第11話 王国暦270年5月15日 その翌日

 お待たせしました。

 ブロックごとに連投する感じで行きます。とりあえずまずは3連投。



 あの回廊での誓いの後、馬車で自分の家まで戻り、ラファエラが用意してくれた夕食を食べて、そのまま寝台で眠りに落ちた。

 その時のことをセシルはほとんど覚えていない。

 まるで夢の中にいるような心持だった。


 カーテンから差し込む朝の白い光でセシルは目を覚ました。

 壁に母の肖像画がかけられている以外は、簡素なテーブルと衣装だなと鏡台、それに簡単な天蓋を付けた寝台がある、殺風景な部屋。


 机には昨日着ていた衣装が畳んだまま置かれていた。

 普段なら衣装棚に戻すのだが、あまりにも色々あり過ぎてその気力もなかった。


 王族の姫君なら着替えも含めて身の回りのことはメイドが付き従って全てやってくれるが、この屋敷にはメイドは1人しかいない。

 それに母と引き離されてからは、魔法の訓練に明け暮れて過ごしたから、身の回りのことは自分でやるのが習慣になっていた。


 机の上に畳まれた衣装の上にはエドガーに渡された短刀が置かれていた。

 革には東方風の幾何学模様が染められていて、柄頭には黒水晶をがあしらわれている。


 これを貴方の傍においてほしい、と言われて渡された短刀。

 それを見てようやく理解できた……昨日のあの事は夢でも幻でもない……あの時言われた言葉も。 



 セシルが階下に降りると既にラファエラが食事の支度を整えていた。

 広間と言うには少し手狭な広間のテーブルには普段通りに焼いたパンと野菜とハムを入れたスープ、オムレツが並べられていた。


「おはようございます、姫様」


 ラファエラがこれまたいつも通り事務的に頭を下げて、温めたミルクを入れたカップをテーブルに置く。


「ラファエラ……あの、ありがとう」

「なにがでしょうか?」


 メイドの制服である白のエプロンとヘッドドレス、黒の長いスカートのワンピースのメイドドレスをきちんと着こなしたラファエラが表情を変えずに聞く。


 異国の血が混ざった黒髪と黒の瞳と白い肌。

 見た目より少し下に見えるが25歳だっただろうか。整っているが仮面のような無表情と事務的な口調が冷たさを感じさせる。

 

「エドガーを探してくれたと聞きました」


 セシルはエドガーには何も言わずに王宮に参内した。

 本来はエドガーはそのことを知ることは無かったはずだ。ラファエラがエドガーを探してくれた、とエドガーも言っていた。


 結果的には、もしエドガーが参内しなければ彼に迷惑が掛かったかもしれない。

 それにそれ以上に、彼があんな風に自分に言ってくれることもなかった。


「王妃様の命令と聞きましたので」


 素っ気なくラファエラが言う。

 3年前に募集に応じて自分の家のハウスメイドになってくれたが、あまり感情を表すことなく淡々と、でも過不足なく自分に仕えてくれていた。

 そんな彼女が、わざわざエドガーを探すなんてことをしてくれるとは思っていなかった。


「それより早くお食事を。冷めてしまいます」


 ラファエラがそう言って台所に通じるドアを開けて出て行った。

 ラファエラはなぜあんな風にしてくれたのだろうか……でも彼女の今まで知らない面が少し見えた気がする。


 その感情は決して不快なモノではなかった。

 昨日のことも、今日も少し嬉しい気持ちで始まる。何年ぶりの感覚だろうか



 朝食を済ませてしまうとセシルにはさほどやることはない。

 貴族ならば他の家のものとの交流があったりするが、セシルには縁がない。

 

 家事や身の回りのことはラファエラが如才なく片付けてくれる。

 今もラファエラが家事をする音が聞こえてきていた。


 今回の戦いについてサン・メアリ伯爵への報告もしなければいけないのだが……どう書けばいいんだろうか。

 そもそもやっぱりアレが現実ではなかったのではないか、等とも思う。


 でも懐中に手を入れればそこにはセシルが渡してくれた短刀の手触りがある。

 日課となっている魔術書をぱらぱらとめくるが……どうも内容が頭に入ってこない。

 

