「もう立ちなよ。別に叩かれたりしたわけじゃないんでしょ?」


 私は葛城沙也に手を差し出した。


「叩かれては無いけど『フルーツガールズ』の生写真……超お宝なのに」


「捨てられたの?」


「ここにあるけど……1枚ヨレヨレになっちゃった」


「1枚ならまだいいじゃん。それにあんたのお姉ちゃんなんでしょ? また撮らせてくれるんじゃない?」


「……たぶん無理」


 そう言うと葛城沙也は泣き出してしまった。

 止めに入った私が泣かせたみたいに見えるじゃないか。

 ああ……やはり他人にかかわるべきじゃなかった。


「ねえ、もう泣くの止めなよ。お昼ごはんは? もう食べたの?」


 しゃくりあげながら首を横に振る沙也。


「食べないの? もうあまり時間が無いよ?」


「今日は……超豪華焼肉弁当を食べるんだもん。お昼食べちゃうと買えないんだもん」


 意味不明だ。

 仕方なく私は葛城沙也を、ベンチに連れて行った。


「どういうこと?」


「洋子ちん……今日はね『フルーツガールズ』のデビュー三周年の記念日なんだよ? 絶対お祝いするべきでしょ? だから焼肉弁当にしようと思ったの。でも焼肉弁当は850円もするでしょ? お祝いだから奮発してお味噌汁もつけたいから1000円になっちゃうの」


「だから何?」


「洋子ちん、言い方がきついよ? そんなんじゃモテないよ?」


 ほっといてくれ!


「今日から沙也ぴょんが、可愛い女の子になれるように指導をしてあげるよ。だから沙也ぴょんのことはちゃんと『沙也ぴょん』って呼ぶんだよ?」


 そんな指導いらねえし! 沙也ぴょんとか絶対言わねえし!


「わかった? 洋子ちん。じゃあ今日からよろしくね?」


 葛城沙也が少し腫れた目をキラキラさせて、手を差し出してきた。

 ニコッと笑った顔は、少しだけ可愛いと思ったが、なぜだ……私よ、なぜその手をとった?

 人生最大の不覚。


「もう戻ろう。チャイムがなる時間だよ」


 私の声に混ざって葛城の腹の虫が鳴いたが、私は気付かないふりをして先に歩き出した。

 それにしても夜ごはんを焼肉弁当にするために、昼ごはんを抜くってどういうことだろう。

 さっきの話だと、彼女の二食分でマックス1000円という事になる。


 いやいや、さすがに夜は家族で食べるだろう?

 もしかしたらお姉ちゃんのイベントか何かで、今夜は一人なのだろうか。

 まあ、昼を購買のパン2個とコーヒー牛乳にすれば400円だし、コンビニ弁当なら600円もあれば一食分位にはなるから、あながち無茶だとは言えないが……


 そんな事を考えながら、午後からの授業をやり過ごした私は、いつものようにそそくさと帰り支度を始めた。

 学校から家まで地下鉄を乗り継いで約30分。

 帰ったらまず掃除をしなくてはいけない。

 兄が帰る時間に合わせて夕飯を整えるのも、私の仕事だ。


 家事は特に苦痛ではないし、むしろ好きだ。

 しかし、朝食の準備とお弁当作りはさせてもらえない。

 夕食の残りは、両親の翌日の昼ごはんになるのだが、私の弁当は朝食の残りだ。

 これは絶対的権力者である祖母が決めたことだから、誰も逆らうことはできない。

 せめて茹で卵を切ってくれと祖母に訴えたが、秒で玉砕した。

 葛城沙也もそうだが、うちの婆さんも何がしたいのだろう。

 単純に私を虐げたいわけでは無いのは、呪文のように毎日聞かされる言葉でわかる。


「女は家事をやって当たり前、旦那様をたてて、家を守り子を育てる。それが女の幸せだ。洋子も立派な女になるんだよ。そのための修行だと思いなさい」


 昭和か? いや、大正かな……いっそ明治か?

 まあいずれの時代だとしても、それが木村家の法律なのだ。

 下駄箱のところでもたもたしていたら、後ろから呼び止められた。


「洋子ちん、もう帰るの? ちょっとおしゃべりしない?」


「葛城、悪いが私に無駄な時間はないの。あんたも早く帰りなよ。今日も宿題いっぱい出たじゃん」


「え~! 洋子ちんたらぁ~。沙也ぴょんって呼ぶって約束したじゃん」


「してない」


「したよぅ」


「じゃあもう口をきかない。さようなら、葛城」


「え~! 待ってよぉぉぉぉぉ」


 私は走るようにして駅に向かったが、葛城が追ってくる事は無かった。

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