第9話 朝の修羅場

 翌朝、俺はいつも通りの時間に家を出た。

 夜勤明けの母親はまだ帰宅しておらず、父は寝室で爆睡中。朝の時間は恐ろしいほどに静かである。けれどそれも今では慣れたこと、通常運転であった。


 だが家を出て数歩、俺は目を訝し気に細めた。

 隣家――一ノ瀬家から騒音が聞こえてくるのだ。

 見やれば、玄関前で争っている人物がふたり。


「ははーん、なるほど」

 

 俺は一瞬で状況を把握し、関わらないことを決めた。

 余談であるが俺は意図的に日向と登校時間が被らないようにしている。

 具体的には少し早めに登校しているのだ。日向や梨花たちと登校していては絡まれること間違いなし。朝の時間くらいは穏やかに登校させて欲しいのである。


 実は高校生活が始まってすぐ、月菜ちゃんから「一緒に登校しよう」とのお誘いは頂いていたのだが、お断りを入れた。理由はもはや言わずもがな。

 ただし彼女の性格を鑑みれば俺の意思など関係無さそうだが。


 昨日も半ば強制的にデート(仮)の約束を取り付けられた。

 既にトークアプリのメッセージはデートスポットの話で盛り上がっている。

 懐かれている、あるいは揶揄われている。


 ただ、時折不思議に感じるときがあって、それは月菜ちゃんは俺と一緒にいることで下手な噂をされて嫌ではないのだろうか。ということ。


「……強かな子だからな」


 他者の意見より己の意見。それが月菜ちゃんの考え方だ。

 周りがとやかく言っていようが、自分が楽しければそれが全て。

 その点、日向とは相容れないのは納得ができた。


 振り回されていることは自覚していたが、決して嫌ではない。本当の妹みたいな月菜ちゃんが満足できるなら、それはそれで俺としては喜ばしいことだ。


「――ひとりで行ってください!」


 さて、と。思案に耽っていたところで鋭い声が響いた。

 声の主は桜木梨花。穏やかな彼女のそれとは思えない感情の起伏。しかし相対している人物となれば、敵対心が芽生えるのも当然の流れといえた。梨花より更に濃い黒髪は背中まで伸び、初夏の足音を感じさせる陽光さえも、全て吸収していた。


「あら、酷い。こんな子ほっといて私と行きましょ?」

「いーから邪魔しないでください! もう、ひーくん行くよ!」


 姫乃百合ひめのゆり。我らが高校の生徒会長。三年生。

 女子にしては高身長で、そのルックスはまさに美しさそのもの。切れ長な瞳は怜悧な印象を見た人に与えるが、日向にだけは優し気な色を湛える。馴れ初めを詳しくは知らないが、いつの間にか一ノ瀬日向のハーレム軍団に加わった人物である。


「おいおい二人とも喧嘩するなよ。仲良く行こうぜ?」


 渦中の人物である日向は困り顔だが、どこか自信に満ちている。

 それは彼の優柔不断具合から芽生える逃げの表情なのだと俺は見て取った。

 本心は日向のみぞが分かる所だが、傍から見ていて良い気分はしない。


「昨日だって無理やり割り込んできて!」

「ま、いいじゃないの。私も暇だったのだから」

「そういう問題じゃないです!」


 合点がついた。恐らく昨日は日向、梨花、姫乃先輩の三人で遊んでいたのだろう。元は日向と梨花の二人だけの予定が何らかの経緯を経て先輩が加わった、と。

 そりゃあ、あの温厚な梨花でもキレ散らかすわなぁと俺は頷いた。

 

 日向のハーレム軍団の中で勝ち残るのは誰なのか。それは俺の知る由ではない。ただ一応幼馴染としては、頼むから平和に解決して欲しいと願うばかりだった。

 日向のことは嫌悪していない。だけれどこの先にあるのは破滅だ。

 

 ハーレムなんてのは漫画だけの関係性で、現実はそう簡単ではないと思う。嫉妬や妬み、人間の感情は割とどす黒く、俺はその負に晒されてきた経験がある。

 親友の癖に。期待して損した。つまんない人だね。全く聞き飽きた。


 恋愛の経験は皆無だが、人間の汚さは知っているつもりだ。

 日向はさっさと決意を固めて誰かと付き合っちまえ。

 

 曖昧にして放置するのは優しさではない。


「行くか。見つかったらだるすぎる」


 あの火山噴火地帯に踏み込む勇気も気概も俺にはない。そそくさとバレないようにその場を立ち去ると――電柱の裏から誰かが飛び出してきた。 


「――おっはよ! 難しい顔をした男子高校生を発見~!」


 明るめの茶髪がふわりと揺れる。制服姿の女子生徒。

 悪戯好きな笑顔がばっと眼前に広がった。


「うぉ!? び、びびったぁ……」

「どっきり大成功~! 一緒に登校しよ、真にい!」

「……まさか待ってたのか、昨日に引き続き」


 昨日は放課後待っていた月菜ちゃんが、今朝も待っていた。

 俺は月菜ちゃんの行動力に驚くばかりだ。もし俺が早めに登校していたら彼女はどうするつもりだったのだろうか。せめて待ってるねの一言があれば驚かずに済んだ。


「もち。……ま、真にいが早めに登校してる可能性もあったけど」

「だろ? 今度からはメッセージ入れといてくれ。心臓に悪い」

「りょーかい。あとはほら……絡まれたくなかったし」


 月菜ちゃんの視線の先。やや遠くなった三人の姿。

 耳を澄ませば、まだ僅かに耳朶に届くやり取り。

 俺は「あぁ~」と呻き交じりに答えた。


「……ってことで明日から一緒に登校しようよ。春休み終わり、真にいに一緒に登校はしないって言われたこと結構ショックだったんだからね……!」

「何が、てことで、なのかは分からんけど、それはまぁ、悪かったと思ってる」


 ただ事情が俺にもあった。

 独りよがりの我儘だと断じればそれまでの理由だが。

 再三語っているが、彼女と知り合いであることが露呈すれば、直接月菜ちゃんに話しかける勇気がない層が俺に寄ってたかってくるだろう。そうなれば直接的ないし間接的に迷惑をかけることになる。何かあれば俺は後悔してもしきれない。


