ショートショートの積み重ね

千賀まさきち

世界をかたち創るには

世界をかたち創るには 白

ミースは歩く。


闇の中を歩いて、歩いて、どこまでもどこまでも歩く。

先は見えないが「歩くこと」は、ミースの本能だ。


ミースの髪の毛は白くて細い。それでいて重力に逆らうかのように揺れ動くものだから、まるで闇の中を白い炎が歩いているようだった。


ミースは歩く。

一歩、一歩、闇に素足を踏みしめて歩く。


ミースの歩いた跡には大地ができる。

ミースの歩いた跡には水ができる。

ミースの歩いた跡には空ができる。


大地には草がはえ、樹木が茂り、花が咲き、実が落ちる。

水は河をつくり、湖に流れ、海を成す。

空には風が吹き、雲が湧いて、陽を降らす。



そうやって、ミースの歩いた跡には世界ができる。



※     ※     ※     ※     ※     ※     ※



ミースは本能で歩いているが、あてもなく歩き回ることもあれば目的をもって行き先を持つこともある。

すでに存在する大地を、再び訪ね歩くこともあった。


あるときミースは、遠くの闇に青い光がチカチカと瞬いているのを見つけた。


「あれはなんだろう?」


ミースは不思議に思い、その青いチカチカへと脚を向ける。


距離が縮まると、青い光が蒼い羽を持つ鳥だということが見てとれた。

その鳥はぐったりと衰弱しきった様子で、なんとか翼をはばたかせている。

今にも力尽きて落っこちてしまいそうだ。


「あなた、どうしたの?」


ミースが尋ねると、蒼い鳥は感極まった様子で安堵と期待の表情を浮かべた。


「ミース。やっと会えました。私はエルの大地のヤムヤムと申します。あなたにお願いがあって、はるばるここまで飛んできたのです」


ミースはヤムヤムを自らの腕に止まらせ、小首をかしげた。


「なあに?」


エルは12番目の大地だ。ここからだとけっこうな距離がある。海鳥とはいえ、ここまで飛んでくるのはさぞ困難だったろう。


「エルの大地に樹木を増やして欲しいのです」

「樹木を? なぜ?」


エルの大地にも樹木はあるはずだ。何かあって絶滅でもしてしまったのだろうか?


「はい。エルの大地はいくつもの島の集まりです。そのため私たちは島と島の間を飛んで行き来しなければなりません。しかし難所が多く、落ちて命を落とすものも少なくありません。」


ヤムヤムはしょぼんと嘴を落とした。


「なるほど……」

「島と島を結ぶ橋をかけたいのです。ですが材料となる樹木が足りません」

「わざわざ橋をかけるの? 大地を増やしてひとつにすることもできるのに」

「仲間の鳥たちと話し合った結果です。海には魚たちが暮らしています。入り組んだ島々の海峡は、彼らの恰好の隠れ家で住処です。島をつなげてしまうと、それを奪ってしまう」


ミースはふと、意地悪な問いを投げた。


「あなた達の食べ物が、減ってしまうものね?」

「それはそうです。魚たちが減ることは私たちが減るということです。私は魚を食べる鳥です。お腹が減れば、魚を食べたいと思う。そのために、彼らに居なくならないで欲しいというのは、やはり傲慢なのでしょうか?」


ヤムヤムは一瞬ひるんだが、それでもミースに意見を述べた。

ミースも応える。


「もちろん、それは善でも悪でもない。それに鳥を食べる魚だっているでしょう。鳥を食べる獣もいる。木の実を食べる鳥もいるし、鳥を食べる鳥だっている」

「弱いものが力尽きるのは仕方がない、そう言う仲間もおりました。私もそう思うことはあります。何より私も魚を食べるのですから。しかし海に落ちてしまうのは、木の実を求めて島々を渡る小さな鳥たちなのです。私はそのことが、どうしても哀れでしのびない」


