ep.5命懸けのかくれんぼ

一ノ瀬は印を探す。


複雑に分岐しているこの洞窟を記憶だけを頼りに帰ろうとするのは余りにも危険だ。


しかしどれだけ探しても壁に付けておいたはずの印は見当たらない。


もしかするとどこかで印を見逃してしまい間違ったルートに迷い込んでしまったのだろうか、と一ノ瀬は考えた。


そこで一ノ瀬は百メートルほど後方にある印まで一度戻ることにした。


どこかで道を間違えていたとしても一つ前の印まで戻ればそこから正しい道に復帰できるはずだ。


懸念と言えば一度やり過ごしたモンスターが歩いて行った方向に進むことになるのだが、


このまま間違った道を進み続けるわけにもいかない。


一ノ瀬は一つ前の印が書いてある分岐点まで戻った。


しかし先程まで確かにあったはずの印はどこにもなかった。



「もしかして……印が消されている?」



一ノ瀬は最悪の可能性が頭に浮かんだ。


印は見失ったのではなく何者かによって意図的に消されたという可能性だ。


もし印が意図的に消されたとしたら思い当たる犯人は一人、というか一匹しかいない。


あの半人半蟲のモンスターだ。


一ノ瀬があのモンスターとすれ違ったのは消えた二つの印がある地点の丁度真ん中あたりだ。


もしあのモンスターが印を消して回っていると仮定した場合、急に印を見失ったこと、すれ違う前まで確かにあったはずの印が消えていたことにも説明がつく。


そしてそこから考えられる、最悪の想定としてモンスターの標的が一ノ瀬であるというものがある。


あのモンスターは印を消しながら、つまりは印を頼りに洞窟を進んでいる。


なぜそんなことをするのか、考えられる可能性はいくつかあるが最もあり得るパターン、それは自分の縄張りに入った侵入者の排除だ。


その結論に達した瞬間、一ノ瀬は何としてでも出口へ向かうことを決めた。


道を間違える可能性はもちろんあるが躊躇している暇はない。


あのモンスターが印を頼りに一ノ瀬を探しているなら印が途切れたタイミングで一ノ瀬と何処かですれ違ったことに気付くはずだ。そうなればモンスターは一ノ瀬を探すために道を引き返すだろう。


一ノ瀬は勘と記憶だけを頼りに走る。いくつかの分岐路を超え決して平坦とは言えないでこぼこした岩肌を駆け抜ける。間違った道をはしいているのではないか、実は既にあのモンスターに見つかっているんじゃないかという不安を振り払うように走る。そして……



「あった!」



しばらく走った所で一ノ瀬はついに出口への手がかかりを見つけた。


再び壁に印を発見したのだ。


あのモンスターが消し損ねた印、それはこれまでの道とこの先の道道が正しいという何よりの証明だ。


一ノ瀬は少しだけ安堵し印が付いていた方の分岐路に進む。


もう出口もそう遠くないはずだ。


しかし、いくら走っても出口は見つけられなかった。


そして……



カツッ、カツッ、カツッ



再びあの足音が聞こえた。


硬く鋭い足が岩を蹴る音だ。


足音の間隔は先程すれ違った時よりも短い、間違いなく半人半蟲のモンスターはこちらに向かって走って来ている。



「最後の最後で道を間違えた?いや、有り得ない!」



一ノ瀬は焦りながら考える。


道に迷うなど有り得ないのだ。最後の印からここまで一度も分岐路はなかったのだから。


実は気づけなかった分岐路があったのか?どこに?と必死に考えるがそんなことをしている余裕もすぐになくなった。


足音から察するにすぐ後方まであのモンスターが迫っている。


ここは洞窟の中でも比較的開けていて隠れられそうな場所はどこにもない。


一か八か戦うなんて選択肢はない、あのモンスター相手に勝ち目があるとは思えない。


じゃあどうするか、無理を承知で逃げるしかない。


一ノ瀬は足音から遠ざかる為になるべく音を殺し、その状態で出せる最高速を維持して洞窟の奥へと進もうとする、しかし……


カツッ、カツッ、カツッ


前方からまたモンスターの足音がする。



「回り込まれたのか? いや違う、まだ後方からも微かに足音が聞こえる。ということは……モンスターは二匹いる?」



絶体絶命だ。


前後に迫るモンスター相手に勝算はない、かと言ってこのあたりの窪みや岩陰は小さいものばかりで全身を完全に隠せそうな場所もない。



「いや、まだだ。絶対に諦めるな!」



一ノ瀬は自分を鼓舞し奮い立たせた。


鞄の中身をひっくり返し何か生き残るために使えそうなものがないかと知恵を絞る。


サバイバルナイフ、懐中電灯、ダンジョン内のモンスターや植物、鉱物について記載されたポケット図鑑、ロープ、タブレット、財布、いくつかの大きめのタオルと万が一に備えて持ってきた着替えの服。


散乱した荷物の山を見て、一ノ瀬は一つの策を思いついた。


それから数分後、二匹のモンスターは一ノ瀬がちょうど鞄をひっくり返した場所で合流した。


何やら特殊な鳴き声、どちらかと言うと言語に近いかもしれない声でコミュニケーションをとっている。


会話の内容はわからないがとにかく早くここから立ち去ってくれ、と思いながら一ノ瀬は息を殺して隠れていた。


だがモンスター特有の野生の勘でも働いたのだろうか、近くの陰になっている窪みや岩陰を一つ一つ丁寧に確認していく。


二匹のモンスターは一ノ瀬が隠れ場所として選んだところのすぐ近く、鞄とその中に入っていた荷物が散乱している場所に近づいて来た。


どうやらモンスターは鞄とその近くに荷物が散乱している様子を不信に思ったようだ。


一ノ瀬の心臓の鼓動が速くなる。


二匹のモンスターは鞄の近くで止まり、大きな声で笑った。


一ノ瀬の鞄は中身が散乱しているのにもかかわらず何故か不自然に膨らんでいた。


そして……


ザシュ!