 しかし、月菜ちゃんはそんなこと関係ないと断言した。

 何かあれば俺が守ってくれるでしょ、と全幅の期待を寄せている。

 ここ数日、月菜ちゃんから距離をぐいぐい詰めてきている。


 何かあったのだろうか、と疑わない訳でもないが、元々月菜ちゃんは悪戯が好きな少女だ。大方進学して慣れない面子に揉まれている中、俺を弄ることで精神安定を保っているのだろう。どちらにせよパワー関係で負けている俺は頷くだけである。


「今度のデートで完璧にエスコートしてくれたら許してあげる」

「……恋人できた時の練習だろ?」


 まるで本当に付き合っているかのような口振りに俺が突っ込みをいれる。


「それでもやっぱり女の子だから、デートに憧れはあるって。ほら夜景の見えるホテルでディナーとか!」

「月菜ちゃんは高校生男子に何を求めてんだよ。行けてもカフェだわ」

「まったく、仕方ないなぁ」


 呆れた感じに肩を竦ませながらも、どこかご満悦な雰囲気を湛えていた。

 

 我が家から高校まで、徒歩で二十分程度。肩を並べながらゆっくり歩いても三十分はかからない距離だ。


 からっとした日差しに夏の香りを覚えた。ただし、まずはジメジメとした梅雨が先である。それを体現するかのように、月菜ちゃんの首筋にはうっすらと汗が滲んでいた。


「桜、完璧に散っちゃったよね」

「五月に入ったらあっという間だったな。来年は花見とかしたいかも」


 俺が何気なしな放った花見という単語にぴくっと反応した月菜ちゃん。

 案の定であった。


「なら行こ。来年とかさ」


 たわいのない雑談だった。

 だからこそか──その姿を視界に納めた時、余計に緊張したのだろう。


「……あ」


 まず目があった。その後、会釈。

 俺も日本人らしく反射的に会釈。

 その顔には、見覚えがあった。というよりもありすぎた。俺を間違えて呼び出した、告白詐欺事件の張本人。


「どうも」


 校門の前で固まる俺と女子生徒。

 まずその均衡を破ったのは俺であった。

 あの凄惨な事件は向こうに責任があるとはいえ糾弾するほどでもない。ささっと挨拶をして乗りきるに限る。


「あー、あの時の」

「うす。……まー、気をつけてください。わりと反応に困ったんで」

「あ、あはは。……ごめん」


 そんな微妙な空気感。

 交わしたのは数度の会話。その応酬を経て彼女は小走りで立ち去った。隣の月菜ちゃんには朝の校門前の喧騒も相まって、気付かなかったようだ。


「と、悪い悪い。……月菜ちゃん?」


 彼女との間にあった事を語るつもりはない。が、無視も人としてどうか。

 

 凡そ一分程とはいえ、放置してしてしまったことを月菜ちゃんに謝罪すると、去った女子生徒の背を見つめていた。それはもう鋭く、鋭く、だ。


「あ、うんごめん。なに?」

「いや、めっちゃ怖い顔してたぞ」

「え、ほんとに?! してないよー、ちょっと視界に虫が映って目障りだっただけ! ささ行こ、真にい!」


 言って、軽く俺の手を取る。

 時節は五月。虫が活発になる頃合いではある。だが、本当にそうか?

 

 月菜ちゃんがあそこまで露骨に嫌悪感を示したところを見たことがない。

 余程苦手な虫が飛んでいたのか。


「あの、手を離して貰えますか! 理由は分かるだろ! まーじーで!」

「嫌でーすっ! 無理でーす!」

 

 俺の手を引く月菜ちゃんの横顔は、変わらず彼女らしい笑みだった。


 しなやかの指、柔らかな手のひら。握られたのはいつ振りか。相手があの月菜ちゃんとはいえ、面映ゆい。


 伝わる熱。


「真にいは好きな人いるの?」

「──は? んだよ急に。いねーわ、いたら昨日の話にのらねえって」


 話というのはデート(仮)である。

 本命がいるのに他の女の子と出掛けるというのは、俺的には気が引ける。

 意中の人に誤解されたくない。

 

「だよねー、さみしい真にい」

「おい、それはもはや悪口だからッ」

「あはは、真にいが怒ったー!」


 きゅっと、握る手が強くなった。

 辛うじて見えていた横顔をばっとさらに隠す。……ただ、茶髪で隠しきれていない耳は朱色に染まっていた。


 恥ずかしいなら手なんて握らなければ良いのに。喉から出掛かった言葉は何となく声にするのをやめた。


 その代償として俺はクラスの男子たちから説明を求められることになる。


─────


 後書き失礼致します。


 皆様のお陰で拙作がランキングに掲載されています。こちらにて厚くお礼申し上げます。後書きを読むのが苦手な方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。何卒ご容赦を……!


 徐々にヤンデレ要素やラブコメ要素出せていければと考えております。


 進みが遅い可能性もございますが、お付き頂ければ幸いです。ちなみにコメントや評価、応援やフォロー等、全て私の励みになっています。これからも、よろしくお願い致します。


 ヤンデレは至高!ヤンデレは至高!

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