「なぜって……学生だから? っていうか、あんたの将来のためだね」


「将来? 沙也ぴょ……私の将来はお姉ちゃんと同じグループのメンバーだから、あまりお勉強は必要ないかな」


 言い切る前に訂正したので、今のはセーフにしてやる。


「芸能人になるとしても、勉強はしておいた方が良いとは思うけど、とりあえず食べよっか」


「うん! いただきまぁぁぁす!」


 葛城は何の躊躇もなく、何も挟んでいないホットドック用のコッぺパンにかぶりついた。


 その潔さたるや……うん、素晴らしい。


「葛城、これ食べる?」


 私は半分に切り分けた茹で卵とキャベツを挟んでやった。


「うわぁぁぁぁ! スゴッ! 味がする!」


 やはりバンズだけだと味がしないのか……

 私はなんとか弁当を二つ作ってもらえないか考えた。

 う~ん、何も浮かばない……


 ものの10分で完食した私たちは、枝先に少しだけ花びらを残している桜を見上げた。

 瑞々しい黄緑の葉っぱの隙間から、少しくすんだ水色の空が見える。

 足を投げ出して、桜の木を見上げていた葛城が静かな声で言った。


「ねえ、洋子ちゃん。洋子ちゃんはなんで勉強頑張るの?」


 初めて一緒にランチをしただけの薄い仲だというのに、葛城はかなり私の琴線に触れる質問を投げてきた。

 正直に答えるべきなのだろうか……


「家を出るため」


 自分でも驚くほどぶっきら棒な声が出てしまった。

 そうなんだ、私はあの家を出るために頑張らなくてはいけないんだ。


 中学三年になってすぐの頃に、リビングで両親と祖母が話しているのを立ち聞きしてしまった日を思い出す。


『なんで洋子を大学に入れる必要がある? あの子は高校を卒業したら、満田商事の会長の家に行儀見習いに行かせると言っただろう』


 祖母の声が聞こえた時の衝撃は、今でもはっきりと覚えている。

 それでも何も言い返さない両親に絶望を感じた。

 私の後ろに兄が立っていた。

 兄は私の肩をポンと叩き、一人でリビングに入っていった。


『何を大きな声で言ってるの? おばあ様』


『ああ、優紀さん。勉強してたのに悪かったねえ、この子たちが洋子の進路を決めなくてはなんて世迷言を言うから、言い聞かせていたんだよ。煩くしてごめんね』


『いや、ちょっと水を飲みに来たら聞こえたから来ただけだよ。で? 洋子の進路って? ああ、どこの高校に行かせるかって話? 大学を選ぶのにも関係するからね』


『洋子は大学には行かせないつもりだよ。女に学は必要ないだろ?』


 私は掌に爪が食い込むほど握りしめていた。


『何言ってるの、おばあ様。今どき大学なんて当たり前だよ。女だからなんて考えは古すぎるさ。僕だって妹が高校しか行ってないなんて恥ずかしくて友達に言えないよ。できれば洋子には有名な大学に行って欲しいな。女子大ってのも自慢できるけど、国立大なんて行ってくれたらもっと良いんだけどなぁ』


『優紀さんはそう思うのかい? 今はそんなふうに考えるのかい?』


『おばあ様? これが今の当たり前なんだよ? だから大学にも行かせてやってくれよ。僕が助かるんだからさ。ね? 良いでしょう? おばあ様。僕も勉強頑張るから』


『そういうものかねえ……まあ、優紀さんがそう言うなら』


『じゃあ決まりだね。じゃあ僕はもう少し勉強するよ。お父さんもお母さんも明日早いのでしょう? もう寝たら?』


 まるで金縛りが解けたように両親が腰を浮かせた。

 私は慌てて洗面所に隠れる。

 そのままじっとしていると、兄が小さい声で話しかけてきた。


『気にするな、お前は頑張って良い成績をとれ。それしか抜け出す方法は無いぞ』


 そう言うと兄は三階の自室に戻って行った。

 あの時兄が助けてくれなければ、希望していたこの高校には来れていないだろう。


「まあ、自分のためにっていうかさ。そんな感じ」


 そう誤魔化した私の横顔を見詰める葛城の視線には気付かない振りをした。


「ふぅん。なんだか将来が決まっていない洋子ちゃんって大変だねぇ」


「ははは! そんなこと言ったってさぁ、もし芸能人になれなかったらどうするの? それこそ悲惨じゃん」


「もしなれなかったら? もし……。ダメ! 考えちゃダメ! 絶対になれるもん。なるんだもん!」


 葛城が勢いよく立ち上がった。

 どうやら今度は私がこいつの琴線に触れてしまったらしい。

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