものだった。個人宅といってもその家は絵本に出てきそうな立派な洋館で、鉄の門扉があって庭の小道を進まないと玄関扉までたどり着けないつくりだった。庭には春に咲いた薔薇がまだ枯れずに残っていて、私はおとぎの国にでも迷い込んだ気分だった。実際、そこの英語教室アズールは私にとってはおとぎの国のような夢を見せてくれた。ヨハンという夢を。

 英語を教えていたのは海外帰りの母と同じくらいの年齢の女性で、ヨハンはその人の息子だった。彼と初めて話したのは初回のレッスンが済んでからで、先生につまり彼のお母さんから、あなたと同い年で同じ学校に通ってる息子がいるからちょっとお話してやってちょうだいと頼まれたのだ。

 ちょっと待ててね、と先生が教室として使っている小さな部屋を出ていくと、なにやら廊下のほうで言い争う声が私のいる部屋の扉を突き抜けて聞こえてきて、私はドキドキしていた。

 私と同じ学校に通っていると言っていた、もしや先生の子どもは私の学校での立場を知っていて、私と顔を合わすのを渋っているのではないだろうか。なにも悪いことはしていないはずなのに、手のひらが汗で湿ってくる。初めてのレッスンなので付き添っていた母が、どうしたのかしらね、とつぶやいた。その瞬間、どうしてだか崖の縁にいるように胸がバクバクとし出した。

 ああ、改めて考えてみると小学生の私はやっぱり無意識にいじめのことを知られたくないと思っていたのかもしれない。そうでなければ、あそこであんなに動悸が早くなることはなかった。

 不安に心臓を締めつけられる思いをしながら、私は扉を見つめていた。現れたのはツンと澄ました顔が人形のような男の子だった。髪が茶色くて、肌は白く、なによりも緑色の眼が印象的で、私は今まで目にしたことのないそれらに視線を吸い寄せられた。じっと見つめられていることに気づいた彼は細い眉毛をキュッと八の字にして、目をそらした。その後、私と彼は母親たちに促されるままお互いに名前と何組かを言うだけの簡素な自己紹介をした。

 その日の晩は珍しく父が早く帰ってきていた。夕食のとき、たまたま父が緑色の江戸切子を使っていたのを私は食い入るように見ていたらしい。どうした、と尋ねられてヨハンの緑色の眼を思い出していたと答えた。そしたら、母がエメラルドグリーンの綺麗な眼だったわね、と相槌を打ったのだ。

「えめらるどぐりーん?」

「エメラルドって名前の宝石があるのよ。グリーンは英語で緑色って意味。ご飯を食べ終わったらお母さんの持ってるのを見せてあげる」

 母は約束通りペンダントトップにエメラルドが使われているものを見せてくれた。綺麗だったし緑色だったけれど、ヨハンの眼の色とは違う気がした。


 英語教室は当初、集団レッスンを受けることになっていたのだけど、集まった生徒の年齢がバラけてしまったとかで、教室側の都合によって私はしばらく一人きりでレッスンを受けていた。そこに私と同い年のヨハン少年が引っ張り出されるまであまり時間はかからなかった。

 ヨハンはバイリンガルというやつで英語がペラペラだった。グリーンの意味も知らず、アルファベットも覚えていない私のレベルに合わせられたレッスンを受けるのはさぞや退屈だったことだろう。けれど、彼は私の相手をしてくれた、お世辞にも愛想がいいとは言えなかったけれど。レッスン中にビューティフルで思いつくものをあげてみようと先生に言われたとき、私が「ぐりーん……の眼!」と答えると彼は恥ずかしそうにはにかんだ。

 英語教室に通うのに慣れてきた頃、私はかねてから疑問に思っていたことをヨハンに尋ねた。

「ヨハンは学校には来ていないの?」

 ヨハンは同じ学校に通っていると聞かされていたのに私は一度も彼を校内で見かけたことがなかった。

 ヨハンは表情を固くして、うん……まあね……と返事のようなものをした。私はこのときヨハンの気持ちを考えてはいなかった。ヨハンが学校に来ていないのなら、私がタツマにいじめられているところを見られることもないと思って、嬉しくなっていた。ヨハンには自分の情けないところを見せたくなかった。小学生男児にも一丁前のプライドはあったのだ。

