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 病院から戻った静香さんは、カレーの匂いに食欲を感じたらしい。


「食べたいときに食べたいものを食べるのが一番よ」


 炊き立てのご飯の臭いは辛いものだと母が言うので、仲良し姉妹が皿によそった白米を必死であおいで冷ましている。

 出来たてでも美味しいのがババカレー(ばあさん直伝のカレーの略)の良いところだ。


「こっちも冷ました方がいい?」


「カレーは大丈夫」


 母の指導のもと、静香さんの前に深雪ちゃんがカレーを運んだ。


「美味しい……本当においしいわ」


「ゆっくり食べた方が良いよ。静香さんはカレーだったんだね。私は唐揚げと餃子だった」


「えっ! 私はてっきり酸っぱいものが欲しくなるものだと思ってたけど」


「それはそう言う人の割合が多いってだけで、これしか食べたくないって思うのは、当たり前みたいよ? 子供によっても違うしね。優紀の時は唐揚げで、洋子の時は餃子。お陰でかなり体重オーバーだったのよね」


「深雪の時はお菓子ばっかり食べてたなぁ。酸っぱいものを食べなくちゃって頑張ってたけど、そういうものなのね」


 我ら兄妹の中華好きは、すでに腹の中から始まっていたらしい。

 ということは、深雪ちゃんのスナック菓子好きは……


「きっとこの子はカレー好きになるわね」


 やはり……


「ごちそうさま。本当に美味しかったわ。お代わりしたいくらいよ」


「たくさん作りましたから、食べられそうなときに食べてください。小分けして冷凍しておきますし」


「ありがとう、恵子さんって本当に素晴らしい教育をしておられるわ。尊敬する」


 母が驚いた顔をして口を開いた。


「まさか! この子を仕込んだのは母よ。私も一緒に仕込まれてたくらいだもの」


「そうなの? ああ、でもあのおばあ様なら納得だわ」


 ひとしきり笑い合った後、母が立ち上がり帰る準備を始めた。

 私は葛城に冷凍小分けパックの効率的な作り方を伝授し、挨拶をして玄関を出る。

 先ほどまで楽しそうに笑っていた母が、真顔になっていた。


「どうしたの?」


「うん、ちょっと大変かもしれないのよ。静香ちゃんの赤ちゃん」


 私の心臓がドクンという音をたてた。

 帰ってから話すという母に頷き、流れていく車窓の景色を見るともなく見る。


「明日は唐揚げと餃子にしようか」


 唐突な母の言葉にピンと来た。


「お兄ちゃんが帰ってくるの?」


「うん、明日の夕方帰ってくるよ。父さんが空港に迎えに行くって」


 ブラコンだという自覚はあるが、まさかこれほど嬉しいとは思わなかった。


「お土産あるかな」


 私は思ってもいないことを口にして、照れを隠した。


「学生に何言ってるのよ。でもきっとあの子は準備してるんじゃない?」


 そうだ、お兄ちゃんはそういう人だ。

 寮生活をしている学生が用意出来るものなんて、きっと限られているだろうけれど、兄はきっと考えているだろう。


「楽しみだね」


「うん、やっぱりいないと寂しいよね。お父さんもそう言ってた」


「そうだよね、昔から父さんに優しかったのはお兄ちゃんだけだもんね」


 私は頭の中でウキウキと買い物リストを組み立てていく。

 今日と明日で、私は一体どれほどの鶏肉を調理するのだろう。

 生まれ変わってもニワトリにはなりたくないものだ。


 そして翌朝、昨日のうちに買ってきていた鶏モモを、煮切った味醂と日本酒におろした生姜とニンニクを加えて混ぜ込んでいく。

 1時間ほど漬け込んでいる間に朝食の準備を済ませ、今度は餃子のタネに取り掛かる。


 餃子の皮はもちろん市販品だが、米粉入りというのがばあさんの拘りだ。

 我が家の餃子ににんにくは入れない。

 白菜とニラと合いびき肉だけのシンプルな具材を、ぬめりが出るまで捏ねていく。

 塩とコショウとごま油に、少量の酒と砂糖と片栗粉。

 

 すぐに焼かないなら、白菜はしっかり塩もみして絞らないと水が出て皮が破れやすい。

 今までは兄の握力に頼っていたが、最近100円均一ショップで『野菜絞り器』なる何のひねりもないネーミングの便利グッズをゲットしたので心配ない。

 これも『名は体を表す』と言っていいのだろうか。


 『優紀』は優れた道筋をたてる者。

 『洋子』は海のように広い心を持つ子。


 我が両親の野望は果たして叶うのだろうか……

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