エレン・クラルティの勘違い 4

 次の日、リヒャルト様とともに以前のチョコレート店を訪れると、店員さんが満面の笑みで出迎えてくれた。

 どうやら、前回わたしがお店のチョコレートをすっからかんにしてしまったため、リヒャルト様が前もって訪れることをお店に連絡しておいてくれたらしい。

 邸のお土産分は確保して準備は万端。

 テーブルの上にずらりと並んだチョコレートに、わたしの口の中はよだれでいっぱいだ。


 ここのチョコレートのおいしさはしっかりと記憶していますからね!

 今日も好きなだけ食べていいとリヒャルト様のお許しが出ているので、思う存分堪能させていただきます!

 もぐもぐもぐ、チョコレート、おいしぃ!


 チョコレートを爆食いしているわたしの前で、リヒャルト様は相変わらずコーヒーをすすっている。

 リヒャルト様はイケメンさんなので、薄く笑いながらコーヒーカップを傾ける様が、たいっへんに絵になる。


 ……本当、王子様みたい。あ、王弟殿下だから本当に王子様なのか。


 きらきらの金色の髪に、ラベンダー色の瞳。

 すっきりとした輪郭に収まる顔のパーツは、神様が作ったみたいに整っている。

 こんなにイケメンさんで、しかも王弟殿下で公爵様ときたらとっても女性に人気だろうと推察するのだけど、リヒャルト様はどうしてまだ独身なのだろう。

 まあ、二十一歳だから、別に独身でもおかしくないとは思うけれど、貴族は結婚が早いと聞くし。

 婚約者の一人や二人や三人や四人くらい、いてもおかしくないと思う。


 なんとなく気になったので、わたしは口の中のチョコレートを急いで咀嚼して飲み込むと、くぴくぴと紅茶を飲んだ後で訊ねた。


「リヒャルト様は、婚約者さんはいないんですか?」

「いないが、どうしたんだ、急に」

「いえ、なんとなく気になって。おもてになりそうなのになんでかなーって」


 わたしが正直に答えると、リヒャルト様は目を丸くした後で笑った。


「もてるかどうかはわからないが、確かに縁談はあちこちから持って来られるな」

「じゃあどうして結婚しないんですか?」

「しないというか……まあ、できないという方が正しいかな」


 わたしはきょとんと首をひねって、それからハッとした。


「すみません! 結婚できない方がお好きなんですね! 大変失礼しました! 大丈夫です、わたしは全然気にしませんから、どうぞお邸に恋人を連れて来られても大丈夫ですよ!」

「……君は何を考えた?」


 リヒャルト様が途端に笑顔を消して、探るような顔つきになった。

 わたしはチョコレートに手を伸ばしながら答える。


「世の中には男性が好きな男性がいるって聖女仲間に聞きました! リヒャルト様もそうなんですね! わかります!」

「待て、どうしてそうなる。わかるってなんだ!」

「聖女仲間が、決まってそう言う男性はイケメンさんなんだって言ってました。リヒャルト様はイケメンさんなんで、そうなのかなって」

「君は何でもかんでも真に受けすぎる!」


 リヒャルト様は「ああっ」とうめいて両手で頭を抱えてしまった。どうやらわたしが困らせたらしい。


 ……ということは、リヒャルト様は男性が好きな男性じゃないのか。だったらなんで結婚できないんだろう?


 わたしはうーんと考えて、ポンと手を打つ。


「わかりました! リヒャルト様は実は男性じゃなくて女性――」

「違う!」


 全部言い終わる前にかぶせるように否定されてしまった。

 聖女仲間が、世の中には男性のふりをしている女性がいるらしいと教えてくれたが、これもはずれらしい。


 ……うーん、わたしには推理は難しいみたい。


 ほかに聖女仲間から聞いた話はなかっただろうかと記憶を探るわたしの前で、リヒャルト様が盛大なため息を吐いた。


「君の場合、きちんと説明しておかないとおかしな勘違いをしそうだな。説明するから、食べながらでいいから聞きなさい。口の端からよだれが垂れてる」

「は!」


 わたしは急いで手の甲で口をぬぐった。

 お許しをもらったので、わたしは食べながらリヒャルト様の言葉に耳を傾ける。


「私は知っての通り王弟だ。兄である国王とは二十歳年が離れている。そして兄上の長男、つまり王太子だな。イザークとは、年が四歳しか変わらない」


 イザーク王太子は、現在十七歳だそうだ。十六歳のわたしより一つしか違わないのに、もう王太子として重責を背負っていらっしゃるのか。王族って大変。


「私は臣籍に下っているし、本来であれば、イザークの王太子という立場が脅かされることはないはずだった。だが、イザークは昔から気性の穏やかな子で、優しいというか、優柔不断と言うか、決断力に欠け、他人の意見に左右される性格をしている。そのせいで、イザークではなく、私を次期国王に押す派閥があるんだ」


 ふむふむ。わかるような、わからないような?


「兄にもう一人王子がいれば、このような問題も起きなかったかもしれない。イザークではなく弟の方を王太子にすればよかっただけだからな。だが、残念ながら兄には、娘はいるが息子はイザークただ一人しかいない。代わりがいないんだ」


 ということは、女の子は王様になれないのね。


「そのため兄は、イザークの婚約者に、強い権力を持つクラルティ公爵家の令嬢をあてがったが、どうもこの二人は相性がよくない。それもあってか、最近ではイザークを王太子から下ろし、私を後嗣にしろと言う意見が強くなってきた。この状況で私が結婚し後ろ盾を得ようものなら、私を後嗣にという声は強くなる一方だろう。私は甥と争いたくないし、兄とも対立したくない」


 ……うん! ダメだ、理解が追いつかないわ!


