第4話「いちいちうるさいのよ予防線野郎」

「明日から、柳瀬やなせくんと一緒に行動してもいい?」


 川越かわごえはカフェ『ふくろう』で、そう提案した。


「どうしてそうなる……? 俺は常盤ときわとどうこうなる気はないって言ってるだろ?」


「こっちだって、それは分かったって言ってるでしょ? そうじゃなくて、柳瀬くんの視点で世界が見たいのよ。ラノベ主人公の目線で見た世界がどんな風になってるか、知りたいの。あなたが、何にときめいて、何に興奮して、何に傷つくのか……そういうのが、知りたい」


「お、おう……」


 猫みたいな目をまっすぐに俺に向けて、言ってることはまるで愛の告白なんですけど。

 ……などと考えてしまったことが恥ずかしく、呆れ顔をどうにか作り、咳払いで雑念を振り払う。


「こほん……。気になることがいくつかある」


「なに? 答えたら、柳瀬くんのそばに置いてくれる?」


 いやだから『そばに置いてくれる?』とか言うなって。


「こほん……」


 俺がもう一度咳払いをすると、副流煙を嫌うように顔をそらす川越。


「ねえちょっと、もしかして風邪引いてるの? 咳が多いわ。風邪引いてるならあたしすぐに帰るわよ? あたし、風邪をうつされるのって大嫌いなの。小説が書けなくなるから」


「あのな……」


 俺のこと、好きなのか嫌いなのかどっちだよ。(好きとは一言も言ってない)


「……大丈夫だ、俺は至って健康だ」


「そう、じゃあいいけど。で、気になることって何?」


「一応言っておくと、答えてもらったところで、俺が許可するかは別だけどな?」


「あーもう! いちいちうるさいのよ予防線よぼうせん野郎やろう。分かったから早く話して」


 予防線野郎って言われた……。


「はあ……。まず、映像化にこだわる理由。さっき、そうじゃないと世界を変えられないって言ってたけど、それはどういう意味だ? 次に、男性向けラノベにこだわる理由。別に女子向けだっていいだろうし、文芸だっていいだろうし、むしろ川越の文章ならそっちの方が向いてるように思うけど」


「朗報よ。全部同じ理由で片付くわ」


 彼女は小説の登場人物じみたセリフを吐くと、秘密を打ち明けるように少し身を乗り出す。


「あたし、敵討かたきうちをしようとしてるの」


「敵討ち……?」


「そ。あたし、大好きな作品があるのよ。ううん、大好きなんてものじゃないわね。その作品のおかげであたしはまだ生きていられているし、その作品のおかげで、ここにいる。そういう作品があるの」


「ほお……?」


 話がまだ見えてこない。さすがに川越も説明しきったつもりではないらしく、話を続けてくれた。


「中学の時にね、いじめ……ってほどのものじゃなかったけど、結構煙たがられていたの、あたし。上履きを隠されるとか、机にいたずらされるとか、そういうんじゃなくて、陰口を聞こえるように叩かれる程度の煙たがられ方」


「そう、なんだ……」


 なんだかその線が妙に生々しい。


「あたし、成績が抜群に良かったの。県の模試では確実に上位10位には入ってるくらいにね。友達がいなくって、家か図書館でずーっと読書してたから、自然と頭が良くなったのね。小学生の頃は成績とかあんまり関係なかったんだけど、中学に入ると、そういうの、目立っちゃって」


「やっかまれたってことか」


「ええ。成績がいいだけなら人気者になる可能性もあったんでしょうけど……この喋り方がそうさせてくれなかったわ」


「喋り方……?」


「あたし、友達だけじゃなくて、母親もいないのよ。たまたま小学校の時の担任も男性ばかりで、そしたら、周りに話せる女性がいなかったのよね。だからかしらね」


 サラッと挟まれた事実と共に、ずっと感じていた微弱な違和感が像を結び始める。


「ある日、愕然としたわよ。クラスの女子に、」


 それは、きっと。


「『あんたのその小説みたいな話し方、なんなの? 馬鹿にされてるみたいでむかつくんだけど』って言われたの」


「そういうことだったのか……」


 さっきまで俺が心の中で思っていたことだった。作家って話し方も小説みたいなんだなあ、などと能天気に思っていた自分を呪う。


「そんなこと言われたらもう、言葉を口に出すことが、恥ずかしいし怖くなっちゃって。で、ますます内向的になっていったある時に、その小説に出会ったの。新人賞を受賞したーって図書館に並んでてね。なんとなく読んで……読み終わった時にはもう涙で本がずぶ濡れだったわよ。次の日ベランダで干したけど、かっぴかぴ・・・・・だったわ。返却できなくて買い取ったくらい」


