僕の処女が勃起したら御嬢様が死ぬ

 下冷泉霧香が隠し通していた秘密を知ってしまった僕は行く手筈になっていた病院に行くのもサボって自室のベッドに寝転がっていた。


 ……いや、サボっていたのは病院に行くことだけではなく、常日頃の日課である夕食作りもか。


 和奏姉さんと茉奈に物凄く心配を掛けてしまったが、僕は体調不良だから夕食は各々で何とかしてと言い伝えている。


 だから、きっと彼女たちの食事はきっと何とかなるとは思う。


 いつもの僕であれば絶対に起こり得ないような事だけれども、ベッドの上で横たわる自分の身体が鉛のように重くて、動かし様が無かった。


 動きたいのに動けない。

 何かをしないといけないのに、動きたくない。


 頭の中に入ってきた情報が余りにも膨大過ぎて、身体の処理が間に合っていないようなそんな感覚。


 心の中はどこか暖かいのに、その暖かさを根こそぎ奪っていくかのようなこの罪悪感は生まれて初めて味わう類のモノであった。


「……」


 あぁ、本当にどうしようもないな、僕は。

 どうして僕はこんなにも恵まれているのだろう。

 恵まれた環境にいた癖に、どうしてそれに気づけなかったのか。


 一体全体、僕はどうすればいいのだろう。


 下冷泉霧香に真実を聞くべきか、それともこのまま何も無かったと言わんばかりにのほほんと平穏な日常を維持するべきなのか。


 きっと、彼女が心の底から望んでいるのは後者なのだろう。

 だけど、僕は前者を選びたい。


 全てを知ってしまった以上、僕は今まで通りに彼女と接する事がきっと出来ない。

 今までのように彼女を罵倒するような発言を、彼女を傷つけるような発言を発する事がもう出来ない。


 これ以上、僕は心優しい彼女を傷つけたくない。


「……でも、それも僕の都合か……」


 僕は自分自身の都合で彼女を振り回している。

 そもそもの話、彼女がこんな酷い役回りを演じているのは僕が女装をしてこの女学園に潜入しているからであって、彼女は何も悪くない。


 だというのに、自分の事だけしか考えていなかった僕は彼女の都合を考える事なんてせずに、彼女を僕から遠ざける事だけを考えていた。


 あんなにも彼女は僕の事だけを考え続けていたっていうのに。


 ……酷い話だ。

 酷すぎる話だ。


 あの日記帳に書かれていた事が真実であるのであれば、下冷泉霧香は僕と同じ孤児院にいて、僕に恋愛感情を抱いていたというのに、再会した肝心の相手はそんな事を忘れていて、暴言を繰り返し吐き出す。


 こんなの、あんまりだ。


 もしも自分が逆の立場だったのであれば、遠慮せずに僕はその対象から離れてはもう二度と協力しないだろう。


 想像する僕ですらそれだというのに、彼女はそれでも僕の事を見えない箇所からずっとずっと、陰から応援してくれていたのだ。


「……」


 そして、本当に今更ながら。

 僕は遠い昔に下冷泉霧香を、いや、霧香という少女がいたという記憶を朧気ながらに思い出していた。


 いた。そう、ずっとずっと、彼女はいた。

 両親が死んでしまって精神的な余裕が無かった僕の傍らに彼女はいた。


 頼れる肉親がいなくなった僕たちの傷を舐めあうように親しくなった女の子がいて、孤児院のキッチンを借りて、一緒にティラミスを作った女の子がいたという記憶を今更ながら思い出す。


 もっと早く、彼女と再会したその瞬間に思い出していれば、こんな目にはきっと遭っていなかっただろうか?


