聖女の出汁は何の味? 5
リヒャルト様がわたしが癒しの力を使ったのではないかと疑った件については、次の日にある意味解決し、ある意味新しい謎をもたらした。
わたしはリヒャルト様に呼ばれてダイニングにいる。
二時間前にお昼ご飯を食べたのだけれど、燃費の悪いわたしのお腹は空腹を訴えていて、くうと鳴ったお腹の虫の音を聞いたリヒャルト様がケーキと紅茶をくれた。
フリッツさんお手製のクリームたっぷりのイチゴのケーキだ。
イチゴは本来であれば時期ではないのだが、裏庭にある温室で栽培しているものがあって、そちらのイチゴがちょうど熟しはじめているそうである。ケーキを持ってきてくれた時に、しばらくはイチゴが食べられますよ、とフリッツさんが親指を立ててくれたので、わたしもにこにこで親指を立てておいた。
「食べながらでいいから聞いてくれ」
わたしの目がイチゴのケーキに釘付けになっているので、リヒャルト様が苦笑しながら言う。
食べていいとゴーサインを頂いたので、わたしはフォークを握りしめた。
ちなみにわたしの目の前にはイチゴのケーキが五切れもある。リヒャルト様の前にもケーキが一切れ出されたのだが、すっとわたしの目の前にお皿ごと押し出してくれた。これで六切れ。幸せ!
頬張りすぎて口の周りにクリームがつかないように気を付けながら、わたしは夢中でケーキを口に入れる。
スポンジがふわふわしっとりで、真っ白なクリームはとっても濃厚。その中に感じるイチゴの甘酢っぱさがたまらない。これは無限に食べられるやつだ。
「スカーレット、これを見てくれ」
うまうまとケーキに舌鼓を打っているわたしの目の前に水の入った木桶が置かれた。
見ろと言われたから見たけれど、これが何かはわたしにはわからない。
ケーキのてっぺんに乗っている、まるっと一粒の、真っ赤な宝石のようなイチゴを口に入れて、もぐもぐしながら首をひねった。
「ほれ……もぐもぐもぐ」
口の中に食べ物があるときは喋ってはいけないというリヒャルト様の教えを思い出してイチゴを飲みこむと、わたしは言いなおす。
「それ、なんですか?」
「君が湯を使ったときの残り湯だ」
「ほえ⁉」
わたしの口から変な声が出た。
なぜわたしがお風呂を使ったときの残り湯がここにあるのだろう。
綺麗に体を洗ってからバスタブに入っているとはいえ、さすがに自分が使ったお風呂のお湯がリヒャルト様の目の前にあるのは、なんというかちょっと恥ずかしい。
「ベティーナが言っていただろう? 君が使った風呂の湯を使用人たちが持ち出しているようだ、と」
そう言えば昨日そんなことを言われた気がする。
わたしは「きっと花壇の水やりに使ってるのね~」くらいにしか思っていなかったが、残り湯に何か問題があったのだろうか。
「メイドを問い詰めてみたところ、どうやら使用人たちの怪我の治癒はこの残り湯が関係していると言うことがわかった」
「どういうことですか?」
「この残り湯には、傷を治す力があるようだ」
「ひゃい⁉」
わたしの口からまた変な声が出た。
思わずわたしの側に立っているベティーナさんを見ると、大きく頷いている。
「最初に気づいたのは、バスタブの掃除に来たメイドだそうです。この時期になると、どうしても水を使う仕事をしているメイドは手が荒れてくるものなのですが、スカーレット様のお部屋のバスタブを掃除しているときに、ひどく荒れていた手が綺麗になったと言っています。それで、もしかしたら聖女であるスカーレット様の使った残り湯には治癒の力がこもっているのではないかと推測し、メイド仲間たちに試させたらしいです。結果、大小関係なく、全員の傷が治癒しました」
「ええ⁉」
そんなことははじめて聞いた。
「聖女ってそんな力があるんですか⁉」
「いや、それについては私も不思議に思っている。聖女と呼ばれる癒し手は、はるか昔から存在しているのだ。聖女の使った風呂の水に癒しの効果があるということが真実だとすれば、今まで誰も知らないのはおかしい」
その通りである。
なので、わたしは言った。
「気のせいではないですか?」
「気のせいではないんだ。私も半信半疑だったため、先ほど試してみた」
言いながら、リヒャルト様は左手を掲げて見せる。
「先ほど、この手のひらをナイフで傷つけ、この残り湯の中に手を入れて見た。どうだ。綺麗に治っているだろう?」
「ナイフで傷つけた⁉ どうしてそんな痛いことをするんですか⁉」
「問題はそこではない。脱線するな」
いやいや、脱線するでしょうよ!
自分で自分を傷つけるなんて怖いことがよくできるものだ。
想像するだけでふるりと震えてしまう。
「聖女の使った湯に癒しの効果があるのかどうかまでははっきりとはしない。だが少なくとも、スカーレット、君が使った残り湯には癒しの効果があることがわかった。理由が明確になるまでこのことは外部には漏らさないつもりだが、これは大発見だ」
そうかもしれないが、なんか嫌だ。
……残り湯ってことはつまりわたしの出し汁ってことでしょう? そんなものをありがたがられるなんて……。
「君の使った残り湯にどれだけの力があるのか、しばらく検証してみたい」
検証ときたよ!
いやです。嫌ですよ! わたしの出し汁の検証なんてしてほしくないです。
わたしはぷるぷると首を横に振ったが、わたしのご飯の神様は無慈悲だった。
「スカーレット、これはすごいことなんだ」
「で、でも……」
「メイドたちによると、古い傷跡にも効果があったらしい。どこまでの効果があるのか試してみたい」
リヒャルト様は実験する気満々だ。
……うぅ。神様の言うことは絶対だけど、これは頷きたくない。
羞恥で涙目になりかけたわたしに、部屋の隅で黙って成り行きを見守っていたフリッツさんがおずおずと手を上げる。
「旦那様……」
「なんだ」
「もし、スカーレット様の風呂の残り湯の実験をなさるのでしたら、その、うちの娘も対象に入れてはもらえないでしょうか?」
フリッツさんの娘さんは、幼いころにかかった水疱瘡の痕を気にしている。
だからフリッツさんが娘さんを検証の対象に上げたいのはわかったけれど……うぅ、ということは、わたしの味方は、誰一人としていなさそうだ。
わたしとしても、フリッツさんから話を聞いてから娘さんの痕のことは気になっていたので、何とかしてあげたい気持ちはある。
……いやでも、それなら癒しの力を使った方がいいよ! むしろ使わせてほしいよ! わたしの出し汁実験なんて考え直してほしい!
だが、わたしの無言の主張を聞き入れてくれる人なんて誰もいない。
そして多大なるご恩のあるご飯の神様のお願いは、わたしも強く拒否できない。
「私としては検証対象が増えるのは歓迎だ。スカーレットもそれでいいな?」
男の人は、ちょっと恥じらいが足りないと思いますっ。
わたしはかくっとうなだれると、最後の抵抗とばかりに長く長く沈黙してから、了承した。
「……………………はい」
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