第2話 灰色の世界

 一寸先の未来さえ見通せなくなろうとも、無情にも明日はやってくる。


 検査の次の日。

 レムは朝から車の後部座席に揺られていた。

 マネージャーの運転でこれから入院する長期療養者向けの病院へと向かっているところだった。


 新型魔力炉を搭載し、反重力術式で動く車の作動音は驚くほど小さい。

 移動中でも録音した歌を聞き返したい、と購入したはずの車だった。

 だが今は静寂に満ちた重苦しい空間が、レムを苛んでいる。

 

 だらりと力なく後部座席に背中を預けたまま、頭を傾げて車窓から流れる風景を見つめる。

 しかし高速道路を抜け、木々が生い茂る山間部に差し掛かってもレムの気は紛れなかった。

 レムの視界は全て、灰色に包まれたかのようだった。


「高速は抜けましたから、たぶん、もうそろそろです」


 マネージャーのハイランドが気を利かせてレムに声をかける。

 だがレムはハイランドが自分よりも大変な目に遭っていることを知っている。


 レムは視線だけでバックミラー越しにハイランドの表情を伺う。明らかに疲れているようだった。

 いつもばっちり決まっている黒のオールバックも、レムの目には心なしかくたびれて見える。


 無理もない。

 医師の診断が下りた直後から、レムとその関係者たちを取り巻く状況は一変したからだ。


 コンサートや講演といったあらゆる予定は全て無期限の延期もしくは中止を余儀なくされた。

 ハイランドは活動休止の告知、イベント主催者への謝罪、パトロンや客からのレムへのクレーム対応といった面倒な仕事を全て引き受けるはめになっていた。


 新進気鋭の若き有望な歌手と持てはやしていた人々も、その価値が失われればこうも手のひらを返すものか。

 そう思うとレムは虚しい思いになった。


 だが、一方で恨み節を言う気にもなれなかった。


 この世界でまだ車という存在が生き残っているのは、まだ人やものを任意の場所に運搬する魔法が発明されていないからだ。

 だが魔工学者が便利な運搬魔法を編み出せば、全ての車は遅かれ早かれスクラップになるだろう。


 それと同じだ。パルスオペラ歌手はレムだけではない。

 レム以上に名声と実力を兼ね備えた者はまだまだいる。レムの方が勝手にスクラップになっただけのことだ。


 魔法という概念がこの世界のスタンダードな技術になって数百年が経つという。

 人口減少による人手不足とエネルギー問題を解決するために、とある学者が、東方の島国の小規模な部族だけが使える秘蹟を学びに行った。

 その学者が秘蹟を西洋に持ち帰り、発展させ人々の普遍的な技術として一般化させたのが「魔法」という概念の始まりである。


 現代のプライマリ・スクールの教科書にも書かれている事実だったが、もはや誰もそれ以上の歴史を深く掘り下げようとは思わなかった。

 以降、あらゆる常識が魔法によって塗り替えられていったからだ。そして今もそれは僅かずつではあるが続いている。


 新たな魔法やより優れた存在が生まれ、より存在意義を見出されたものが残っていく。

 それがこの世界の原理だ。

 レムだって、この結果主義のルールに則ってここまでのし上がってきたのだ。


「着きましたよ」


 レムはハイランドに声をかけられ、我に返る。

 気付けば思索を巡らせるうち、車は既に病院の正面玄関前に停車していた。


 山間部にぽつりと立った大きな長期療養者向けの病院。

 ガラス戸がいくつも重なった病院の大きな正面玄関が、レムの目には威圧的に映った。


「母さんも、あの時、こんな気持ちだったのかな」


 思わず独り言が口をついて出た。

 レムはコートの中に手をやり、銀細工のネックレスを握りしめる。


 レムは無意識に、亡くなった母のことを思い出していた。

 あの大きなエントランスに一度吸い込まれてしまったらもう二度と出てこられないのではないかとさえ思えてくる。


「では、行きましょう」

「うん」


 ハイランドが後部座席のドアを開け、レムに降車を促す。


 本当に入院生活を乗り切って、歌手として復帰できるのだろうか。

 レムは不安に思うばかりだった。


 いずれにしろ、パルスオペラどころか魔法さえ使えなくなった無力なレムは、ただ状況に流されるままでいるしかない。

 

 流された先に希望があるとは、到底思えなかった。

 

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