 ……いや、彼女の事だ。


 きっと、僕が覚えていれば、自分は覚えていない体を装って接近していただろう。


 あぁ、本当に。

 今まで白い霧に覆われていたようなミステリアスな彼女の行動原理が手を取るように分かってしまう。


 本当に、本当に、僕は何て酷い事をしてしまったのだろうか。


「…………」


 いっそこのまま、罪悪感に溺れながら孤独死したい……そんな事を思った矢先に自室のドアからこんこん、と軽快なノックの音が聞こえてくる。


「フ。身体は大丈夫? 大丈夫じゃない? それは大変。だけどもう大丈夫。何故なら最近の医療技術には目を瞠るモノがある。ご存知? 最近の医療技術では百合セックスはありとあらゆる難病を治すことが出来るかもしれないって! そういう訳でへや挿入いれさせなさい? というのもドロドッロの白濁色のお粥を用意してあげたのだから! 凄いわ! コレってまるで男性の精え――!」


 ――あぁ、彼女だ。


 彼女が、優しい嘘を吐きながら、優しい嘘で全身を包み隠しながら、僕の部屋に入っていいかどうかを尋ねてきた。


「……どうぞ」


「フ。……フ? え、本当に部屋に入っていいの? え? 本当に頭大丈夫? 無理してない? いいのよ無理しなくて。そうだ、部屋の外にお粥置いておくから、後でちゃんと食べなさいな?」


「大丈夫です。ですから、どうぞ入ってください」


「そ、それじゃ失礼するわね……? こ、ここが唯お姉様のお部屋……! 私、これからセックスされるんだわ! エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!」


 若干の動揺を隠し切れなかった彼女はすぐさま嘘をついては現れかけていた本当の自分を隠しては偽の自分で覆い隠す。


 これをすぐに出来る彼女相手に、僕は今まで騙し通せていたと思っていただなんてまさにお笑い草。


「……」


「フ。あらやだ無反応? 前々から言っていたと思うけれど、私、放置プレイは大好きなのよね。とはいえ、今日の唯お姉様は本当に体調が悪そうだから私はこれで失礼する」


 僕の机の上にトレイに乗せたお粥が入っているらしいお皿を置いて、彼女はそそくさと逃げるように、自分という危険から僕を遠ざけるように、彼女は退室しようとする。


「待って、ください」


「フ。まさか唯お姉様から懇願される日が来るだなんて夢にも思わなかった。とはいえ身内でもない私がいても気が休まらないでしょう? 待ってなさい、身内のわか姉か茉奈さんを呼んでくる」


「お願いですから、待ってください」


 語気を強めて、嘘を更に嘘で覆い隠そうとする彼女の行動に待ったをかける。


 だけど、僕以上の嘘つきである彼女は僕の都合なんかよりも僕の安全の事が大事であるらしく、聞こえているだろうに僕の声を聞かない振りをする。


「……ごめんなさい!」


 だから、僕は今までに溜め込んでいた感情を爆発させるしか無かった。


 その爆発を以て、霧のような彼女の全貌を晴らそうとした。


「フ。いきなりどうしたの唯お姉様? 別に体調を崩すことは悪じゃない。確かに私は大学受験生ではあるけれどもそこまで気にする必要はない。寧ろ、唯お姉様にインフルエンザを移されて体内を犯されると考えただけでも興奮してしま――」


「――私は! いえ、僕は! 貴女に、下冷泉先輩に、ずっと、ずっとずっと嘘を吐いていました……!」


「フ? あらやだ僕っ娘? 唯お姉様の素は僕っ娘だったのね!」


!」


「え、頭大丈夫? これって頭の病院に連れていった方がいい案件だったりする?」


 だけど、それでも、彼女の嘘はそんなもので消えてくれやしない。


 僕の発言程度じゃ、彼女の嘘は簡単に折れてくれやしない。

 

 嘘を嘘だと認めない。


 そんな最強染みた対処法で彼女は僕の発言を煙に巻こうとしているのだ。


 そもそもの話、彼女は生半可な覚悟で嘘を吐かない。


 それは本当に分かる。手に取るように分かってしまう。


 だって、僕もまた本気で周囲に嘘を吐こうとしたから。


 今の今まで、社会全体に嘘を吐いて生きてきた僕だからこそ、彼女の覚悟という覚悟が、痛いほどに分かってしまうのだ。


 それでも、それでも、それでも!


