ep.26管理者

「あなた、さてはマルルを殺しましたね?」



フォクスの狐面の奥から一ノ瀬はこれまでに感じたことのない圧を感じた。


殺意でも敵意でもない、純粋に格の違いからくる怖れに近い圧を。


シノブレド・フォクスの話から薄々察してはいたが……どうやら一ノ瀬が妖怪屋敷で倒した狐型モンスターとマルルは同一の個体らしい。


ただ、勿論それを認めてしまうわけにはいかない。


問答無用で一ノ瀬を縛り上げたこの男の前で馬鹿正直に「あなたのペットを殺したのは自分です」などと言えるわけがない。


一ノ瀬は精一杯に虚勢をはる。



「知らないですよ。それよりこの拘束を解いてくれませんか。」



少し不機嫌そうに、まるで無関係なのに巻き込まれてイライラしてるんだ、と言わんばかりの態度で答えた。



「ふむ、あくまでしらを切りますか。」



フォクスは一ノ瀬の態度など気にも留めずに話し出す。



「まぁ想定内です。想定内ですとも。想定内ではありますが、簡単にバレる嘘は良くありませんね。」



フォクスは地面と垂直に腕を上げて、ぴんと張った人差し指でイシスを差す。



「私は幻影魔法の専門家ですからねぇ、一目見れば本物か幻影かの見分けくらいつきます。ええ、つきますとも。貴方が連れていらっしゃるそちらの彼女は幻影ですね?」



「わ、わたしは、げ、幻影なんかじゃないわよ!」



イシスのひどい大根役者ぶりに一ノ瀬は焦る。


誰が見ても嘘だとわかる返答だ。


イシスの純粋さが裏目に出た。



「二つ目の嘘……私がこれだけ平和的かつ友好的に対話を試みているというのに。全くこれだから異世界の住人は嫌いなのです。誠実さにかける。ええ、大幅にかけていますよ。まったく。」



フォクスは首を振りながら大げさな溜息をつく。



「幻影魔法の使えるマルルの気配が消えたタイミングで、同じく幻影魔法の使えるあなた方が現れた。これがただの偶然だとでも?魔法使いが最も苦手とする相手は格上の同系統魔法使い。この幻影の少女を見ても貴方が優れた魔法の使い手であることは一目瞭然です。技量、タイミング共にあなたは犯人としての条件を満たしている。ええ、十分すぎるほどにね。」



