第7話 エンカウント

 今日は何事もない普通の日常だった。


 それで良い。


 やっと気兼ねなくモラトリアムを享受できるようになった。


 日常を苦痛と思わなくなった。それだけで十分な対価だ。


 だが、それ以上を俺は求める。


 モラトリアムをただ享受できるようになっただけで、満足はしない。


 寧ろ、やっと今スタート地点に立てた。


 しかし、今日くらいは手放しに受け入れても良いだろう。


「すみませ〜ん。ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですかぁ」


 早々に学校を去ろうと下段の靴箱からローファーを取り出す途中で声が掛けられた。


 聞いたことのない女子の声だ。自身の動揺を隠しつつ、何事もないかのように取り出したローファーを地面に置き、立ち上がる。


「どうかしました?」


 リボンと上履きのラインが緑色であることから、新入生であることが分かる。ちなみに俺の代は赤、上の代は青色だ。留年していたら話しは別だが。してないよな……。


「えっとぉ、教務室に用があるんですけど、どこらへんにありますかぁ?」


「教務室……か。多分職員室のことだね。それなら、ここと真反対。そこに学内地図があるから見ていくといいよ」


「いや、でも教務室に行けって言われたんですけど……。」


「多分、それ、土方先生が言ったんじゃない?」


 土方先生が「教務室って俺の地方の方言みたいなものだから、頭の中で職員室って変換してくれ」とか何とか言っていた事がある。

 ちなみに土方先生は現代文の男教師で現在は1年5組の担任である。


「……………違いますけどぉ」


「あっ、違うんだ?」


「………はい……」


「なるほど……。わかった、じゃあ、新任の先生に言われたとか」


「違いますね」


「う~ん、分からん。じゃあ、誰に頼まれたんだ」


「土方先生です」


「……ん?」


「土方先生です」


「ひ、土方先生?」


「はい」


 おちょくっているのか?

 久しぶりに純粋な苛つきを感じる。


「なんかぁ、急にクイズみたいのが始まっちゃってキモかったんでぇ、少し嘘ついちゃいましたぁ」


 物凄い鋭い言葉の刃が心臓に突き刺さる。しかし、残念ながら、杭じゃないので心臓を貫かれても何とか耐えられる。


「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」


「あっ、そういうのもぉキモいんでぇやめたほうが良いですよぉ」


 鳩尾を思いっきり殴られたような気分だ。

 だが、俺はただでは殴られない人間だ。男女平等パンチを喰らえ!


「俺も言いたいことがあるんだけどぉ、語尾とかを伸ばすのやめたほうが良いですよぉ。なんかぶりっ子っぽいのでぇ。それ、自分可愛いですアピールですかぁ?全然可愛くないのでやめたほうが良いですよぉ」


 振る舞いの可愛さは見た目とは別の話だ。


「はぁ’’ぁ!!」


 貶していいのは貶される覚悟のある奴だけだ。

 ただ、もう少し冷静になったほうが良かったのかもしれない。

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