 わたしが何とか理解できたのは、リヒャルト様が結婚するとイザーク王太子殿下が王になれないかもしれないから、リヒャルト様は結婚できないという部分だけだった。

 後ろ盾とか権力とかの力関係についてはさっぱりである。貴族社会難しい!

 もぐもぐもぐと口を動かしながらわかったふりをして頷いていると、「貴族でない君には難しいか」とリヒャルト様が苦笑した。よくわかっていらっしゃる。


「ということで、私は、神殿に喧嘩を売ろうと思っているんだ」


 ……うん?


 ということで、とはどういうことだろう。

 今、神殿に喧嘩を売る話なんてしていただろうか。

 わたしでも、話がぴょーんと飛躍したのは理解できた。

 でも、わたしがわからなかっただけで、神殿に喧嘩を売ること、リヒャルト様の結婚問題には何か関連があるのかもしれない。

 わたしはちょっと考えて、わかったふうを装って訊ねた。


「神殿に喧嘩を売るといいことがあるんですね!」

「間違っているようである意味正解なのがすごいな。理解していないくせに」


 うぐぅ、ばれてる!

 どうせ適当なことを言いましたよ。でもそんなにはっきり言わなくてもいいのに。これでもがんばって理解しようとしたんですよ。できなかったけど!


 わたしが拗ねたのがわかったのか、リヒャルト様はくっと小さく噴き出した。


「私が神殿と対立すれば、神殿側はイザークにつくだろう。神殿の権力はとても大きい。そして貴族たちは、聖女を抱えている神殿と敵対したくない。ゆえに、神殿がイザークにつけば、イザークが次期王になる未来がほぼ確定するはずだ」

「うーんと……あの、それだと、リヒャルト様には、なんのいいこともない気がします」

「そうでもない。私は煩わしい後継問題に巻き込まれなくてすむ。平穏が手に入るんだ」


 そうだろうか。

 神殿と敵対して平穏が手に入るとは、わたしにはどうも思えない。

 神殿が表立ってリヒャルト様を攻撃することはないけれど、聖女を抱え、聖女の作る薬も抱えている神殿を敵対すれば、今後、リヒャルト様は神殿の恩恵を受けられなくなるのではなかろうか。


 ……つまり、リヒャルト様本人や、未来の奥様や子供たちが病気にかかったり怪我をしたときに、神殿に助けてもらえなくなるってことでしょう?


 リヒャルト様はツテがあるから、聖女のお知り合いも多いだろう。

 もちろんわたしも聖女だし、リヒャルト様に求められれば癒しの力を使うことに異論はない。

 でも、例えばだけど、リヒャルト様の領地で大きな災害などが発生し、大勢の領民が傷ついたとする。

 普通なら領主から王へ、そして王から神殿へ要請が入って、聖女たちが災害救助の一因に加わったりするはずだ。


 でも、神殿と敵対していたら、神殿側は要請が入っても断ってしまうかもしれない。

 聖女が出動するくらいの大規模な災害なんてめったに起きないだろうが、これは大きなリスクだろう。わたしでもわかる。


「あの……、わたしは、神殿とは敵対しない方がいいと思います」

「スカーレット、私は何も、イザークのためだけに神殿と敵対すると言っているわけではないよ」

「じゃあ、なんですか?」

「そうだな。一つの要因として、神殿の権力が大きくなりすぎていることもある。聖女を当たり前のように抱え、癒しの力の使い方を決め、薬を高値で売りさばいている神殿を、君はどう思うだろう」

「それはまあ……確かに」


 聖女は無償奉仕が基本だ。そんな聖女の力を使って、神殿は寄付金でお金儲けをしている。

 ひどい言い方をするならば、お金のあるなしで命を選別しているのだ。

 多額の寄付金が払われない人は聖女の癒しを受けられないとはそう言うことなのである。


 ……わたしだって、詳しくわかってからは思うところはあるけど、でも……。


 それでリヒャルト様が不利益をこうむるのは違う気がする。

 もし神殿を糾弾したいのならば、王族や貴族みんなですればいいのだ。

 リヒャルト様一人が泥をかぶる必要はない。


「私は、神殿のあり方に一石を投じようと思う。すぐにどうこうなるわけではないだろうが、時間をかけて変化はするはずだ。少なくとも私が生きている間はそうなるように神殿を叩き続けるつもりでいる」


 リヒャルト様がそこまでする必要があるだろうか。

 ふと、以前サリー夫人から言われた言葉を思い出した。


 ――リヒャルト様は公爵様で、王弟殿下でもいらっしゃるので、彼に課せられる義務は大変重たいものです。けれどもリヒャルト様はその義務を怠ったことはございません。


 これが、リヒャルト様が課せられている義務なのだろうか。

 もぐもぐと口を動かしながら、わたしは考え続ける。


 ……わかんない。わかんないけど、それは、リヒャルト様がしなくてはならないことなのだろうか。リヒャルト様だけが……。


 そして、わたしには、何もできないのだろうか。


 胸の中がもやもやして、美味しいはずのチョコレートが、急に苦くなった気がした。






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