「貴女の、下冷泉先輩の、日記を見ました」


「――――――」


 沈黙が僕の部屋に満ちる。

 まるでこの部屋に毒ガスが充満しているかのように、僕と彼女は呼吸をしない。


「…………そう」


 1分ほど黙りこくった彼女が静かに告げたの同時にこの部屋全体から、先ほどまであったはずの緩い空気が消失していく。


 もう取り返しが付かない事を、僕と、彼女は、理解していた。


「……フ。実はアレ、小説。唯お姉様が男性だったらという妄想で書き綴った――」


「嘘を、言わないでください。お願いですから、もう嘘なんかつかないでください」


「……フ。なら、そうする」


「今日、先輩に渡したレシピ帳の中に僕は個人情報が入っていました。紛失に気づいてしまった僕は寮監という立ち位置を利用して先輩の部屋に無断侵入しました」


「フ。それで日記の中身を見てしまった、と」


「はい。浅ましい僕は貴女の本当の姿を見てしまいました。先輩は4月に寮の前で出会った時から……いえ、祖父が死んで1ヶ月が経ったあの日に、僕が男であると見抜いていたんですね」


「……フ。本当に見たのね。嘘だったらどれほど良かった事か。全く、貴方は……」


「本当に申し訳ありません。そして、本当に今まで黙ってくれてありがとうございます」


 深々と僕は頭を下げる。下げる事しか頭の中に無かった。

 

 そんな僕に対して、下冷泉霧香は黙っていたまま。


 きっと、彼女は僕の言葉を待っている。

 これから先どうするのだ、と沈黙を以て訊ねている。


 であるのであれば――。


「それでも僕は、この女学園での生活を――」









「あーあ。バレてもうた。僕、ゆーくんにバレてな思たのになぁ。もー、困るわぁ。勝手に部屋の中に入らんといてや? そんなん流石の僕でも恥ずかしいわ、ゆーくんのえっち」











「――え?」


「んー? どないしたん、ゆーくん? そないなびっくりした顔して」


 誰だ。この人。

 ゆーくんって誰だ……僕の呼称なのか?


 まるで目の前の人が下冷泉霧香では無くなったような変わりように対して、僕の頭の中は大混乱に陥っていた。


「日記さえ見な嘘つき続ける思たのに。酷いわぁこの噓つき。ふふっ、だーいすき」

 

「こ、言葉遣いが……? え? もしかして、それが素……?」


「そやねんそやねん。僕、素は京都弁なんやわぁ。好きやろ? 京都弁女子」


「ぼ、ぼ、ぼ、僕……?」


「ん? あー、僕。僕な僕っ娘なんよ? 京都弁僕っ娘とかあざとさの塊やろ? いいでー? 好きになっても」


「え、え、え……えぇ……⁉」


「という訳で、下冷泉霧香でーす。気軽に霧香ちゃん言うてな? って、あはは……これ僕のキャラやないな? ま、慣れて慣れて? 僕だって女装したゆーくんに慣れたしな」


「えっ? あっ……ど、どうも? 百合園唯です」


「ふふっ。やっと会えたね、ゆーくん」


「……誰?」


「もー。本当に酷ない? 僕よ僕。霧香ちゃんやで? うわっ、マジで忘れてるん? もっとこう、感動的な再開で忘れられし記憶がー! とかそない展開はマジでない感じ? うっわ、ひっど。でも困ったなぁ、それでも僕、ゆーくんのことが嫌いになれへん」  


「……本当に下冷泉先輩……?」


「霧香ちゃん言うたやろー? 今度霧香ちゃん言わんかったら無視すんで?」


「……霧香、ちゃん……?」


「ん。よく出来ました」


 頭の中が何度も殴られたかのようにグチャグチャだ。

 本当の本当に意味が分からない。

 というか、頭の中が目の前に現れた下冷泉霧香のもう1つの人格みたいな存在を前に思考を停止している。


 いや、本当に、キャラが変わり過ぎでは……?