フォクスはいつの間にか取り出していたクナイを一ノ瀬の喉元に突きつける。



「さて、もう一度だけ尋ねます。慎重に、誠実に、端的に答えなさい。マルルを殺したのは貴方ですね?」



喉に伝わるひんやりとした金属の感触。


クナイ越しにフォクスの怒りが伝わってくる。


一ノ瀬は唾を飲み込むことすら慎重にならなければいけなかった。


ここで否定すれば間違いなくフォクスは一ノ瀬の喉を切り裂く。


相手がモンスターなら喉を切られたところで大した問題にはならない。


不老不死の力ですぐに傷は治る。


ただ今回の相手はモンスターではない。


フォクスは自身のことをダンジョンの"管理者"と名乗った。


それが何か正確な情報はわからない、ただ"管理者"という言葉をそのまま受け取るのならばそれはダンジョンを管理する者ということになる。


それはつまり、フォクスは無限の魔力を得るためにイヴに呪いをかけ地下に閉じ込めた犯人かもしれないというだ。


もし一ノ瀬の不老不死の力がばれてしまったらイヴと同様に、呪いをかけられ地下に閉じ込められる可能性がある。


それだけは絶対に避けなければならない。


かと言ってフォクスの質問に嘘をついて誤魔化すこともできない。


フォクスはマルルを殺したのは一ノ瀬だ、と信じている以上下手に嘘をついて刺激したくない。


そしてもちろん殺したと認めるわけにもいかない。


事実として一ノ瀬はマルルこと狐型モンスターを倒した。


それは探索者対モンスターという構図から見ても、襲った襲われたの関係からも罪悪感を感じなければいけないような行為では全くない。


ただ、その言い訳を聞いて納得してくれる保証はない。


否定も肯定も出来ない。


それならばやはり勝負に出るしかない。



「だから俺じゃな……なぁ、あそこにいるのがあんたが探していたマルルってやつじゃないのか?」



一ノ瀬は視線をフォクスの後ろの草むらに向ける。


予想外の答え、視線につられてフォクスも後ろを向いた。


草むらがざざと揺れ、その隙間からマルルがひょっこりと顔を出す。



「いまだイシス!」



「マルル!? いや、違う……貴様!」



一ノ瀬の合図に合わせてイシスは肉体強化魔法を発動させる。


イシスの体を作っていた幻影魔法も解除した最大出力、一ノ瀬の体に力が漲る。



「だああああ!」



一ノ瀬は体を縛り付ける蔦に思い切り力をこめ、容易くとまではいかないが蔦を引きちぎる。


ビクともしなかった先程までと比べると明らかに力が強くなっているのを実感できた。


一ノ瀬は勢いそのままに刀を鞘から引き抜く。



「貴様!私を騙したな!」



フォクスは即座に、草むらから出てきたマルルがイシスが気を引くために作り出した幻影だと見抜いた。


それでも、一瞬の隙はできた。


一ノ瀬は地面を強く蹴ってフォクスに斬りかかった……が刀はフォクスを捉えることなく空を切る。


この感覚には覚えがある。



「くそ!幻影か!」



屋敷での経験から一ノ瀬はすぐに本体は別のところにいると察する。


いつの間に幻影と入れ替わったのかはわからないが本体の居場所を特定している時間はない。


一ノ瀬はすぐにこの場から離脱すべく走り出す。


元よりここでフォクスを倒すことにこだわるつもりはなかった。


一ノ瀬の勝利条件は不老不死の力を隠し通すことだ。


限界を超えて強化された肉体で可能な限り離れた場所へ行く。


限界がきて走れなくなったら魔力感知阻害で身を隠しながらイシスに体を治してもらう。


体が治った後は通常の肉体強化魔法でさらに遠くに逃げる。


最初の一撃でフォクスに勝負を決するような、致命的なダメージを与えられなかったときはこのプランに沿って動こうと事前に決めていた。


その為、一ノ瀬は極めてスムーズに逃げ始めることができたのだが……



「逃がすわけがないでしょう??」



どこからかフォクスの声がした、と思った刹那、足に蔦が絡みつく。


咄嗟の出来事ではあったが予想外とまではいかない。


逃げる時に相手が足止めをしてくる、そんな当然のことを想定していないわけがなかった。


一ノ瀬は冷静に足に絡まった蔦を切る。


しかし……



「くっ、多すぎる……!」



蔦を一本斬る間に別の蔦が二本絡まる。


その二本斬る間にさらに別の蔦が四本絡まる。


無数に生えてくる蔦は一ノ瀬を全体的に縛り付け、そのまま一ノ瀬を地面に転がした。


一ノ瀬の健闘虚しくあっという間に状況は振り出しに戻ってしまった。



「虚言、騙し討ち、挙句の果てに敵前逃亡。貴方がここまで卑怯な方だとは想像出来ませんでした。ええ、想像出来ませんでしたよ、まったく。」



やれやれと首を左右に振りながらフォクスが現れる。


怒っているというよりは呆れているようだ。


フォクスは両手の人差し指と中指をぴんと伸ばす、そしてまるでオーケストラの指揮者が指揮棒を振る時の様な動作で蔦を操り地面に倒れている一ノ瀬を蔦で縛ったまま立たせた。



「わたしはどんな相手にも敬意を持っています。そう、どんな相手にもね。」



フォクスが話し出す。


ゆっくりと、諭すように。



「やろうと思えば何時でも貴方を殺せた、それでも直接的な暴力はなるべく避け対話を試みた。それは貴方にも敬意を払っていたからです。マルルを殺したのは自分だと、そう正直に言えば苦しませないように一瞬で殺してあげる準備もできていました。しかし貴方はそれを踏みにじった。もう慈悲はありません。」



そう言うとフォクスは蔦を操り……



「ぐぃあああぁ!」



一ノ瀬の腕、足、胴体に蔦を突き刺した。


鋭い痛みが体中を駆け巡る。


そしてそれと同時に、骨と神経が軋むような感覚を感じた。


これは蔦に貫かれたことによる痛みではない。


限界を超えた肉体強化魔法に耐えられなくなった一ノ瀬の体が、ついに悲鳴を上げ始めたのだ。


二種類の痛みは一ノ瀬を容赦なく痛めつける。



『イチノセ、直ぐに治すから頑張っ……』



『駄目……だ!絶対に治すな!』



脳内でイシスに向かって叫ぶ。


何があろうと不老不死の力を見せるわけにはいかない。


幸いなことにフォクスはもう一ノ瀬のことを警戒していない。


フォクスがここから立ち去るまで耐えれば、不老不死とばれずにこの場をやり過ごせる可能性はある。



「すぐには殺しません。嵐のような苦痛と絶望の中で、反省と後悔に塗れてゆっくりと死になさい。」



そう言い残すとフォクスは一ノ瀬に背を向けて歩き出した。


このままフォクスがいなくなるまで……いなくなるま……なくな……。


激しい痛みに耐えられず、一ノ瀬は意識を失った。

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