モンスターは脚先の鋭い爪で鞄を貫いた。


一ノ瀬は一瞬、心臓が止まったような気がした。


結果としてモンスターの脚は一ノ瀬を捉えることはなかった。


モンスターは困惑した顔で再度鞄を突き刺す。しかし鞄の中に一ノ瀬の姿を見つけることは出来なかった。


二匹のモンスターは余程腹が立ったのか一ノ瀬の鞄を八つ裂きにしてそのまま洞窟の奥に消えていった。


それから更に一ノ瀬は隠れ続けた。


再びあのモンスターが戻ってくる可能性が十分にあるからだ。


モンスターが去ってから二十分程して一ノ瀬はようやく隠れることをやめ、鞄のすぐ横に散乱していた荷物の山から顔を出した。


「ふうううぅ、生きた心地がしなかったぁ。」


一ノ瀬が隠れ場所として選んだのは身体を丸めて寝そべれば何とか身を隠せる程度の小さな窪みだ。


体を隠せるとはいってもあくまで発見しにくいという程度で、近づかれてしまえば直ぐに見つかってしまう。


そこで一ノ瀬は窪みに隠れた後、自分の姿を完全に隠すためにタオルや服などの荷物を上からかぶせて完全に姿が見えないように細工した。


散乱した荷物の山は高さがたったの五センチ強しかなく、その下に窪みがあると知らなければとても誰かが隠れているようには見えない。


さらに一ノ瀬は保険として鞄にも細工をしていた。


水中に潜る際に濡らしたくないものを詰めていたビニールに空気を吹き込みそれを鞄の中に入れる。


まるで風船が入ったような状態になった鞄は、誰かが入っていると思わせるのに充分なふくらみを持つ。


これを荷物の山の横に置けばモンスターは鞄の中から荷物を出してそこに隠れたに違いない、と勘違いし一ノ瀬の隠れている荷物の山への警戒度が薄まると考えたのだ。


結果、策は見事に成功し、一ノ瀬は九死に一生を得ることができた。



「今思えばあの印はモンスターが書き換えた可能性もあるな、鳴き声でコミュニケーションをとっていたし想像以上に知能があるみたいだ。」



一ノ瀬はボロボロになった鞄を見ながら見つからなくて良かった、と心の底から思った。


鞄の中に入れたままにしていたタブレットや財布は粉々になっていた。


もうタブレットは使い物にならない、せっかく苦労してマッピングしたというのに台無しにされてしまった。



「初日は大赤字だな……それでも命があっただけましか、はぁ。」



一ノ瀬はため息をついてその場を後にした。


鞄が使い物にならなくなったことに加え、一刻も早く洞窟から脱出する必要もあるので荷物はすべて放置したままだ。


一ノ瀬は印があった分岐路まで戻って印をよく観察してみる。


すると僅かに、だが確実に一ノ瀬が書いてきた印より線が太い。


線の太さは近くにあった石をどれだけ強い力で押し付けたかで決まることからも、この印はあのモンスターによって偽装されたものと考えて良さそうだ。



「流石は超危険ルート、まだ第1層だっていうのに殺意がすごいな。」



とこぼしながら一ノ瀬は間違った印とは逆の方向に進む。


まだ完全に逃げ切ったわけではない、極力音を鳴らさないように神経をすり減らしながら歩く。


もう肉体も精神もくたくただ。


しばらく進むと今度は間違いなく自分が書いたであろう印を見つけた。


洞窟の入口付近で付けた印だ。最初の方では、一ノ瀬は簡単な記号だけではなく自分のイニシャルまで書いていたから間違いない。


何度も印を書いているうちに面倒くさくなって印を簡略化していたがこれからはしっかり偽装しにくい印を考えようと一ノ瀬は誓った。


何はともあれイニシャル付きの印があるということはもう出口も近いということだ。



「やっと帰れる……。」



と一ノ瀬は言葉をこぼした。


生きて帰れると言う安堵感のせいか、意識せずとも自然に言葉が漏れていた。


しかし、出口までもう少しと思った矢先、一ノ瀬はダンジョンはそんなに甘くないと思い知らされた。



「なんだっ!?」



踏み出したはずの右足がいつまで経っても地面を捉えない。


一ノ瀬はまるで突然地面が消えたような感覚を覚える。


そして間髪入れずに体中を気持ちの悪い浮遊感が駆け巡る。


一ノ瀬はダンジョンに入る前に目を通した新人用マニュアルに書かれていた一文を思い出した。



"ダンジョン内では侵入時には存在しなかったトラップが帰り道に突然現れることがあります。家に帰るまでが探索、帰り道も油断しないように。ちなみに当ギルドでは帰り道用のトラップチェッカーを販売しております。お値段なんと……"



一ノ瀬 宗真は罠にハマった。


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