 普段通りに流れる時間を過ごすと、やっぱり昨日の事は夢じゃないかと言う気持ちに囚われそうになる。

 やきもきとしたようなゆったりとした時間が過ぎた昼頃、馬のひづめの音が窓の外から聞こえてきた。

 下馬したときのブーツが石畳とぶつかる音。


 ラファエラの足音とドアを開ける音がした。わずかな言葉を交わす声。

 自分に来客なんてまずありえない……来るとしたら一人しか思いつかない。

 

 でも……本当に彼なのか。今まで期待して裏切られるなんてことはいくらでもあった。

 魔術書を閉じて懐の短刀に触れる。


 二人分の足音が近づいてくる。

 息がつまるような数秒が流れてドアが開く音がした。

 

「姫様、お客様です」

「姫様、おはようございます」


 快活な声と昨日と同じような簡易な騎士の礼装のエドガーが入ってきた。

 昨日のことはもしかしたら夢だったのではないか、そう言う気持ちが消えることはなった。


 涙が出そうになるのをこらえる。

 今、この時セシルにようやく心が満たされた気がした。やっぱり……昨日の事は夢ではなかったんだ、と。



 ラファエラがお茶を出して一礼して出て行った。

 広間に二人きりで取り残されるが……セシルが思わず言葉に詰まる。

 一体何を話せばいいのか。


「あの……エドガー、貴方が仕えてくれるのは嬉しいのですが、辺境伯にご迷惑は掛かりませんか?」


 言ってから我ながらなんと詰まらない話題だと自分にうんざりした

 もっと他に言うことはあるだろう。心の中に地団太を踏みたくなる。


「大丈夫さ、中央とアウグスト・オレアスは遠いし、一応俺の親父はそこそこ偉いからね」

 

 セシルの気を知らずかエドガーが気軽な口調で答えてくれる。

 

「それに、多少好きにしても文句言われない程度には手柄は立てて来てるよ。姫様の心配には及ばないさ」

「そう……よかった」


 人懐っこい笑みを浮かべるエドガーの顔が直視できない。

 昨日の事は夢のようだけど……改めて見ると見事な美男子だ。

 しっかり後ろに撫でつけられた髪、顔立ちは目鼻立ちがはっきりしていて目線は鋭さを感じる。

 しっかりした眉と引き締められた薄い唇。


 歌劇では大剣を振るうが見た目は細面の優男のように言われていて、演じていた役者もそんな感じだった。

 それを見たセシルも似たようなイメージを抱いていた。


 しかし、実物は顔立ちに中性的な雰囲気もあるが、受けるイメージは男性的だ。

 テーブル越しにもその肉体が発するオーラのようなものが感じられる。


 アウグスト・オレアスの白狼という二つ名に誤りはない。凛々しい姿は草原で群れの先頭を走る狼のようだ

 ただ、改めて見ると初めて会った時の無頼な傭兵のような姿とイメージが全く重ならない。


「姫。一つ聞きたいのですが」


 沈黙を破る用のエドガーが口を開いた。

 一体何を聞かれるかと思って身構えるが。


「姫様の部隊はどのように運用されているんですか?」


 エドガーの質問は事務的な内容だった。思わず安堵のため息が出そうになる。


「一応私たちの兵団はサン・メアリ伯爵さまの旗下と言う事になっています。命令はサン・メアリ伯爵から下される。

何もない時は特に何事もありません」


 普通の騎士や正規軍は平時は訓練しているが、セシルの旗下に着けられた兵士たちは自由に任されている。

 訓練や編成などの雑務は副官のガーランドが仕切ってくれているが、セシルの部隊は傭兵に近いといえるだろう。


「次の出撃は?」

「分かりません」


 命令はいつも突然やってくる。

 任務はいつも突然やってきて、その内容はいつも過酷だ。


「じゃあしばらくは休みってわけだ……少なくとも明日は休みだよな」

「ええ」


 セシルが答えると、エドガーが嬉しそうに頷いた。


「じゃあ、明日の夜に一緒に食事でもお付き合い願えませんか、姫」

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