第8話 王国暦270年5月14日 王宮にて

「王陛下のおなりです」


 重々しい声が、赤と緑の壁紙と白い絹で作られた旗が飾られた豪奢な謁見の広間ホールに響いた。

 華やかな礼装とドレスで着飾った貴族がそろって頭を下げて、衣擦れの音が聞こえる。


 国王の椅子の正面に立っていたセシルも同じように跪いた。

 下を向くと波のような模様が入った赤く染められたじゅうたんが目に飛び込んでくる。

 赤は嫌いだ……戦場で地面に流れる血を思い出すから。


「面を上げよ」


 フォンテーヌ王国の国王、ヴォルド3世のしわがれた声が聞こえる。久しぶりに聞く父の声だ。ずいぶん弱弱しくなったようにセシルは感じた。

 すぐに頭を上げるのは礼節に反する。


「皆、面を上げよ」


 もう一度言われてから上げるのが儀礼だ。セシルが頭を上げた。正面には国王が椅子に腰かけている。

 紫色に竜を象った金の刺繍が入った豪華な衣装を身にまとった王がセシルを見下ろしていた。


 王は老齢なうえに最近は体調を崩しており表に出てくることは珍しい。

 代わりに摂政のロンフェンとカトレイユ王妃が政務を執り行っている。二人はそれぞれ王の左右に控えていた。


 摂政ロンフェンは普段通りの冷たさを感じる無表情だ。

 王妃は不快気な表情を隠しもしない


 王はなぜこの場に姿を現したのかは分からない。

 そもそも先の戦いの戦功は公式にはヴァレンヌ男爵についているのだからセシルが王宮に召されるのもおかしな話ではある。


 王国の歴史に残る勝利に実の娘であるセシルが関与しているということは関係しているだろう。

 それに、セシルは庶子と言う立場であるため、長らく二人は会う機会は無かった。

 この謁見の前に二人があったのは1年以上前だろう。


 セシルは側妾の子とはいえ王の娘だ。

 慣例ならば多少白い目で見られつつも、淑女としてしかるべき教育を受け、いずれ有力な貴族の家に降嫁するものだろう。


 このように過酷な状況で戦い続けなくてはいけないのは一重に王妃の意向故だ。

 しかし病に侵された王に王妃の憎しみを止める胆力はもはや残されておらず、王の娘であるにもかかわらず、セシルは不遇に置かれている。


 ここに王が姿を現したのは、父ゆえのせめてものねぎらいかそれ以外か。

 彼の心中は誰にも察することはできなかった。


「まったく、なんですか、そのみすぼらしい姿は」


 跪いたままのセシルを見下ろして王妃が言う。

 彼女が着ている服は軍装に近い礼装で王に謁見するときに着るものとは程遠い。長く王の前に出る機会などなかった。

 そもそも宮廷に着てこれるような礼装もドレスもない。


「よくそのような姿で王陛下の前に出られたものですね。恥を知りなさい」 


 王妃が蔑みを隠さない口調で言って、周りから静かなせせら笑いの声が上がった。


「この度は、素晴らしき戦果だったと聞く」

「はい、陛下。お預かりした兵を失わず済みましたこと、うれしく思います」


 礼節通り視線を合わせずに少し俯いて、いつも通り感情を交えず淡々とセシルは答える。

 今回は普段とは少し違って気持ちが少し気楽だ。


 あの戦いのときを思い出す。でも兵を失わずに済んだのは、出撃直前に偶然加わってくれたエドガーのおかげだ。

 称えられるべきは自分の功ではない。


「聞いた話によると……優れた剣士が味方したそうだが」

「その者も召し出したはずですよ。どうしたのですか?」


 王妃が王の言葉を遮るように言う。

 

「その者にも参内するように申したはずですよ。セシル」


 念を押すように王妃が言う。

 今この場にいて思う。きっと彼のことは何らかの形で王妃たちに伝わったのだろう。

 ヴァレンヌ男爵の兵が戦闘を見ていた可能性もある。もちろんエドガーの風体も。


 彼を笑いものにするためにわざわざ召し出したのだろうと思う。

 普通なら王に目通りするのは指揮官のみなのだから。


「彼は参りません」

「どういうことです?」


「全ては私の過ち故です。責めはすべて私に」


 セシルが決然とした口調で答える。

 

「陛下のご下命に背いた、ということですか?」


 詰問するような口調で王妃が言う。セシルが沈黙して広間に重い空気が流れた。


「所詮下賤の生まれですね……」

「申しあげます!お付きになりました!」


 王妃が見下すような言葉が出るが、それを遮るように不意に侍従の声が広間に響いて広間の扉が開けられた。



 入ってきたのは白の簡易な騎士の礼装を着た一人の男だった。

 全員の目が広間の入り口に注がれて、広間に失笑が漏れた。

 セシルに合わせたような軍装に近い質素な礼装はとてもではないが王に対面するときに着る衣裳ではない。


「なんですか、まったく。王陛下に目通りするのにそのような格好で。下賤な生まれのものには下賤な……」


 しかし、彼が広間に進み出るとさざめくような笑い声は鳴りを潜めた。

 王妃が彼を揶揄する言葉は途中で途切れる。


 誰もがため息をついてひそひそと言葉を交わす。

 涼やかな目元と僅かに朱を点した唇、綺麗に整えられた髭ががっしりした顎を包んでいる。

 たてがみのような癖のある金髪は後ろで結ばれていた。


 英雄の絵物語のような美男子であるが、その体は明らかに武人のそれだ。

 礼装越しにもその肉体が発する力強さは伝わる。

 

 全員から集中する視線を意に介さず男が広間をまっすぐ歩く。

 大股な歩き方や着ている簡素な衣装は宮廷の礼節とはまったく合わないものだ。普通なら失笑の声が漏れるであろう。


 だが、獅子を思わせる鍛え上げられた体と威厳ある堂々たる振舞に誰もが笑い声を発することが出来なかった。

 武術の心得がない貴族たちであってもその歩き方に一部の隙がないことは感じられた。


 男がセシルから少し後ろで跪いた。

 静まり返った広間の全ての者がその男の言葉を待つ。


「お召しと聞き参上いたしました」


 低いがはっきりした声が広間に響いた。


「王陛下にお目通り叶いましたこと、恐悦至極に存じます。セシル姫にお仕えする剣士、名はエドガーと申します。」



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