「よかった!」

 私の気持ちはパンッと弾けて、口から飛び出していた。

「……えっ?」

 ヨハンが不可解そうに眉を寄せる。私は慌てて口を押さえた。それで飛んでいった言葉が戻るわけでもないのに。

「ほら、学校って……学校って……つまんないからさ……」

 私は必死に取り繕う。学校でのことは口にしたくなかった。ヨハンは納得のいってなさそうな顔で、そうかなぁ……とつぶやいた。


 七月のある日、暑さと外から響いてくる蝉の鳴き声が教室に充満していた。ちょうどプールの授業が終わった後で濡れた髪から塩素の匂いがほのかにしている。この頃、タツマが私に手を出すことがなくなっていた。きっといじめにも飽きたのだろうと私は暢気に思っていた。

 相変わらず学校では誰も私に話しかけてはくれないのだが、タツマからちょっかいをかけられない日々がこの間までと比べればずっと平穏で幸せなものだった。

 学校から帰る途中、か細い子猫の鳴き声を聞き逃さなかったのは、頭の中に心配事がなかったからかもしれない。もしも、暗い考え事でいっぱいいっぱいになっていたら私にはあの声が耳に届いていなかったことだろう。

 誰の土地かはわからないが、放置され半ば林になっているそこは猫を捨てるのに絶好の場所だったのだろう。隠されるように置かれた段ボール箱の中には小さな黒猫が一匹でミャーミャー鳴いていた。

 私には猫をどう扱えばいいのか、わからなかった。とりあえず、猫をその場に残したまま急いで帰宅し、母に捨て猫がいたことを報告する。しかし、母は優しい口調で私を諭すように、猫はそのままにして関わってはいけませんといった趣旨のことを話した。転勤が多いこともあって、うちでペットを飼うことは禁止されている。飼えないならば、初めから目を出してはいけないと語る母は真剣な顔つきだった。

 もやもやした気持ちのまま、私はヨハンのところに遊びに行くと言って家を飛び出した。いつもなら宿題を済ませてからにするのだが、そんなことは頭からすっ飛んでいた。 

「本当に猫がいるの?」

「真っ黒い猫なんだ! 小さくてかわいいよ!」

 私は家の外に出たがらないヨハンに無理を言って、一生のお願いと安っぽい言葉も使って、猫のいる林までついてきてもらった。

 私がヨハンを連れてくる間に誰かが猫を見つけて拾っていってしまっていたらどうしようと道中で少しだけ不安になった。猫がいるからとヨハンに出てきてもらったのに、その肝心の猫がいなくなっていたら……。猫の飼い主が現れたならいいことなのだから、喜んでいいはずなのだが、私はヨハンに一目だけでも子猫を見せたいと思っていた。

「ほら、まだいる! ウソじゃなかったでしょ?」

「ワァオ! 僕、こんなに小さい猫は初めて見たよ!」

 ヨハンは目を大きく見開いて、興奮した調子ですごいとかかわいい、ちっちゃいを繰り返し口にしていた。私は感動するヨハンの姿を見て頬が緩んだ。普段からビューティフルな彼の緑の眼が、さらにキラキラと輝いて見える。

「ヨハンの家で飼えないかい?」

「うちはママが猫アレルギーなんだ。難しいよ」

 私たち二人は段ボール箱を挟んで頭を突き合わせ、うんうんと悩んだ。私の家も、ヨハンの家もダメ。ならば他に頼めそうな子はいないかと考えたが、私もヨハンも友人と呼べる相手はお互いしかいなかった。

「……辰己と僕でこの子を育てようよ」

 風の音にかき消されそうなくらい小さな声での誘いだった。でも、私にはちゃんと聞こえていた。私も同じ気持ちで、ヨハンがそう言ってくれたらいいと願っていたのだと思う。

「手を出したら最後まで責任を負わなくっちゃいけないよ」

 さっき母に聞かされたばかりの説教からの受け売りだった。ヨハンは緑色の綺麗な眼で小さな命をじっと見つめてから、次に私の眼を真っ正面から見た。決意に満ちたそれは母に見せてもらったペンダントのエメラルドよりもずっと深く濃い色をしていた。


 それから私たちは秘密で猫の世話を始めた。私は使っていない古い皿をヨハンは小さい頃使っていたブランケットを家から持ち出した。二人とも猫がなにを食べるのかわからなかったので、食べ物は前日に出た夕飯の残りなどを与えてみていた。なんともお粗末な世話の仕方だったと思うのだが、幸運にも子猫の体調に異常は出なかった。