「あの、その……下ネタは……? いつものセクハラはどうしたんですか……?」


「キャラよ、アレ。流石に素の状態で出したらそれこそ頭おかしいって」 


「いや本当にキャラが変わり過ぎでは⁉ え⁉ 本当に貴女、下冷泉先輩なんですか⁉」」


「…………」


「え? あ、あの……なんでいきなり黙って……?」


「……………………ぷいっ」


「……霧香ちゃん?」


「ん。貴方の霧香ちゃんやでー?」


 自分の頭がどうかしてしまったのではないかと思わず疑ってしまうほどの彼女の変わり様を前にした僕は現状が上手く理解できなかった。


 まさか、今の今まで僕に接してきた下冷泉霧香というキャラクター自体が嘘だっただなんて夢にも思わなかったのだ。


 とはいえ、僕が女子生徒としての演技をしていた以上、彼女にも出来ても何らおかしくはない。


 頭では理解できるが……それでも理解が追いつかないというのが現状だった。


「なんで……あんな変なキャラで、僕に近づいて……?」


「日記帳見たんやろ? なら分かるやん? あんな頭イカれてる女に近づきたくないやろ、普通」


「で、でも! だからと言ってあんな嫌われるような言動を繰り返すのは……!」


「ふふっ。ゆーくんは優しいなぁ? でも、えぇのえぇの。僕が好きでやった事やさかい。というのも、僕には好きな人……ゆーくんがいたしな? 僕、それ以外の男性とは付き合いたくもないんよ。なのに下冷泉家ってばすぐに許嫁だとかそういうのが生えてきてなぁ? 面倒やん? やから、変態の言動を繰り返したんよ。そしたら、ほら、そういう女って気持ち悪いやん? やから見た目だけしか見ない男性はすぐに逃げたんよ。おかげ様で僕は処女なんよ処女」


 そう彼女が口にすると、下冷泉霧香は今までに見せたことがない眩しい笑顔を浮かべてみせる。

 

 実際問題、彼女が口にした内容は事実なのだろう。


 僕としてもあんな性的冗談を繰り返す人とは、どんなに美少女であろうがこちらから近づくのは願い下げだったのだから……彼女の言う自衛行為は実に効果抜群なのであった。


「うん。もっと分かりやすく言おか? 演技してた僕風に言うんなら、僕の処女が勃起したら御嬢様あなたが死ぬ」


 その一言で、僕はあの下冷泉先輩と、この下冷泉先輩は同一人物なのだと判断できた。


「そんなん僕は嫌。やから、隠そう思うたんよ、僕の恋心。だって、僕の恋愛事情を優先させたらゆーくん困るんやったら本末転倒やさかい。やから、隠して墓まで持っていくつもりやったの、もちろん死ぬ気で」


「……でも、そんなの……!」


「僕は何回死んでもいいんよ。1回でも10回でも何百回でも死んでもいい。その代わりと言っちゃアレやけど、ゆーくんが社会に殺されるのだけは1回でもさせないつもりやった。僕、ゆーくんの為なら何度でも死ねれるんよ? そんぐらい、僕はゆーくんのことが大好きやもん」


「……貴女という人は、本当に……」


「でもバレたんやったらしゃあない。それにゆーくんってば恋する乙女の部屋に入った挙句乙女の秘密を覗き見したしなぁ? 責任取ってもらおか責任。今すぐじゃなくてもえぇから付き合って? 恋人なろ恋人。なってくれへんかったら思いきり拗ねる」


 にへら、と彼女は霧が晴れたような満面の笑みを浮かべていた。


「ゆーくん、僕ね? ゆーくんの事が好き。うん、好き。やっぱり、好き……大好き。この世界で1番大好き。やっと、言えれた。嘘じゃない、本当の気持ち。ようやく貴方に伝えられた。……やっと、やっと……! 1番に伝えたい相手に、1番に伝えたい言葉で言えれた……!」

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