そう言ってヤムヤムは、さらに嘴を落としたのだった。


それを聞いて、ミースはしばらく思案していたが、


「わかった。エルの大地に向かいましょう」


腕に青い鳥を止まらせたまま、エルの大地へ足を向けた。



ミースは歩いた。


疲れた青い鳥は、しばらくミースの腕で休んだが途中で案内役を買って出た。

はしる青い光を追ってエルの大地に着くと、ミースは島と島の間を歩きだした。

島と島を線で繋ぐように、島と島の間に広がる海を渡り歩いた。

いつもより、ちょっと大きな歩幅で。


「そんな! ミース。私たちは大地に樹木が欲しいのです。やはり海を埋めてしまうつもりですか?」


ヤムヤムが、悲愴な鳴き声をあげる。

ミースはくすりと笑って、ヤムヤムに言った。


「よく見て」


見ると、ミースが歩いた跡には大きな樹木が生えていた。

大地ではない。

島と島を繋ぐように点々と、海から直に樹木が生えている。


これなら木の実を求めて島を渡る鳥たちが、途中で休むことができるだろう。

海から伸びる樹木の根は海の中で森をつくり、魚たちの好い住処になるだろう。


ヤムヤムたちが樹木をたおし、わざわざ橋をかけるという苦労もない。


ミースは歩く。


歩いて、歩いて、


そのままどこかへ歩いていった。



※      ※      ※      ※      ※      ※



ミースは歩く。


あるときミースは、遠くの闇に赤い光がゆらゆら瞬いているのを見つけた。


「あれはなんだろう?」


ミースは不思議に思い、その赤いゆらゆらへと足を向ける。


距離が縮まると、赤い光は紅色の服を着た若い女だということが見てとれた。

その女は思いつめた様子で、しかし品よく座していた。

指先は真っ白で血の気がなく、かたかたと震えているようだ。


「あなた、どうしたの?」


ミースが尋ねると、女は畏れおののいた様子で覚悟と懇願の表情を浮かべた。


「ミース。やっと会えました。私はアルの大地のカンナと申します。あなたにお願いがあって、ずっとここで待っていたのです」


ミースはカンナを見つめると、小首をかしげた。


「なあに?」


アルは18番目の大地だ。ここからの距離は近いが険しい山ばかりがそびえたつ。この紅服の女が、独りぽっちで待ち続けるのはさぞ困難だったろう。


「アルの大地に、スルプ鹿を増やして欲しいのです」

「スルプ鹿を? なぜ?」


スルプ鹿は、アルの大地に暮らす獣だ。険しい山の斜面を駆けることができる強靭な脚力とバランス感覚を持っている。


「はい。このところ、悪い咳の病が流行っており難儀しています。罹った者ほぼ全てが死んでしまう恐ろしい病です。その病にスルプ鹿の骨が効くのです」


カンナは項垂れ、そのまま深く頭を下げた。


「なるほど」

「病に苦しむ人を助けたいのです。ですが薬が足りません」


ミースは、不思議に思って尋ねた。


「足りない? 鹿は、それほど少ないの?」


スルプ鹿は、それほど多くも少なくもないはず。生命力も強い獣だ。薬のために狩ったとしても、足りなくなるほど数が減るとは考えにくい。


「その病は、一昨年より流行りだしました。スルプ鹿の骨が効くとわかったはよいのですが、欲を出した商人が値を吊り上げ、鹿を狩りつくしてしまったのです。翌年、翌々年になっても、鹿は山に戻ってきませんでした」


ミースは、そっとため息をついた。


「それは、そうでしょうね」

「わかっています。私たちが悪いのです。ですがどうかお願いします。私の愛する小さな息子も、その病に苦しんでいるのです」

「あなたの息子?」

「はい。3才になったばかりのひとり息子です。夫と二人であれほど気をつけていたのに、息子は病を得てしまいました。私の、私たちのせいです」


カンナは額を地面に擦りつけ、震える声を張り上げた。


「病に罹るかどうかは、本人の体力しだいでしょう。子どものことだから、親が責を感じるのはわかるけれど」

「いいえ! 私たち夫婦の罪です。ですから私は、この役目を引き受けたのです」

「役目?」

「村の者たちと話しあった結果です。私は生贄となるため待っていました。どうかスルプ鹿を増やしてください。代わりに私の命を捧げます」


ミースは眉ひとつ動かさず、表情の見えない顔でカンナに告げた。


「残念だけど、生贄なんて無意味だよ」

「そんな……」

「ミースは人間を食べない。あなたが生贄として死んだところで、ミースにとって何にも意味がない。代わりにはならないわ」


カンナの表情が絶望に歪む。悲鳴のような声で叫んだ。


「では、では、どうすればいいのです! このまま息子に、死ねというのですか!」


ミースは、不思議そうに首をかしげる。


「誰もそんなことは言っていないわ? ミースに生贄は意味がない、と言っただけ」


しかしカンナに、ミースの言葉は届いていなかった。


「ああユミト、私たちの罪は消えないわ。ごめんねユンナ、ふがいない母で。許してちょうだい。私たちの罪のせいで、あなたは!」


ミースはふと、思いついた予感を口にした。


「もしかして、薬の値を吊り上げた商人というのは、あなた達だったの?」


カンナはカッと目を見開いて、動きをとめた。

あたりがしん、と静まりかえる。

そして幽霊のように立ちあがったカンナは、自らの喉元を短剣で突いたのだった。



ミースはその亡骸を、しばらくじいっと眺めていた。そして、そっと場を離れた。


 


ミースは歩いた。


そしてアルの大地にたどり着くと、そびえる山々を駆けて登った。

ミースが歩いた跡から草木が生い茂り、岩だらけだった山の斜面に緑を成した。

ミースが歩いた跡から樹木が伸びて森を成し、山の形を変えた。

そして最後にミースの足跡から、

一頭のスルプ鹿のオスと、一頭のスルプ鹿のメスが生まれた。


カンナの死を、周囲はどのように解釈するだろう。


森ができて山が深くなったことで、スルプ鹿が生き残る可能性は高まるだろう。

鹿が増え、ふたたび薬をつくれるようになれば、病も治まりをみせるだろう。



スルプ鹿が増えるか絶えるか、それはミースには分からなかった。




ミースは歩く。


歩いて、歩いて、


そのままどこかへ歩いていった。



※      ※      ※      ※      ※      ※




ミースは歩く。


闇の中を歩いて、歩いて、どこまでもどこまでも歩く。

先は見えないが「歩くこと」は、ミースの本能だ。


ミースの髪の毛は白くて細い。それでいて重力に逆らうかのように揺れ動くものだから、まるで闇の中を白い炎が歩いているようだった。


ミースは歩く。

一歩、一歩、闇に素足を踏みしめて歩く。


ミースの歩いた跡には大地ができる。

ミースの歩いた跡には水ができる。

ミースの歩いた跡には空ができる。


大地には草がはえ、樹木が茂り、花が咲き、実が落ちる。

水は河をつくり、湖に流れ、海を成す。

空には風が吹き、雲が湧いて、陽を降らす。



そうやって、ミースの歩いた跡には世界ができる。

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