「それは、どんな作品だったんだ?」


 それほどまでに川越を突き動かした作品とは。


「話すと長くなっちゃうけど、まあ、とにかく、中学時代に挫折した女子が高校でやり直して克服する話ね。よくある青春小説よ。だけど、その言葉の全部が、あたしの身体の中の自分でも気が付かなかった黒々で泥々なところに這入はいり込んで、あたしを蝕んでいた菌を散らして、あたしに前を向かせてくれた」


「そっか……」


 俺にもそういう本との出会いはある。読書好きならきっと誰しも、これほどまでかは分からないが、同等の感動はあるものだろう。


「でも、その作品は売れなかったの。ありがち過ぎたのかしら。きっと手に取られなかったのね。それで、作者さんは筆を折ってしまった」


「え……!」


「作者さんはtwitterに、『僕の物語じゃ、世界を変えられませんでした』って、そう呟いて引退していったわ。超ダサいわよ、最悪」


「ダサいって……」


「だってそうでしょ? 一回失敗したくらいで落ち込んじゃって。……今のあたしが言えることじゃないけど」


 昨日の奇行を考えると、ただ落ち込むよりタチが悪いとも言える。


「それにね、作者さんは知らなかったみたいだけど、あの作品は、世界を変えていたの。あたしの世界を。……だからね、あたしが世界を変えることにしたの」


「世界を、変える」


「そう」


 彼女は極めて冷静に、だけどその猫目の中に炎を灯して、呟いた。


「あの作品に変えられたあたしが世界を変えれば——あの作品がなければ生まれなかったモノが世界を変えれば、それは、あの作品が、世界を変えたってことになるでしょう?」


「なるほど……」


「だから映像化くらいしないと意味がないのよ。『世界を変えた』って胸を張ってその人に言えるような、ううん、言わなくてもわかるような、そんな売れ方をしないと意味がない」


 俺は沸々ふつふつと、ドクドクと、どこかで音が鳴っているのを感じていた。


 かろうじて冷静な部分が質問を投げかける。


「でもそれ、どうして男性向けラノベにこだわるのかの答えになってるか?」


「男性向けラノベにこだわってるわけじゃないけど……ソックス文庫にこだわっているのよ。敵討ちだからね。その作品はソックス文庫大賞の、数年前の大賞作品なの。あたしの先輩ね」


「そうなのか……!」


「だから、ソックス文庫の、あの人と同じ賞を取った時は嬉しかったわ。まあ、あの人は大賞であたしは審査員特別賞だけど……。でも、これで世界を変えられるって思った。敵討ち出来ると思った。なのに……」


 売れなかった。とは口にしなかった。


「……それで、うちの本屋で暴れた、と」


「悪かったわよ」


 ふすー、と彼女は息を吐く。


 でも、これだけの話を聞くと、その悔しさもひとしおだっただろうと思う。


「あたしね、思うの」


 川越かわごえあさ——もしくは富士見ふじみよるは、カフェの窓の外を歩く人を指差しながら続ける。


「『世界を変える』っていうのは、別に地球の核にあるサーバーに接続してプログラムを書き換えるみたいなことじゃなくて、あのくたびれた黒いスーツ着たサラリーマンと、あの買い物袋を提げてしかめっ面してるおばさんと、あの不貞腐ふてくされた顔をしてランドセル背負ってる少年と……あと、ここからは見えない不特定多数の一人一人の景色を0.1ミリずつ変えるってことだと思うの」


「……そっか」


「ああ——」


 彼女はがくりとうなだれて、そして、大真面目な顔で呟いた。


「——あたしは、世界を変えたいのに」


「……よく分かった」


 俺はぽつり、と言葉を置く。


「そ? まあ、こんな話をしたって、あなたはあたしのお願いを聞いてくれるとは思えないけどね」


「いや、やろう」


 そして、気づくと即答していた。


「へ?」


 窓の外を見ていた川越が、彼女らしくもないほうけた返事をしながら俺に向き直った。


「ちょっと待って、あなた、今、やるって言ったの?」


「ああ」


「どうして……?」


「どうしてって……今の話に感動したからだよ。誰かの——川越の世界をそこまで大きく変えた作品が、報われないままだなんて、ありえない」


「…………はあ?」


 川越は、マラソン大会で突然後ろからごぼう抜きされたみたいな素っ頓狂な顔をしている。


 俺はといえば、鼓動が高鳴るのを止められなかった。


「俺も、川越が世界を変えるのを見たい。その手伝いをさせてくれ」


「…………え、あなた、そういうキャラなの……!?」

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