8
「空白にはね、時間が流れているんだよ」
微睡む意識の中に割り込むように、大星先輩の声が聞こえてくる。
「例えばね・・・適当な紙がほしいな、1枚」
チェックインを締め切った後の暇になる時間帯は、大星教授もどきの講義が実施されていた。それは大晦日の夜でも同じだった。客はもう受け入れないにも関わらず、先輩は律儀に受付カウンターのスツールの上に座り、いつも本を読んでは時折、外の様子を眺めていた。そしていつも変な話を振って来ていた。ただ黙って朝を待つよりは退屈しないから、いつも仕方なく付き合っていた感じだ。
「瞬さんはこの1枚の中に、どれだけの時間が流れていると思う?」
「意味が分からないです。」
私が素の反応をしてしまうと、持ち上がった話題はすぐ捨て落とされてしまう。そんなことはしょっちゅうだ。その度に大星先輩は笑って別の方法を探した。
「例えばこのメモ用紙に、 [1ヶ月] と書いたらどう?」
先輩は紙にシャーペンで1ヶ月と書き記し、それを私に掲げて見せてきた。
「1ヶ月の時間が、メモ用紙の中に流れてる・・・ってことですか?」
「そうそう、そうそうそうそう!」
嬉しそうにメモ用紙を私の視界から取り上げて、消しゴムで文字を消して、また私に見せてきた。今度はそこには何も書かれていなかった。
「じゃあ今は、どれだけ時間が流れてる?」
「・・・1ケ月くらいですよね」
「1日だけかもしれないし、1秒だけかもしれない」
「そんなの、後からどうとでも言えるじゃないですか。」
私は半分くらい不機嫌になって返事をした。しかし先輩は目を光らせて私の言葉に頷いた。
「どうとでも言えるってことは、なんでも正解ってことだよね」
「なんですかそれ、ずるいですよ。」
「それで本題はここからなんだけど、」
先輩はまた紙をデスクに置いて、何やら書いた。
[しばらくの間、目を閉じて脳を休める。]
「この文章の、 [しばらく] ってどのくらいかな」
「そりゃあ [しばらく] は・・・、しばらくですよ。」
「具体的には何時間くらい?」
しばらくって数時間単位なのだろうか。いや、先輩の趣味悪いニヤけ顔からすると、多分これも [なんでも正解] 系の言葉なのだろう。時間でも、分でも、数秒でも。解釈次第だ。そう答えると、先輩は頷いてまた訊いてきた。
「このテキストを実際に読み切るまでには何秒かかる?」
「3秒もかからないな。」
「じゃあ [しばらく] って3秒かなぁ?」
そんな頓珍漢なことを言われて、私は困って、メモに書かれた文言を眺めた。これを読むには3秒でも少し長いくらいだ。でも、
「 [しばらく] って言葉が表わすのが3秒だとしたら、流石に短すぎますよね。」
「そうだよね、[しばらく] はもっと長い時間を表わす言葉じゃないといけない そうだとしてじゃあその根拠はどこにあると言えるかな?」
「え、根拠っていうのは・・・?」
「試験問題を解くときの、回答根拠と同じです テキストの中の情報を基に、考えること」
テキストの中の情報と言ったって、[しばらく] 以外には何も書かれていなかった。1秒で読み終わる文章に、1分でも1時間でも、現実の時間より長い時間の経過を読み取れる。その根拠はどこにある。と聞かれて困ってしまった。困って先輩の方を見た。先輩は笑って言う。
「空白にはね、時間が流れているんだよ」
そう言われて、私は改めてメモ用紙を見た。先輩の人差し指が紙の余白をドラッグして指し示している。確かにそうだ。書かれた文章は [しばらく] だけだが、このメモには空白があふれかえっていた。
「空白が、時間の経過を読み取る根拠・・・ってことですか?」
「よく行間を読むって言うでしょ どこまで空白を読むかが、問題なんだよ」
いつのまにか先輩は読書に戻っていた。
「うーん、前の方が上手かったなぁ・・・」
そして時折、首を傾げながらそんな感想を呟くのだった。
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