31、ワタシヲ~トリアッテ~ケンカシナイデー

 イージス殿下の心は、存在する。

 彼はイージス班のみんなを騙していなかった。

 私はそう信じている。


 私が考えを話すと、『魔王マギライト』は口の端を冷笑の形に歪めようとして――頭を押さえて驚愕と苦悶の表情を浮かべた。


「……何ッ、貴様、まだ邪魔を――……マ……マリン、ベリー……さん」

 

 声が、一変する。


 馴染みのある、柔らかな彼の声へと。

 同時にその表情も「人格が変わった」と感じられる変化を見せた。

 手に持っていた闇属性の刃も消えて、代わりに光の刃に変わる。


「……マリンベリーさん」


 そうだ。

 イージス殿下は、こんな風に私を呼ぶんだ。


「イージス殿下!」

「チッ」

 

 駆け寄ろうとすると、パーニス殿下が私の身体を引き寄せた。

 今舌打ちしました?


「なんだこの状況なんだこの状況。結局兄はいるのか。面倒だな。いないと言われたほうがわかりやすいのに」


 早口で呟く声は色々な感情がごった煮になって沸々とした熱があった。


「マリンベリーは何を望むって? 助けたいって? 兄上は何がしたいって? ああ……」


 思考整理の小声が流れる中、イージス殿下が声をかけてくる。

 

「マリンベリーさん」

「アッ、はい。イージス殿下!」

「実は、たまに記憶がない時間があっておかしいとは思っていたのですが、大会が終わった後に魔王に体を奪われてしまったのです。油断しました、すみません」


 申し訳なさそうに言う彼の表情は、本物のイージス殿下としか思えない。


 これもまた乙女ゲームにありがちなパターン。

 闇墜ちしたように見せかけて、「あなたを信じる!」と言ったら戻って来てくれるやつだ。「信じる!」と「不安で泣いちゃうから私を安心させてくれなきゃだめ!」が並んでいて、後者を選んだ方がうまくいったりもする。

 これはたぶん、現実の男女関係で「信じて放置してたら浮気される」みたいなのがあるので「信じてほっとくより浮気されないようにアプローチしましょう、放置はダメ」という学びがあるのではないかと思われる……。


 ゲーム脳を拗らせて思考がどっかいっちゃいそうなのをストップして現実を振り返ると、『広中街の魔物出没事件』の時に魔物を出現させたり私を閉じ込めたのは魔王の方じゃないかなと思うんだよね。


「今は私の人格が魔王を抑えています。それが出来ているのは――」


 イージス殿下の声が、喜びを伝えてくれる。

 

「――マリンベリーさんが信じてくれたから」


 彼の精神は、奥へ奥へと魔王に押しやられて弱っていたのだという。

 けれど私の声が聞こえて、歓喜と高揚が精神を強めたのだという。

 

「おかげで心を奮い起こすことができました……ありがとう。もう思い残すこともありません。魔王がやったとはいえ、この体で犯した罪もある――私が魔王を抑えたまま死にましょう。道連れにして終わりです」


 イージス殿下はそう言って光の刃を自分の喉に当てた。

 ――自害する気だ。


「イージス、何をしておる!?」

「父上。申し訳ありません。本当はゆっくり事情を告白したかったのですが……本日まで肉親の愛情を注いでくださり、ありがとうございました」

 

 緊迫した空気の中、パーニス殿下が動いた。

 

「兄上、それはない」


 簡潔だ。続く言葉がないのかと待つような静寂があたりに満ちた。

 

「……」

 

 パーニス殿下? 

 もうちょっとあるのでは? なんか、こう……代わりに私が言ってもいい?


「……し、死なないでください、イージス殿むぐっ?」


 言いかけた口がパーニス殿下の手で塞がれる。

 視線をそろーりと上に向けると、なにやら不満そうに私を見下ろしている。なんですか。


「……はあ」


 ため息をつくパーニス殿下は、兄殿下や国王陛下が何かを言うより先にお気持ち表明をなされた。


「兄上、そんな悲劇の英雄みたいな振る舞いで俺の婚約者の同情を買わないでください。大会の班が決まってからずっと我慢していましたが、限界です。魔王ではない兄上の罪は、まず『人の女に色目を使った罪』ですよ」


 すごく不満そうだ。だんだん早口になっていく。

 

