6-2「胸懐」

保健局の窓から見える木々は風に揺れて、太陽は出ているが涼しい日である。癒波叶が目を閉じて、緑色を仄かに宿した右手を一条にかざす。一条は無表情にそれを見ていた。



「うん。問題ないですわ。でも、この前の新田さんといい、皆さん無茶しすぎですわよ?」


「すみません……」



叶は一条に優しく笑いかけた。背後では佑心と心が見守っている。すると、後ろからしわがれた大声が聞こえてきた。



「不思議なこたありゃせんよ!昔から赤は血の気が多くて困るわい!」


「あら、お母さま。」



叶は振り返って老婆を振り返った。佑心はその老婆をまじまじと見つめた。突然その老婆と目が合い佑心がギクッとすると、老婆はどんどん近づいてきて佑心を上から下まで見回した。「お母さま」と呼ばれたこの老婆は癒波ゆなみのぞみ、癒波叶の実の母親そして生活局局長である。



颯太そうた!こいつを見ておやり!多少しぼんどるわ!」


「ラジャー!」



奥から別の声が聞こえ、望と入れ違いで短髪ウルフの青年が駆けてきた。青年、西村にしむらもずいっと佑心に近づいた。



「自分、名前は?」


「あ、新田佑心です。」



西村は佑心の身体の至る所に緑のパージ能力を宿した手を、叶がやっていたようにかざしながら話す。



「ふむふむ、なるほどな。赤のパージャー、と。ちょいと補完しとくさかい、動かんとってな。」



西村が佑心の背中に手を当てると、緑の光が優しく佑心に入っていった。



「あの、あなたは?」


「ん?西村にしむら颯太そうたや、緑のパージャー兼生活局職員!よろしゅうな!ほい、終わったで。」


「あ、ありがとうございます。」


「ほな、またな。今からすぐ任務があってな!」



すると、急いで去る西村の背中に心が無邪気な笑顔で聞いた。



「あ、もしかして、日根野さんとの任務ですか?」



その瞬間、西村の顔がぽっと赤色に染まった。くるっと心を振り返ると、頭をかいて言う。



「ま、ま、まあ、そんなとこや!あははー……」


(なるほどな……)



佑心はもの知り顔でジト目を向けた。西村はぎこちなく笑ってすぐに部屋を出ていったが、心は何も分かっておらず首を傾げていた。



「わざわざ退院の日に来てくれてありがとね。でも、そろそろ行こう。」


「そうだね。」



診察椅子から立ち上がった一条が二人に笑いかけた。






執行部赤の派閥のオフィスで、佑心のデスクの横に立って心が指導している。



「ここはこれでいいのか?」


「うん、ばっちり!」


「できたー?」



一条はオフィスの出口に自分の報告書を持って待っていた。



「もうほとんど完成だよ。」



佑心は目を細めて一枚の紙と向き合った。



「ってか俺、てっきり任務の報告書って自分で書かなきゃダメだと思ってたよ。」


「まあ、本当はそうなんだけど、実質事務局の人に任せっきりだよね。パージャーは人手不足だし。」



心は困り顔で言った。



「何せ執行局代理事務部、なんてものがあるくらいだしね。」


「僕らのせいでその事務部は相当忙しそうだけどね。」


「へー……」





佑心、心、一条は本部内を歩いて報告書の提出のために執行局代理事務部へと向かった。



「あの連続殺人犯って、どうなったんだ?あんな危険なやつ、まさか警察に引き渡さないだろうし。」


「大方、ゾレト行きでしょうね。」


「ゾレ、どこって?」



佑心の反応に、心がくすっと笑った。



「ゾレトラウカ、略してゾレト。ここの最下層にある収容所だよ。」



それを聞いて佑心が一歩引いた。



「げっ!この地下にあんなやつがゴロゴロいるのかよ。」


「大丈夫よ。警備は厳重だし、限られた人しか入れないから。」


「そうそう。って言っても、僕はまだ行ったことないけど。」



心はヘラヘラと笑った。

その三人の様子を少し遠くで見ている姿があった。川副は佑心が心と笑いあう姿を無意識に目で追っていた。



「……川副さん?川副さん?」


「……え?」



川副の隣を歩いていた青の派閥のC級パージャー、舛中ますなかつかさの声に意識が引き戻された。舛中は30歳で、七三分けに黒縁眼鏡の風体はどこかのビジネスマンのようである。



「何か気になることでも?」


「あ、いえ……」



といいつつ、川副はまだ佑心の背中を追った。舛中も川副の視線の先に何があるかは分かっていた。



「では、急ぎましょう。後が詰まっているのですから。」


「は、はい……」



川副は気持ちをそこに残しながら、舛中に続いた。






「執行部一条希和、報告書を提出に――」



一条が戸を開けた瞬間、のべつ幕無しに並ぶデスクから覗く顔に睨まれた。佑心は並び立つ睨みに顔を引きつらせた。



「な、なに……」


「あの、ここに置いておきますので、よろしくお願いします。」



一条は扉の前の長机に三枚置くと、すぐに部屋を出た。



「ふー、何回やっても嫌だわ……」



一条はため息をつきながら額の汗を拭った。佑心は不思議そうな顔をしていて、心が説明してくれた。



「言ったでしょ、執行局代理事務部は僕らのせいで大忙しなんだよ。」


「な、なるほど……」



佑心は苦笑いした。

赤のオフィスに戻る途中で、一条だけが立ち止まった。



「じゃあ、私、ちょっと用を済ませてから戻るから。先行ってて。」


「あ、うん……用事って、何だろうね。」


「さあ。」



残された二人は首を傾げた。






オフィスの扉が開くと、一条が戻ってきた。



「お疲れ様でーす。」


「おう、帰って来たな希和。聞いたぞ!たった一日で連続殺人犯をとっ捕まえるとは!」


「私は大したことできませんでしたよ。なんだか、佑心が凄い活躍だったみたいです。」


「うんうん、それも聞いてるぞ!佑心も心もよくやったな!」



松本は至極満足そうに頷いた。



「ありがとうございます。」



一条より前に戻っていた佑心と心の声が重なる。その時、扉がノックされた。

コンコン……



杵淵きねふちだ。いいかい?」



そう聞こえた瞬間、オフィスの全員がぱっと立ち上がり右手で敬礼した。佑心は少し遅れて立ち上がったので、その時によろめいた。向かいの一条は小さく噴き出すした。



杵淵きねふち長官、問題ありません!」



松本が大声で答えると、杵淵きねふちと呼ばれた男が入室した。背も高く体格のいい中年の男は松本のデスクの前まで進んだ。部屋は緊張に包まれていた。



「すまんな、忙しいときに。」


「いいえ!ご用件は?」


「ああ、実は――」



二人はコソコソと話しだし、段々との顔が険しくなってきた。



「またですか……ええ……」



佑心たちには松本の小さな相槌しか聞こえてこなかった。杵淵はすぐに踵を返して出口に向かったが、佑心のそばで急に立ち止まった。



「君かね、連続殺人犯を挙げたのは?」


「は、はい!」



佑心は背筋を伸ばして運動部だと分かる返事をした。



「……名前は?」


「あ、新田佑心です!」


「ふむ。これからもよろしく。」


「はいっ!」



杵淵は去り際に心の肩にも手を置いたが、心はガチガチに緊張して固まっていた。杵淵がオフィスを出ていくと、皆ため息をついて緊張の糸は急に切れた。心も大きく肩を一気に落とし、息を吐いた。しかし、佑心はずっと扉の向こうを見つめていた。



(なんで俺に……)

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