第2話 手紙の内容

 俺は日向からの猛追を掻い潜り、現在教室へと向かっていた。

 ただし、その前に手紙の開封という一大イベントが控えている。どこでこの天使からのラブレターを見ようか考え──中庭にした。理由は至極単純であり、昼休みや放課後は賑わうリア充御用達の場所だが、朝は比較的人通りが少ないからだ。


 柔らかな日光が降り注ぐベンチに俺はどかっと腰掛け、一呼吸。

 周囲にひと気はあまりなく、ちらほらと学生が散見される程度だった。

 委員会だろうか、花壇や植木に水を与えている。少なくとも俺のことを気にしている者はいなさそうだ。これ幸いと俺は震える手で手紙を取り出した。


「お、おぉお」


 改めてラブレターを手に取った俺の口から情けない声が漏れる。

 陽光に反射する桜色の便箋は、もはや幻想的とまでいえた。

 俺は逸る感情を無理矢理抑えつけ、再度深呼吸。


 傍から見たら不審者であることは間違いないが、許して欲しい。なんせ初めての経験であり、心臓が張り裂けそうなほど痛いのだから。イケメン大魔神一ノ瀬日向宛ではなく、俺宛への恋文である。平常心を保てという方が土台無理な話なのだ。


「……いざ」


 俺――碓井真司うすいしんじは破れないように封を開けた。

 かさり、と微かな音がして、一通の手紙が出てきた。ああ、神様、今まで俺は神様を呪ったことしかないけれど、今日ばかりは貴女様に感謝したいと思います。

 

『好きです。今日の放課後、校舎裏で待っています』


 短い文章。しかし、時間をかけて書いたであろうことが読み取れる丁寧さ。

 差出人の名前は生憎書かれていない。恥ずかしがり屋なのだろうか。気色悪いことは重々承知だが、どんな女の子なのか妄想が膨らんで仕方ない。


 想いを伝える。それはどれだけ覚悟のいることだろうか。

 関係の進展、あるいは関係の崩壊。どちらに転ぶか分からない状況で「好き」を書き記すなど、確実に凛として真面目かつ、それはもう大層な人格者に違いない。

 あるいは穏やかで照れ屋。けど小動物みたいな子だろうか。


 これはラブレター。思いの丈が綴られている宝物。

 慌てて頬を摘まんでみれば鋭い痛みが走る。よし、夢じゃない。

 俺は大きく息を吸い込み、声にならないお叫びを上げた。


「シャァあああ!! 俺にも春が! 来たぞッッ!!」


 五月。桜は散ってしまったが、ようやく俺にも遅めの春が来たらしい。

 別に小説やアニメみたいな大それた恋愛は望まない。加えて金持ちや美少女、そういった存在でなくてもよい。願わくば、優しい子。ただそれだけでいい。

 

 初デートは水族館がいいだろうか。あるいは動物園か。映画館も外せない。暗い場内で手を取り合って恋愛映画を鑑賞する。そして互いに頬を赤くしながら感想を言い合うのだ。ううむ、なんと素晴らしきかな。俺が求めていた答えがそこにある。


 今まではずっと日向、日向、日向の毎日だった。

 仲介やラブレターの代理人、二人で遊んでいる時に逆ナンされたことも数知れず。しかーし! それは全て日向狙い。俺はあくまでもおまけ。


「だが! だがしかし!」


 今回、俺が主人公だ!!



 

 だからこそ、俺はこの現実を前に涙していた。

 実際には泣いていない。だが心の中では大洪水だった。

 待てよ、こんなのってないよ。おかしいって。


「――え、誰?」


 開口一番、彼女はそう呟いた。意味がわからないとばかりに。

 その反応でもってして、俺の脳裏に嫌な予感が走る。まさかな、と。放課後の校舎裏は、やや薄暗く、だが斜陽の茜がうっすらと差し込むロマンティックな空間。

 告白をするにも、あるいはされるのにもぴったりな場所だった。


 しかし、俺と彼女の間に流れる空気はお通夜。しっかりお通夜。

 俺が校舎裏に現れた時、彼女はぱっと顔色を明るくさせた。ついで頬を赤くして、上気した表情。だが、俺の顔を認知すると、ぽかんと首を傾げたのだ。


 そして「誰」とのお言葉。既に恋する乙女の姿はそこになかった。

 彼女の顔に貼りつけられているのは疑問の二文字。瞳の奥は胡乱で染まっている。

 だがしかし、俺は彼女に呼ばれてここに立っている。その事実は変わらない。脳裏で嫌な予感と警鐘が絶えず存在感を増幅させているが、一旦は無視だ無視。


「あー、俺は碓井真司。……君に呼ばれてここに来たんだが」

「え、私一ノ瀬君を呼んだよ。って、碓井? 一ノ瀬君と仲良いって話の?」

「まあ、一応。って、待て。いま、日向を呼んだって言ったか……?」


 予感が的中した。最悪の二文字が脳内を埋め尽くす。

 頬をひくっと引き攣った。俺は目頭を指でつまんで溜息を零した。

 まじか。こういうパターンもあるのか。俺、馬鹿すぎんだろ。舞い上がって、妄想を膨らませて。あぁ、穴があったら五年くらいは入っておきたい。隠居してぇ。 


「……も、もしかして入れ間違えた? 私」

「っぽいな。あ、あー、なんというか、気をつけて、な?」


 傷心中の俺だったが、フォローに回れた辺り聖人かもしれない。

 ただ俺に対し申し訳なさそうにする彼女を糾弾する気持ちにはなれなかった。これで嘘告でした、とかであれば俺はもっとショックを受けていたに違いないが。

 それに哀しきかな、恋愛ごとに巻き込まれるのは慣れている。


 俺は無理やり愛想笑いを浮かべて、彼女に声を掛けた。


「大丈夫だ今日のことは他言しない。今度は間違えないようにな」

「……あ、うん。なんか、ごめん。本当にごめんなさい」


 ぺこりと頭を下げる彼女は、そそくさとその場を去った。

 間違えて呼びだした男と二人校舎裏など、耐えられなかったのだろう。

 俺は後ろ姿をぼーっと眺めた後ゴンと校舎の壁に頭を軽くぶつけた。


 一ノ瀬、碓井、あいうえお順の影響で下駄箱が並ぶことはある。それにしたってラブレターの宛先を間違えるかね普通。返して欲しい、俺の純情を返して欲しい!

 

 なーにが映画館できゃっきゃだ! 

 ふざけんなよ、馬鹿が! バーカ!

 ぬぐあぁああああああああ!!


「クソがぁあああッ!!」


――翌日、またしても便箋が俺の靴箱に入っていた。

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