「俺も一度は『兄上は魔王の擬態だったのだ』と思った身なので、困惑しています。しかし、人の女にちょっかいを出して心を奪って勝ち逃げはいただけません。マリンベリーも悲しむではありませんか。死んで楽にはさせませんよ、死者は美化されてしまうではありませんか」

 

 拳を握りしめて演説するパーニス殿下の葡萄色の瞳には、溜まりに溜まってこじれた黒いオーラみたいなのがあった。

「さっきの魔王よりこっちの方が怖いのでは?」と思ってしまうような黒い笑顔まで浮かべている。

 

「パ、パーニス? 兄さんは勝ち逃げなんて……待って。私は彼女の心を奪えているの? 嬉しいな……」

「あ、に、う、え……!」


 嬉しそうに俯いて口元を緩めるイージス殿下に、パーニス殿下は地の底から響くような怒りの籠った声を放った。

 

「俺の情報網を侮らないでください。アプローチしまくっていたのは全て耳に入っています。ですから、兄上は正体を現したところを俺が討伐し、すっきりするはずだったのですよ」

「ふふっ……死ぬ前に心地よい夢を見せてもらいました。ありがとう。ではパーニス、お前が私を殺しなさい。殺して、すっきりするといいでしょう」


 イージス殿下は弟を可愛がるように言って、両手を広げた。


「そうじゃないんですよ兄上。チッ、全くわかってねえなこいつ――俺にはわかる。兄上はなんだかんだ言って、本音では死にたくないと思っている。生きたいのが本心でしょう」

「……!」

 

 それは私も同感だ。

 私が「自分がこのままだと死ぬ」と気づいたときに「生きたい」と思ったように、イージス殿下だって、生きられるなら生きたいに決まってる。

 

「ついでに言うとマリンベリーと心を通わせているのが楽しくて、もっと親密になりたいと思っている!」

「うっ」 

「……」 


 イージス殿下が「その通り!」みたいな反応をするので、私はこんな状況なのに真っ赤になってしまった。

 お約束みたいなセリフを言いたくなるじゃない。

 こんなときなのに。こんなときなのに。

 小さな声でこっそり言ってもいい?


「ヤメテー、ワタシヲ~トリアッテ~ケンカシナイデー」

 

 我慢できずに言ってから王子2人の「すまん、今なにか言った?」的な視線に「聞こえてしまった」と気づいて居たたまれない気分になった私である。


「なんでもないです。ちょっと一回言ってみたかっただけなんです」

「……まあいい。長話して魔王がまた兄上の体を奪っても面倒だ」

  

 私が両手の人差し指をつんつんと突いて釈明していると、パーニス殿下は片手を振り、闇属性の魔弾をあっさりと撃ち放った。

 魔弾がイージス殿下の胸を貫き、彼が仰向けに倒れ込むまでが1秒足らず。

 ほんの一瞬の出来事だ。


「…………えっ」

 

 あまりにもあっさりで、理解が追い付かない。


「……イージス殿下ッ!」

「イージス!」

 

 私と国王陛下は一拍置いてから悲鳴をあげて、イージス殿下に駆け寄った。


「おおイージス! 死んでしまうとは何事か……っ」

「……イージス殿下ぁっ!」 

 

 国王陛下がおいおいと号泣するのを聞きながら、私はイージス殿下のお顔を覗き込んだ。

 

 息がある。首筋に触れると脈もある。

 蒼白いイージス殿下の顔は瞼を閉じて意識を失い、魔弾に貫かれた胸は――無傷?


「意識を落としただけだ。父上はともかく、マリンベリーは兄上を心配しすぎではないか?」


 私がイージス殿下の体を確認していると、パーニス殿下がごそごそと何かを取り出した。それが何かを理解した瞬間、思わず間抜けな声が出た。

 

「トロフィー?」

 

 彼が取り出したのは、ふわふわ生地の怪獣のぬいぐるみトロフィーだった。


 この状況でなぜそんなブツを? 

 まさか「俺の勝利!」なんてトロフィーを掲げたりしないでしょうね?

 さすがにそんなことをされたら好感度が爆下がりだけど……!?