 私とヨハンはその捨てられていた黒猫にアズールと名前をつけた。ヨハンの家の英語教室と同じ名前だ。この名にしたいと言い出したのはヨハンだった。

「この子の眼は青色だから、ぴったりだよ。アズールは青って意味なんだ」

「青はブルーでしょ?」

「色の言い方はひとつだけじゃない。日本語でも青色のことを群青って言ったり、紺碧って言ったりするだろう」

「うーん……そうだね……?」

 紺碧なんて難しい言葉を聞いたのはそのときが初めてで、こんぺきの音の響きから私は青色に輝く金平糖を頭に思い浮かべていた。

「ね、どうかな? アズールでいい?」

 腕に子猫を抱えたヨハンがエメラルドグリーンの眼をこちらに向ける。ミャーと鳴いた子猫の眼は、私には青のようにも緑のようにも見えた。

「……うん、いいよ! アズールにしよう」

 綺麗なものには特別な名前が似合う。日本語にはない音の並びが私はとても好きになっていた。

 私は放課後になるとアズールがいる林に飛んでいくようになった。そこにはいつも先にヨハンがいて、アズールと遊んでいた、そうでなければ彼はのんびりした様子で木陰で本を読んだりしていた。毎日が楽しかった。夏の太陽の光が林を明るく照らし、木と土の匂いに囲まれたそこで私たち二人と一匹は幸福な時間を過ごしていた。あの頃に戻れるのなら、父が大切にしていたカメラをなんとかして持ち出して、ヨハンとアズールの姿を写真におさめるだろう。この眼で直接見た光景には叶わなくとも、あのときの記憶を思い出す際の補助線となるものが欲しいと思ってしまう。人間の記憶力はあてにならないもので、あんなに素晴らしい時間でも記憶の輪郭はぼやけていく。けれどそれでもいいのかもしれない。花火は打ち上げられると迫力満点の花を夜空に咲かせて人の心を奪うけれど、その火はすぐに消えてしまう。切ないけれど恋しいけれど、そのとき感動して美しいとか幸せだと思った感情はくっきりと私の心に残っている。


 待ち望んでいた夏休みがやってきた。ヨハンとアズールとたくさん遊べると意気込んで、夏休みの初日、私は朝食を済ませると家を飛び出そうとした。けれど、母に宿題の計画を立ててからにしなさいと通せんぼをされ、家を出発できたのは昼も過ぎてからだった。

 私が林に着いたとき、ヨハンの姿は見えなかった。それだけならば昼を食べに家に戻ったのだろうと考えたのだが、アズールもいなくなっていた。さらに私に異変を感じさせたのはアズールの寝床になっていた段ボール箱に強く蹴ったような靴跡がついていて半壊していたことだった。ヨハンがアズールの寝床を壊すはずがないから、彼以外の人間が、それもかなり乱暴なやつがここに来たのかもしれない。いや、そうに違いなかった。

 足が震え、何度も辺りを見回した。林には私しかいなかった。一人で木々の影の中に突っ立っていた。黙って下を向いていると蝉の鳴き声がジュワジュワジュワジュワとうるさく、立ち止まったままの私を急き立てるように感じて頭が痛くなった。

 ヨハンの家に行ってみたが出かけたまま帰ってきていないと先生が教えてくれた。あなたと遊ぶと言っていたのだけれど……と彼女が心配そうな顔をしたので、約束の時間を間違えてたかもしれない! と叫んで、慌ててその場を後にした。

 結局、考えもなしに町中を走り回った私がヨハンを見つけたのは日が傾き始めた頃だった。 

「どこにいたんだい? アズールは……アズールはどうしたの?」

 私は息も切れ切れになりながらヨハンの肩を掴んで強く揺さぶった。

「…………タツマくんが神社でアズールを飼うって」

「えっ!?」

 私は混乱した。ここでタツマの名前が出てくるとは思っていなかったのだ。どうして……嵐は、タツマキは去ったはずだろう。ブーメランみたいに戻ってきたっていうのか。

「アズールを渡しちゃったのかい!?」

 私は口調は自ずと強いものになっていた。それがヨハンには責められていると感じられたのだろう。ヨハンは私を突き飛ばすと、びっくりした顔をして、ご……ごめんっ! と悲鳴のような言葉を残して走り去った。



後編へ続く

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