「マリンベリー。俺は変なことはしないぞ。まあ見ていろ」

 

 国王陛下と顔を見合わせていると、パーニス殿下は指先に魔力の光を宿し、複雑な魔法陣を描いた。

 

 見たことがない繊細で高度な魔法陣だ。

 それが、幾重にも巡らされていく。


 魔法陣に流し込まれる魔力は濃厚で、見ているだけで心臓が落ち着きをなくし、肌に鳥肌が立ち、本能的に逃げたくなる。

 その魔法がどういうものなのかはわからないが、パーニス殿下の魔法の技巧の高さはわかる。この人――天才だ。

 

「完成だ。ふふん、マギライトよ。移るがいい」


 しかも、その高度な魔法がこの短時間で完成したという。

 とんでもない。


「マ、マリンベリー嬢。これはなんなのかね。倒れているのと魔法を使っているのは息子で間違いないのかね。今どうなっているのだね」

 

 もう国王陛下が半泣き。あっ、金髪巻き毛のかつらが落ちてしまって……風に飛ばされちゃって……。地毛はピンク色だったんですね、陛下。

 

「しまった。王としての威厳が飛んでいった」 

「陛下、お気を確かに。私もびっくりなのですが」

 

 私と国王陛下は手を握り合った。

 このままだとびっくりするだけの者同士、仲間意識みたいなのが芽生えてしまいそう。


「父上、俺が説明しましょう」

「おお、パーニスよ」

「兄上の中に魔王が入っているのです」

 

 説明は簡潔だった。

 

「わかりやすい」

「確かにわかりやすい」

「ちなみに俺は父上の魅力は金髪巻き毛の威厳ではなく、そのちょっと愛嬌を感じさせるお人柄にあると思っているのですが。そもそも金髪巻き毛だと威厳があるというのも疑問なのですがね」

「おお、パーニスよ。言われてみるとそうかもしれん」

   

 国王陛下が納得顔になり「して、この魔法は?」と問いかけている。

 疑問点を放置しないあたり、しっかりしている。


「賢者家当主カリストが、狩猟大会の優勝祝いに教えてくれた魔法です」


 パーニス殿下の説明に、大会中のミディー先生とカリスト様の会話が思い出された。


『一位になったら賢者家秘伝のぬいぐるみの魔法を教えてあげてもよい。以上』

『ああ、カリスト様はお心をぬいぐるみに移してますもんね』  


 その瞬間、点と点がつながって線になる感覚が閃いた。

 

「ああ~~~! あれ!」

「その通り。おい、あまり嬉しそうにするなマリンベリー。俺は兄を後日ボコボコにするぞ。決闘だ、決闘。私刑上等だ」

 

 パーニス殿下はむすりと言って、片手をイージス殿下の胸のあたりに向けた。

 そして、ぬいぐるみトロフィーへと引いた。

 

 私たちが見守る中、イージス殿下の胸から黒いモヤモヤした煙のようなものが吸い出され、ぬいぐるみトロフィーへと移った。たぶん、――成功?


「成功だ。俺を褒めてくれていいぞ、マリンベリー?」

「す……すごい」


 

 イージス殿下と魔王が別々にできたということは、魔王だけ討伐してイージス殿下は救える可能性が高くなったってことじゃない?

 

 全くの無罪にはならないかもしれないけど、死ぬまではいかずに済ませられたら。

 

 ……それは、ゲームでもなかったハッピーエンドの形じゃない?


 

「父上。このぬいぐるみトロフィーと兄上は魔法が使えないように処置をして別々の檻なりに入れましょう。そして、俺が兄上をボコボコに負かせて、泣かせて、私刑に処す!」


「パーニスよ。父は愚かにて、自分の息子たちのことがわかっておらぬ。許してほしい。ただ、王族が私刑などと言ってはならぬ」

「俺が模範的な王子ではなくダメ王子なのは父上もご存じでしょう」

「模範的と言われる努力をしなさい、パーニス。ダメ王子だからと開き直ってはいかん。それに、最近聞こえてくる噂や先ほどの魔法を見る限り、お前はダメ王子と呼ばれるべき器ではない」

「ダメ王子でいいので私刑させてください」


 親子の会話を聞きつつ、私は極度の緊張からの安堵の反動でふらふらと座り込み、意識を手放した。


 私は謎解きや推理が苦手だ。

 あまり考えたから、脳が「もう何も考えたくない、おやすみ」と休眠したのである。すやぁ。




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